「我が名はレギオン」マルコ5:1-27 廣石望

アモス書5:21-27; マルコによる福音書5:1-27

I

 一年前のちょうど今頃、私は北ドイツ・ハンブルク大学ミッションアカデミーで暮らしていました。そこで、インド東北部ナガランド州出身の一人の若い留学生と友人になりました。彼が去年、世界教会協議会のGlobal Ecumenical Theological Instituteの枠内で発表したエッセイ(Kerio Wetsah, Reimagining Ecumenism from Below: Colonial Wounds and the Wounded Church, 現在は未公刊)から教えられたことを、最初にご紹介します。
 ナガランド州はバングラデシュの東北の方向にあり、北はブータンが近く、東はミャンマーとの国境に接しています。高原地帯で、海はありません。ナガ人はモンゴロイド系で、私たち日本人にそっくりです。19世紀のイギリス宣教師の働きにより、90%がプロテスタントのキリスト教徒で、バプテスト派が多いです。人口は全体で約200万人と言われます。40以上あるという諸部族に分かれており言語も別々で、それぞれの部族には独自の文化と生活様式があります。その一方で、ナガ人としての共通性も際立っており、プロテスタント・キリスト教もその要素のひとつです。
 ナガ人の現代史は苦難に満ちています。インド地域は1947年までイギリスの植民地でした。植民地当局は、ナガ人たちの居住地を勝手に分割しました。それは現在に至るまで続いており、彼らはインドの4つの州(ナガランド州、マニプール州の一部、アルナーチャル・プラデーシュ州、アッサム州)とミャンマー北西部に分散して暮らしています。彼らは第二次世界大戦中、イギリスが戦後の独立を約束したので、イギリス軍の友軍として、インパール作戦を実行した日本軍と戦いました(1944年3-7月)。友人の祖父は、日本軍のことを覚えているそうです。
 しかし独立後のインドはナガ人に独立を認めず、イギリスの分断統治政策を継続しました。「ナガ族は選択ではなく、状況によってインド人となった」(K.K. Sema 2022)。1955年、彼らの居住地域は「騒乱地域disturbed areas」に指定され、それは今も続いています。その前年から独立のための武装闘争が始まり、1958年には「軍隊(特別権限)法Armed Forces (Special Powers) Act [AFSPA]」が施工され、インド軍による苛烈な抑圧が発生しました。1975年の和平締結までの間に、20万人以上が死傷したとのことです。ナガ民族主義者とインド軍との衝突が最も激しかった時期には、インド軍の非情さを恐れて、村人全員が村を離れ、暴力から逃れるためにジャングルへ逃げ込むことがよくありました。しかし戻ってみると、家々は灰燼に帰していたのだそうです。農耕は禁止され、女性たちは性的暴力に晒されました。
 インド政府からナガ族は「高リスク集団」と見なされ、彼らが自己決定権を求めて声を上げると法律違反者、過激派、反乱勢力として取り締まられてきたわけです。こうした体系的抑圧と暴力の常態化は、「ジェノサイド的監禁genocidal carcerality」とも形容されます(Michaela M. McGuire 2023)。彼らの傷とトラウマは、国家政策と刑事司法制度によって覆い隠されてきたのです。
 彼らの苦しみをさらに大きなものにしたのが、個別部族間の分裂、不信、そして対立です。ナガ族全体に対する継続的な抑圧が、内部の部族対立を煽った側面もあります。ようやく1975年、ナガ民族評議会の一部の指導者が、インド政府とシロン合意(Shillong Accord)を結び、インド憲法を受け入れ、武装解除しました。しかしこの決定に従わなかった部族もありました。あらゆる少数部族の長老たちは、それぞれ「誰に責任があるのか」についての独自の解釈をもっていたとのこと。その対象は往々にして同じナガ族です。同様に、どのグループが正統で、どれがそうではないかについても意見が対立しています。こうして、温かいもてなしと友好を特徴とするナガの固有文化は、恐怖と疑念にとって代わられました。

II

 さて、今日のテクストは、ゲラサの悪霊憑きと呼ばれる悪霊祓いの奇跡物語です。ストーリーは以下のようです。

 導入場面では、イエス一行がガリラヤ湖の反対側、異教徒たちが多くするゲラサの地を訪れると、穢れた霊につかれた男が彼らを出迎えます。この人物の病状は深刻で、穢れに満ちた墓地で暮らし、怪力で束縛を逃れ、絶叫しつつ、自傷行為を行っています。
 提示場面でこの男はイエスを跪拝しつつも、ほっておいてくれと嘆願します。それはイエスが悪霊に退去を命じたからです。イエスに尋ねられた悪霊は「わが名はレギオン」(文語訳)と答えました。悪霊は当地への駐留を願っています。
 中心場面で悪霊祓いが生じます。悪霊は周囲の山で放牧されていた豚(イノシシ)に移動したいと申し出でたのです。イエスが許すと悪霊は豚の群れに入り、海に突進して溺死しました。
 終結場面では群衆の反応について語られます。彼らはできごとを見て恐れ、イエスにこの地域から退去するよう願いました。他方で、被治癒者はイエスへの同行を願い出ますが、イエスは「自分の家族のもとに戻れ」と命じます。しかし彼は、デカポリスで宣教活動を行いました。

