礼拝説教一覧

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「先の見えない時にも」イザヤ2:1-5 中村吉基

戦後80年目の夏、改めて「平和」を考える。毎週礼拝できるのも平和である。今日の聖書箇所のイザヤ書には「完全な平和」がある。戦いの道具がいのちを育てる道具に神によって変えられる素晴らしい世界である。イエスが十字架にかけられる直前に弟子が敵を攻撃しようとしたときも「剣をとるものは剣で滅びる」とイエスは弟子をたしなめた。私たちの力ではすぐに世界を変えることはできないがまわりにある小さな平和を大切にすることはできる。たとえ先が見えなくても神様はともにいてくださることを信じ、平和の道を信じて歩こう

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「悔い改めから和解へ」マタイ5:1-12 中村吉基

今日は平和を祈り求める平和聖日礼拝。第2次世界大戦から約20年後に表明された戦責告白は教会が戦争に協力した反省から表明された。山上の説教には「平和を実現する者」とあるが、それは単に戦争に反対することではなく暴力と差別を許さない生き方である。今も分断、排外主義、民族差別があり、難民を拒み、他国に対して敵意をあおるような政治の動きがあるが、我々は「和解の務めを担う者」として声を上げているだろうか?和解とは相手を許すだけではなく、自らが傷つけた側であることを認め、ゆるしを請うことから始まる。山上の説教には「柔和な人々」「義に飢え乾く人々」「憐れみ深い人々」になれとある。信仰によって立ち、祈り、語り、行動する者となることが神の子と呼ばれる者の生き方である。

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「神に栄光あれ」ヨハネ16:31-33 山本光一

この日はインターナショナルサンデーとして、外国人の人権のために祈る礼拝をささげました。パレスチナ・ガザ地区にあるキリスト教の病院「アハリー・アラブ病院を支える会」より山本光一牧師(旭川六条教会)をお招きし、パレスチナの現状についてお話しいただきました。

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「なぜ、祈るのか」テモテI 2:1-6 中村吉基

教会では「執り成しの祈り」が伝統的に行われており他者のために教会が代わって祈ることが大切とされている。今日はパウロが若いテモテに語る勧める箇所である。すべての人たのために、高い地位の人々のために祈ることで平和があるように、とりなしと感謝をささげるようにと説く。この時代の政治家は原始キリスト教会をを迫害する存在である。今でも自分の考えの違う為政者のために祈るのは難しい。しかしパウロはすべての人々が救われて真理を知るようになることを神は望んでいるという。つまり祈りは神の御心と世界をつなぐ窓の役割を果たしているのである。

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「助け合い、支え合う」使徒4:32-37 中村吉基

教会以前の「信じたい人々の群れ」の頃、彼らが信じていたのは死者の中から復活させられたイエスである。彼らはすべてを共有していた。持っている人が偉いのではなく、持たない者こそが祝福という逆説的な福音の価値観で「貧しい者は1人もいない」という喜びに満ち溢れていた。彼らは祈りによって心を1つにし、共同体を形作り、使徒たちは「大いなる力」で主イエスの復活を証しした。所有は悪い事ではないがいかに用いるかが大切である。この最初の教会に倣い、「助け合い、支え合う」共同体でありたい。

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「何をしてほしいのか」マルコ10:46-52 中村吉基

人から止められるほど大声でイエスに助けを求めた盲人バルティマイの箇所である。この時代、盲人は差別されていた。バルティマイは「目が見えるようになりたい」と願い、イエスは「あなたの信仰があなたを救った」と癒しをお与えになり、バルティマイはイエスに従うものとなった。ここから学ぶことは、自分の気持ちをストレートに神に告白することの大切さ、祈ることは神との対話であり、自分の叫びを神に受けとめていただく行為である。祈るときに神を説きふせるのではなく、神の御心に合わせていく。美しい言葉を並べるのではなく、自分をさらけだし助けを求めるものに、イエスは言われる「何をしてほしいのか」と。

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「共に喜ぶ」フィリピ2:12-18 中村吉基

今日の箇所はパウロが信仰の道を歩み始めて間もないフィリピの教会の人へあてた手紙である。ここには、パウロと教会の間に深い信仰的な結びつきが分かる。信仰の道での大切なことはキリストに「聞き従うこと」単にきくだけではなく心にとめ行動につなげていくことが大切、またそしてキリストに敬意と畏敬をもって歩むように、私たち一人ひとりの“内に”働いてくださる神を信じ不平を言わず行うこと、キリストを信じる者は夜空の輝く星のように光を放つ存在たれと書く。信仰とは喜びに満ちた命の道である。私たちの内にある神を信じ星のように輝く歩みをし、「あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい」という招きにこたえていこう

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「知られない神に」使徒17:22-34 中村吉基

アテネの仲間と待ち合わせていただけのはずだったが聖霊に導かれて宣教をはじめたパウロの説教が今日の箇所である。「知られざる神に」という祭壇の前で「知らずに拝んでいるもの」は天地万物を作り命を与えるまことの神であると語った。他の信仰をけなすようなことはせずアテネの人達を尊重しながらの話であったが、すぐに受け入れられたとはいえなかった。私たちの周りにもいる「知られざる神」を探している人に「それこそイエスキリストである」と語ることが大切である。対話と愛の姿勢をもってまだ知られていない神を伝えていきたい

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「起きよ!」 エフェソ5:8-14 中村吉基

神を知らないまま生きていいた「暗闇」の者がキリストにより神を知り「光」となるとパウロは表現する。光は単なる明るさではなくキリストのことである。パウロは「光の子として歩みなさい」と勧める。神は分け隔てなくすべての人をキリストの救いに招いてくださる。それは突然立派な人になれるわけでなく、神に愛される者に生まれ変わるということである。やがて来る死に不安を抱くことがあるが、死は終わりではなく神のもとへの帰還である。私たちは地上で成し遂げる役割があり、神のもとへと帰る。今は亡き人たちはすでに神の元で安らぎのうちにある。再会を胸に地上で光の子として歩もう

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「神の愛は突然に」使徒2:1-13中村吉基

今日はペンテコステ。弟子たちがエルサレムに集まっていた時、激しい風が吹いてくる音がして炎のような下が現れその上にとどまりそれぞれ“霊”に満たされ、異なる国々の「ことば」で語り出した。巡礼のために集まっていたユダヤ人たちは故郷の言葉を聞いて驚いた。これは奇跡であり教会の始まりとされているが、「ことばの壁を越えて、人が人と出会い直す出来事」として受け取りたい。聖霊の働きによって弟子たちが話す「ことば」は分断されていた人間関係の壁を神の力によって破られた。親しみのない「ことば」や文化は不安になることがある。しかしペンテコステに生まれた教会は多様性に満ちた場だった。しかし人は固有の「ことば」の中に生きている。この日聖霊は弟子たちを突き動かし他者に向かってそれぞれの「ことば」で福音を語らせた。神と人と主イエスが繋がり直すため、違いをなくすためではんく「違いのまま、共にある」ためである。私たちが他者の「ことば」に耳を傾け自分の「ことば」で応えていく中に神の霊が生きて働かれるよう祈る。