イザヤ書49:7-13;マタイによる福音書2:1-12
最初に救い主を礼拝したのはだれだったのか
マタイによる福音書は、この地上に来られた救い主イエス・キリストを最初に礼拝したのはユダヤの人々ではなく、東方の占星術の学者たちであったと記しています。つまりヘブライ(イスラエル)民族ではない異邦人(外国人)が最初にイエスを主と崇めて礼拝したのです。このマタイによる福音書の終わり(27:54)で、イエスさまが十字架で死なれた姿を目撃していた百人隊長が「本当に、この人は神の子だった」と告白をしましたが、実はこの百人隊長も外国人でした。マタイによる福音書では外国人が特別な役割をもって救い主を証ししています。
まずこの学者たちが1節には「東のほうからエルサレムに来て」とあります。「東のほう」とはっきりしないのですが、おそらく現在のイランのあたりか、当時のバビロン、ペルシャであろうと言われています。「東」とは抽象的でもありますが、差別的な意味も含まれていまして、つまり差別されていた土地に住む人たちとここを解釈する人たちもいます。
「東から来た学者たち」――差別され、遠ざけられていた人々
では何が差別的なのかと言うと、この「学者」たちとは占星術師、魔術師、妖術師などを表します。しかし時々、この学者たちのことを、「三賢者」とか「三博士」あるいは「三王」とも言われることがあります。おそらくバビロンやペルシャのあたりでは、天体や星の動きを観察して、これから起ころうとすることを予言したり、「夢解き」と言って見た夢の意味を解き明かしたりすることは、重んじられ、彼らは宮廷などで仕えていただろうと考えられます。しかしユダヤではこのような行為は固く禁じられ、邪道であり、偶像崇拝者として異教徒のなかでも最も大きな罪を犯している者たちと捉えられていました。ユダヤでは占いをする者は極刑に処せられました。
けれども、まぎれもなくイエスさまを最初に礼拝したのはこの人たちでした。王でもなく貴族でも、博士でも権力者でもない、異邦人の彼らだったのです。社会に認められている者たちではなく、社会の片隅に追いやられている彼らでした。
ヘロデの恐れと、聖書に示された神の御心
さて、ヘロデ王が祭司長たちや律法学者たちを集めて、聖書の中にメシアの生まれることについて書かれている預言がないかと調査させます。そしてそれはヘブライ語聖書ミカ書の5章の冒頭に記されていることがわかりました。今日の箇所の6節に引用されていますが、 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」という言葉です。
そしてヘロデ王は学者たちに「『行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう』と言ってベツレヘムへ送り出した」(8節)とあります。ヘロデは純粋に心からメシアを拝みたいわけではありませんでした。自分の王座が狙われるかもしれないという私利私欲にまみれた思いから、嘘をついて学者たちを送り出すのです。学者たちは世界の救い主となるイエスさまを探し、生まれたばかりのいのちに触れることになりますが、一方でヘロデは暗闇の中で幼子を殺そうと企みます。そしてヘロデの言葉が危険な言葉であったと学者たちが知るのは12節の夢の中で「ヘロデのところへ帰るな」との神さまのお告げであったのです。
世界でいちばん最初にイエスさまに出会った異邦人は真実なものに飢え、渇いた東方の学者たちでした。こうした弱く、小さくされた人びとを神さまは導いて来られます。それがさきほどご紹介した6節の旧約の預言者ミカ(ミカ書)の言葉に繋がるのです。決していちばん小さいものではないという言葉が神さまの最も大切にされている「御心」です。神さまの目から見れば無駄なものはなく、無駄な人間はひとりも居ないのです。それはイスラエル民族だけに告げられたことでありません。世界のあらゆる救いを求めている人びとに現されるのです。神さまは救い主イエス・キリストをこの世界にお与えになることによってその御愛を現わされました。
☆☆☆
