「いのちのバトン」詩編23:1-6 中村吉基

詩編23:1-6;テサロニケの信徒への手紙I4:13-14

皆さんが今、ここに存在していることは「当たり前」のことではありません。むしろ「奇跡」だと言うべきでしょう。皆さんはこの世界の中で両親が出会っていのちを得られました。その両親は祖父母が出会って、そして皆さんのご先祖たちも奇跡的に出会って、奇跡的に新しいいのちを授かったのです。

かつて石川県金沢の公立小学校のクラスで1年をかけて「命のリレー」という授業を続けられた金森俊朗先生という方がおられました。子どもたちが丁寧に時間をかけて自分やきょうだいが生まれた時のこと、両親や祖父母の生まれた時のことを調べて発表するのだそうです。

お母さんがたいへんな病気の中で自分を産んでくれたとか、祖父が生まれた時にはすでにその父親(その子どもの曽祖父)は戦争で亡くなっていて、その面影もないということをこの学習で知った子どもたちもいます。1年の学びを終えて子どもたちはどんな思いに至ったでしょうか。「命のリレーは思っていたよりもはるかに細いものだった」とか「命のリレーにおける最大の危機は戦争だった」と子どもたちに言わしめたのだそうです。

今、私たちが生きているこの世界ではいのちが軽んじられています。毎日のように世界のどこかでたくさんの命が奪われ続けています。国内のある調査では3割くらいの子どもたちが「いのちはリセットできる」「人は死んでも生き返ると思う」と考えているという結果が出たと言います。私たちクリスチャンには復活の信仰がありますが、そういうことではなく、つまり殺していのちを奪ったとしてもすぐに生き返るというような短絡的な考えを持っているといいます。核家族化のなかで子どもたちは「死」を身近に経験していないのかもしれません。

身近な人が死へと向かって行く経験、亡くなった方の冷たくなった手足や顔に触れ、また言葉を交わせなくなったのを見た子どもは「人は死んだら生き返らない」ことを経験します。ある子ども……この子どもはおばあちゃんの死に接した子でしたが、「私もいつかおばあちゃんみたいなやさしいおばあちゃんになれるかな」という言葉を発したそうです。つまりおばあちゃんから受け取った「いのちのバトン」を自分が受け取り、今度は自分が誰かにバトンを受け渡していく自覚ができた瞬間でした。自分一人だけに神さまがいのちを与えてくださったと考えるのではなく、いのちは誰かにつないでいくものなのです。また現在の日本では中高年以上の多くの人が、自分の両親をはじめとする介護に当たっています。中にはたいへんな苦しみを伴いながらも介護に励んでいる人たちも大勢おられますが、その看取りのわざも「いのちのバトン」を受け取る作業なのです。皆さんの周りにもし介護に疲れている人がいたならばそのように伝えてあげてほしいのです。

ある若い夫妻は授かった子どもがお腹の中にいる時に難病にかかっていることを知りました。その病気にかかった胎児はほとんどがお腹の中にいる時に亡くなるか、生まれてきて1年以上生きられる子は1割にも満たないそうです。その赤ちゃんは自然分娩で産まれて、口や鼻で懸命に息をしようと頑張りましたが、生まれて33分で心臓が止まりました。生まれてからも亡くなってからもこの子は両親にいっぱい抱っこしてもらって、写真も撮って、おじいちゃん、おばあちゃんもやってきて、親戚も来て、みんなで抱っこして、お祝いして、お別れもしました。このご夫妻は「短かったけれども、この子はこの子の授かったいのちを全うした。この子からいのちのバトンを受け取った」と語ったそうです。

戦争が起こっている地での死、不慮の事故での死、そのようないのちが奪われるところにこのような穏やかで温かさ、ゆっくりと死を看取る時間は感じられないかもしれません。しかし、死は誰にでも訪れます。それは現代人も昔の人も同じことです。

今日の箇所・詩編23編は、ユダヤ教の人々も、キリスト教の者たちも何千年にも渡って愛唱されてきた聖書の言葉です。長年信仰生活をされてこられた方ならば、詩編22編や24編はすぐに出てこないかもしれませんが、23編は記憶されておられるのではないでしょうか。欧米の映画のセリフにもたびたび登場するのがこの詩編23編です。

