「同じ目線に立って」ルカ6:17−26 2022/02/13 中村吉基
ルカによる福音書における「貧しい人は幸いである」は他の福音書と印象が違います。山上の説教に対峙して「平地の説教」「山麓の説教」と呼ばれる今日の箇所で、イエス様が平地で何をもって「神の国はあなたがたのもの」を宣言なさったかを考えます。
Yoyogi-Uehara Church
            ルカによる福音書における「貧しい人は幸いである」は他の福音書と印象が違います。山上の説教に対峙して「平地の説教」「山麓の説教」と呼ばれる今日の箇所で、イエス様が平地で何をもって「神の国はあなたがたのもの」を宣言なさったかを考えます。
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            そこに突然主イエスが現れてこう言いました。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」。ペトロたちからすれば、この見知らぬ男がやってきて唐突に…ガリラヤ湖のことも、風の状態も、魚の習性もペトロたちにはよく判っていたはずなのです。それでもペトロは言いました。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(5節)
            旧約聖書:イザヤ書6:1-8 / 新約聖書:ルカによる福音書5:1-11 / 説教:「一歩、前へ」中村吉基 /教会学校(Zoom)9:00~(ティーンズ科第2・第4主日9:50~)「いちばん暗いところへ」(ヨハネによる福音書 1:4-5)
            美味しいぶどうを豊かに収穫するために、思い切って枝葉を切ることがあります。花も同じですね。チューリップでもカサブランカでも、良い球根にするために、花が咲いたところで切ってしまいます。私たち素人が見るとせっかく花を咲かせたのにもったいないと…農園の主人である神は、私たちを放っておくことはありません…良い実を結ぶために、せっかく育ってきた枝葉をバッサリ切ってしまうのです。
            代々木上原教会の2022年1月30日 日曜日の礼拝 今週の礼拝 キリスト教 ヨハネによる福音書15:1-10 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
            日曜日ごとに集まって礼拝を捧げ、その中でみ言葉に聴いています。そのことにどんな意味があるのでしょうか。聖書は歴史を知るための書として、イエス・キリストという人物が2000年前に「存在していた」ことを知るために、このような営みを繰り返しているのでしょうか。そうではありません。これは私たちにとっての「ニュース」、現実のこととして…
            渋谷区 代々木上原教会 礼拝 キリスト教 旧約聖書:イザヤ書 6:1-8,5-6,8-10 1 新約聖書:ルカによる福音書 5:1-11 説教:「一歩、前へ」中村吉基 礼拝 キリスト教 礼拝説教
            ガリラヤのカナというところで婚礼があり、その場で主イエスが水をぶどう酒に変えるという奇跡…宴たけなわになったころ、準備されていたぶどう酒が飲み尽くされてなくなりかけていました。パーティーのお手伝いをしていた母マリアは主イエスに神の子としての力を顕して、この窮地を切り抜けさせてくれるように頼みました…主イエスの返事は、何か冷たい感じがします…
            イエス・キリストはおおよそ30歳ごろに宣教活動に入られました。まず主イエスがなさったのは当時、ヨルダン川の辺りで洗礼運動を繰り広げていたヨハネから洗礼を受けることでした…私たちが受けた洗礼の意義を考え、またこれから洗礼を受けようとする人には、洗礼の意義に加えて、クリスチャンとして生きることはどういう道なのか、ということを…