神さまは私たちのもとへと、救い主イエス・キリストをお遣わしくださいました。それによって私たちは、神が人間をどれほど深く愛しておられるかを知ることができました。そしてその愛は、イスラエル民族だけに向けられたものではなく、世界中のすべての人々に向けられている愛なのです。にもかかわらず、私たちはしばしば、その神の愛の広さよりも、自分たちの不安や恐れを優先してしまいます。
ヘロデ王がそうでした。彼は救い主の誕生を「希望」としてではなく、自分の立場を脅かす存在と考えたのです。排外主義とは、誰かを特別に憎むことから始まるのではありません。多くの場合それは、自分の秩序が壊されることへの恐れから始まります。ヘロデが恐れたのは、幼子イエスではなく、「自分が王でなくなるかもしれない未来」だったのです。
飼い葉桶という「同じ高さの場所」
埼玉県の皆野町で木工職人として、ちゃぶ台を作り続けているダニー・ネフセタイさんという人がいます。彼の経歴は元イスラエル空軍兵士で、3年間従事したそうです。彼は若い頃、イスラエルを守るために兵士となりました。しかし軍隊を離れ、旅で日本にやってきました。日本の公園に立ち寄ったところ驚くような体験をしました。それは今まで「敵」だと思っていた国の人たちがたくさんいて、その人たちと自然に楽しく話をすることができたのです。「敵」だと思っていた人たちもまた自分と同じ人間なのだと気づきを与えられたのです。現在では日本で暮らす中で、
「もう二度と、人を殺すことにつながるものは作らない」。
そう決意し、選んだのが家具作りでした。彼が作り続けているのは、椅子でもなく、王座でもなく、地味なちゃぶ台です。しかし、ちゃぶ台を囲む人たちには、誰が上座で、誰が下座だ、ということはありません。同じ高さで、人と人が向き合うひとときを作り出します。話し合い、食事をし、違いを抱えたまま共に生きる場となります。そしてダニーさんは平和活動にも熱心です。母国イスラエルがパレスチナとくにガザ地区を攻撃し続けていることに心を痛め、講演活動もしています。イスラエル人の中にはこのように良心をもって平和を作り出そうとしている人たちがいます。
神のちゃぶ台に、だれが招かれているのか
私は、イエスさまが生まれた飼い葉桶も、まさにちゃぶ台を囲むような場所だったのではないかと思うのです。マタイによる福音書は、飼い葉桶とは記さずに「幼子のいる場所」(9節)と記しています。そこは王にふさわしい玉座ではありませんでした。選ばれた者だけが近づける聖域でもありませんでした。
ルカによる福音書が伝えるクリスマス物語には、社会の最下層にいた羊飼いが出てきます。彼らも、そして遠い国から来た東方の学者たちも、同じ目線で、同じ高さから、幼子を見つめることができる場所が用意されていました。そこには、内と外の区別はありませんでした。正しい者と正しくない者の境界もなかったのです。飼い葉桶は、神がこの世界に用意された「ちゃぶ台」だった――そう言ってもよいのではないでしょうか。
東方の学者たちは、社会の中心にいた人々ではありませんでした。宗教的にも、民族的にも、排除されやすい人々でした。しかし神は、まさにその人たちを最初に招かれたのです。それは、「あなたは外の人間だ」と告げるためではなく、「あなたも、ここに座ってよい」と告げるためです。
この一年のあいだ、排外主義と言っても良い、外国人を疎むような言論が私たちの周りでもよく聞かれました。今朝、私たちが問われているのは、「誰が正しいか」ではありません。私たちは、誰をこのちゃぶ台から締め出そうとしていないか。誰を、恐れによって遠ざけていないか。
クリスマスとは、排除の理由を正当化する日ではありません。神がすでに招いておられる人々を、もう一度見つめ直す日です。神は確かに学者たちを幼子イエスのもとに招きました。ヘロデとエルサレムの人々は不安を抱いた一方で、学者たちは「喜びにあふれた」と10節は証言しています。その違いはただ一つ、イエス・キリストとの出会いがあったかどうかです。
どうか私たちの教会もまた、恐れから人を排除する場所ではなく、神のちゃぶ台の周りに人々を招く場所になりたいとおもいます。そしてその真ん中に、飼い葉桶に生まれた救い主イエス・キリストを迎えつつ、喜びにあふれて、このクリスマスを共に祝いたいと思います。