いくつかのことを説明します。
 第一に、悪霊の名「レギオン」はローマ軍団のことです。一個軍団は歩兵5000-6000人、騎兵120騎と補助部隊から成りました。彼らが「豚」に乗り移って、「海」で死ぬという描写は、第一ユダヤ戦争(AD 66-70/73年)で、ガリラヤおよびエルサレム攻撃の主力部隊の一つであった「第十海峡軍団Legio X fretensis」を強く想起させます。彼らはメッシーナ海峡の海戦で武勲を上げ「海峡」軍団と呼ばれ、そのエンブレムには戦闘船と並んで「豚(イノシシ)」が描かれています。この軍団を暗示する「レギオン」「イノシシ」「海」の3つの要素が揃っているわけです。
 すると、マルコ福音書にある現在の物語には、明らかにイエスの死後、約40年後に生じたできごとの記憶が重ね書きされています。奇跡物語の伝承者たちは、おそらく自分たちの戦争体験を、イエス伝承を用いて再解釈したのでしょう。あの戦争は悪霊のように私たちを蹂躙した。しかしイエスは、私たちをそのトラウマから解放するだろう、という祈りと信仰が現在ある物語の背後にあります。
 そして第二に、悪霊憑きが暮らしていたゲラサを初めとするデカポリス地域には、多数派の非ユダヤ系住民の間に、少数派のユダヤ人が暮らしていました。そしてユダヤ戦争初期には、双方の住民による虐殺が頻発しました。そもそもデカポリス(「十の都市」)は、BC 63年、この地域一帯を軍事占領したローマの将軍ポンペイウスによって作られた都市連合です。その目的は、ユダヤ勢力の拡大を東方から抑え込むことにありました。だから戦時には、ローマに対する忠誠を示す圧力が、この地域にかかったでしょう。奇跡物語の住民たちもまた、イエスに彼らの地域から退去するよう求めています。彼らもまた戦乱に巻き込まれたのです。悪霊憑きの悲惨なようすは、この地域の住民が蒙った一世紀に亘る戦争トラウマの集合的記憶を象徴的に代表しているかのようです。
 第三に、かつてレギオンにとり憑かれていた者は、そのデカポリスで宣教を開始したとあります。イエスによって狂気のような戦争トラウマから癒された者が、ユダヤ民族主義とローマ帝国主義的支配によって引き裂かれた地域に、癒しと和解の福音を伝えたではないでしょうか。この物語は、戦争トラウマからの解放の物語なのです。

III

 ナガ族の話に戻ります。彼らはキリスト教徒です。なので、教会が教会であるためには、政治的・社会的な監禁状態に対して知らんぷりを決め込むことも、部族間の対立や不信が、歴史的な傷からの贖いと癒しを妨げることもあってはならないと知っています。
 2008年、ナガ和解フォーラムForum for Naga Reconciliation(FNR)が生まれました。カトリックを含むさまざまな教派を包摂する、いわば「草の根」エキュメニズムの運動です。その始まりは、ナガ族間の派閥抗争が頂点に達した1990年代に設立されたキリスト教祈祷センター「ナガ・シシャ・ホーホーNaga Shisha Hoho」にあるそうです。「シシャShisha」は「従順を行う」という意で、一種の霊的覚醒運動でした。もっとも「(当初)出会った人々は皆、FNRを様々な個人や団体の道具と見なして疑念を抱いていた」とのこと。それでも、「私たちが困難な経験を通じて学んだことは、すなわち他者の恐怖や疑念、怒りを感じ取り、それらを自らに投影して理解を深めることだ。…フォーラムとして重要なのは、他者がなぜそう考えるのかを理解する必要性を常に自覚することだ」(Wati Aier 2025)。
 目に見える一致に先立って重要なのは、植民地主義と民族抑圧が生み出した過去の不平等な歴史への共犯関係を、「共有された脆弱性shared vulnerability」として相互に認めることであると、私の友人は言います。私たちは、傷を共有することによってのみつながることができる。そして、こうした罪責をいかなる形でも二度と繰り返してはならないという責任を担うことです。皆さん、これがナガ人たちの心です。
 ゲラサの悪霊憑きがデカポリスで宣教したとき、彼は自分がかつてレギオンに占有されていたこと、狂人として親族共同体からも自分自身からも疎外されていたことを隠さなかったでしょう。彼は自らの脆弱性を晒すことで宣教を行ったに違いありません。
 私たちもまた、自らの正当性を声高に叫ぶ前に、私たち自身の「脆弱性」を自覚することで受難節の歩みを始めたい。そして、それを民族や国家の境を超えて「共有」することで、不信や分断に代えて癒しと和解のメッセージを発信したいと願います。