Shimako F一覧

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「正直に生きる」ヨハネ8:1-11 中村吉基

姦通の罪で石打ちの刑が処される女を前にファリサイ派がイエスに尋ねる。律法を守るのかイエスが説いていた「神さまの赦し」なのかということである。それに対しイエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言い、自分の犯した罪を思って投げられなかった人々が立ち去ると、イエスはその女性を罪に定めない、これからは罪を犯してはならないという。罪に定めないとは2つ意味がある。女性がしたことがいいことではないが、赦されたこと神がさまにいつも愛されていることであることを知って精一杯生きてほしいと願い、2つ目は過去よりも今日からの生き方に値打ちがある、再出発の機会を与えて下さる神様であるということである。自分を「正しい」と思わず「正しくあろう」という途上であり、心を柔軟にもちどんな時も軌道修正できることが信仰の中心である。それは自分自身の力ではできない。「そのまま」の自分をしっかりと見つめて、時には軌道修正することで神さまの祝福を受けることができる。

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「あなたはわたしの愛する子」マルコ1:9-11 徳田信

イエスが洗礼をうけたときに「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえた。そこから公生涯が始まったがそれは十字架に終わっている。私たちは生きていく中で様々な困難にぶつかる。人は支えがないと生きていけないが、それは神の支えと言い換えることもできる。神の愛を受け取らないことは罪である。放蕩の限りを尽くした、もしくは尽くしている私たちの帰還を神は待っておられる。