聖書の舞台であるイスラエル・パレスティナは、草一つ生えることのない砂漠だけの土地でした。詩編が書かれた当時羊飼いは、草と水のあるところへ、砂漠から野原、そして山道も羊の群れを連れて旅をしなければなりませんでした。それは過酷な仕事でした。羊は、おとなしい動物ですが、のんびりしているのでしょうか、羊飼いがきちんと面倒を見ないと道に迷いやすい家畜であるとも言われています。ですから、この詩編が長い間にわたって愛唱されるのは、神に背を向け、道に迷ってしまった民に重ね合わせ、また弱さを抱えた私たちクリスチャンの希望となっているのではないでしょうか。ただ道に迷うわけではありません。食物と水にありつけないのですから、それは「死」を意味します。ですから羊は、羊飼いなしでは生きてゆくことはできません。聖書の時代は羊と羊飼いの関係を誰もが知っている身近なことでした。ですから主イエスはある時言われました。「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ10:11,14)と。

この詩の冒頭に「ダビデの詩」とあります。しかし、必ずしもダビデが書いたわけではありません。「ダビデに敬意を表して」とか「ダビデ王のお名前を冠して」という意味合いに考えてくださればよいでしょう。

これはまったく私の推測ですが、この詩は若々しいダビデのような人が書いたのではなく、これまで酸いも甘いも経験した人生の秋に差し掛かった人が書いたのではないかと思うのです。この詩は「主は羊飼い」という言葉で始まります。けれども原文では「主はわたしの羊飼い」です。2018年に出された新しい聖書ではそのように戻されました。「主はわが牧者なり、われ乏しきことあらじ」という文語訳を憶えておられる方もあることでしょう。〈わたしの〉というところは大切です。おそらくこの羊飼いは数え切れない羊の世話をしてきたことでしょう。そして一匹の羊のほうもこれまでの人生、紆余曲折あったけれども、いつでも羊飼いは〈わたしの〉ことを見捨てることなく、〈わたしの〉ことを見守ってくださった。そういう思いが込められているように読めるのです。

しかしこの詩はよくよく読めば皆さんの思いとはいささか逆のことが書かれてあることに気がつくことでしょう。

「わたしには何も欠けることがない」。

本当にそうでしょうか。何も欠けることがない自分の人生だったでしょうか? むしろ人生の秋に差し掛かったら、あれもこれも欠けることだらけではないでしょうか。親しい人を天に送り、自分の肉体の健康も損ない、そして自分自身もやがていのちを失って行く。それなのになぜ「何も欠けることがない」なのでしょうか。けれども詩編の作者はそういった失われていくものに目を留めることはありませんでした。マイナスのものではなく、プラスのことにだけ目を向けているのです。そうです。さまざまなことの背後で見守ってくださる羊飼いである神さまご自身にだけ目を向けているのです。そしてこの羊飼いがいてくださるならば自分自身は十分に満ち足りるのだ、それが「何も欠けることがない」という信仰告白の言葉につながっていくのです。

3節の途中からご覧ください。

主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。

神さまは皆さんを「正しい道」へと導かれます。導かれるのだけれどもしかしその道は歩きやすいな道だとか、皆さんがそこを歩いていてわくわくするような楽しい道行きだとも作者は記していないのです。では何と書いてあるか。そこには「死の陰の谷を行くときも」と記してあるのです。主イエスはある時このように言われました。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い」(マタイ7:13)。

おそらくこの作者は何度も、何度も「死の陰の谷」に直面してきたのでしょう。私たちの人生は順風満帆ではありません。絶望するようなこともあります。これ以上先に進めないと思うようなこともあります。そういう「死の陰の谷」をたくさん乗り越えてくるのが私たちの人生です。このひとつ前の詩編22編には「わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか」という言葉があります。主イエスが十字架上で言われた言葉が22編2節でした。私たちの人生が「死の陰の谷」に目を向けることしかできなかったのなら何と空しい人生でしょうか。

しかし詩編の作者は言います。

「わたしは災いを恐れない」。

どうしてそんなことが言えるのでしょうか?
それはすぐその後に記されています。
「あなたがわたしと共にいてくださる」からです。
私たちにとって最も幸いなことは「神とともにいる」ことなのです。

この説教の後でしばらく沈黙の時を持ちます。すでに天に帰られた皆さんの親しい方々の永遠の安息を祈る時としたいと願います。そしていつの日か私たちもその方々の列に加えられる日がやってきます。私たちは与えられたいのちを精一杯に生き、そのバトンを渡していくことも大切ですが、皆さんがどこに目を向けて、この人生を歩んでいくのかを考えることはもっと大事なことです。神さまは私たちを「正しい道」に導かれ、私たちの帰る「家」を用意していてくださるからです。