ハバクク書3:17-19;ローマの信徒への手紙8:28-30
ハーヴェイ・ミルクというアメリカ人がいました。彼を題材とした映画は何作も作られ、そのうちの1つは2009年に日本でも公開されました。ミルク役を演じたのは俳優ショーン・ペンでした。
1930年、アメリカで誕生したミルクはユダヤ系の家庭に育ち、のちに彼は自らを同性愛者であると公に語り、サンフランシスコ市政執行委員という公職に就いた最初の人物の1人として、数多くの人々に勇気と力を与えたのです。
彼は学生時代、フットボールやバスケットボールを楽しみ、またオペラにも親しむという多趣味な人でした。やがて彼は「カストロ通り」と呼ばれる界隈に写真店を開きます。次第にその店は地域の人々が集う場所となり、やがて店先は自然と情報交換の場へと変わっていきました。
当時、LGBTQ+の人々が仲間に会うためには夜のバーに行くしかない時代でした。インターネットもなく、昼間に安全に出会える空間はほとんど存在しませんでした。そのような中で、ミルクの写真店は明るい場所であり、堂々と自分のことを語ることのできる貴重な場を提供しました。
ミルクが登場する以前は、職場で同性愛者であることを明かすなら解雇を覚悟しなければなりませんでした。LGBTQ+の人たちを狙ったヘイト・クライム(差別に基づく暴力や殺人)は日常茶飯事であり、家族に告白すれば勘当は当然とされました。サンフランシスコですら、そのような街だったのです。
しかし彼は人々と語り合ううちに、自らの歩みを振り返らざるを得なくなりました。
――なぜ自分たちは肩身の狭い思いをしなければならないのか。
――なぜ警察から嫌がらせを受けなければならないのか。
――なぜ家族や友人を失わなければならないのか。
ただ、愛した人が同性であったというだけで。
そこで彼は立ち上がります。「みんながカミングアウトできる街にしよう!」と。彼はサンフランシスコ市政執行委員に立候補しました。3度の落選にもめげず、やがて労働組合を味方につけ、ついに当選を果たしたのです。支持したのはゲイの人々だけではありませんでした。職を失って路上に追いやられたアフリカ系の人々も、異国で多くの問題を抱えたヒスパニックの人々も、さまざまなマイノリティーの人々が彼を支持しました。選挙を通して人々は、「自分が自分であること」を、誇りをもって生きるために闘ったのです。
その後、ミルクは「同性愛者の教師を解雇できる」とする法案を、誰もが可決されるだろうと予想したにもかかわらず、粘り強い草の根運動と見事な政治手腕によって否決に追い込みました。けれども勝利の喜びは長くは続きませんでした。1978年11月27日、ミルクは反同性愛の立場をとっていたダン・ホワイト委員によって、ジョージ・マスコーニ市長とともに射殺されたのです。人々は深い悲しみに沈みました。しかも裁判では、陪審員の中にマイノリティーは一人もおらず、「ジャンクフードの食べ過ぎによる精神的衰弱」という不可解な理由が情状酌量とされ、わずか6年の懲役刑(仮釈放の可能性もあり)という信じ難い判決が下されました。しかし、このミルクの死をきっかけに、LGBTQ+の解放運動が世界中で起こり、それは彼女たち、彼らの人権を獲得する運動へと広がっていきました。
今日与えられた聖書の言葉は、ローマの信徒への手紙8章28節以下です。
「神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています」とあります。
ここで「益となるように」と訳されている言葉は、もともと「善いことのために」という意味です。本田哲郎神父の訳された聖書ではこう記されています。
「神の霊は、何ごとも神を大切にする人たち、ご計画に従って使命を与えられた人たちと一緒に働き、人に親身にかかわるようにしてくださる」
これは神の救いの計画、すなわち福音を示しています。続く29節には「神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようと、あらかじめ定められました」とあります。つまり神は人間を創造される前から明確な目的を持って選び、呼び出しておられるのです。驚くべきことです。私たち一人ひとりが前もって神に知られ、神の計画の中に置かれているのです。
そして私たちは「御子の姿に似たもの」とされるように定められている。これはイエスを中心とする神の家族に加えられることを意味しています。私たちは、自分の努力や意志で神を知り、神を愛していると思いがちです。しかしパウロは教えます。私たちを神に向かわせ、神を愛する者とさせてくださるのは聖霊の働きなのだ、と。
30節についても、本田訳はわかりやすくこう語ります。
「神はあらかじめ決めたその人たちに使命を与え、使命を与えたその人たちを解放し、解放したその人たちを輝かすようにされたのです」
この世は、善である神の支配と、悪の支配がせめぎ合っています。神の御心に沿って生きることは決して容易ではありません。しかし、神がすべてを「善きこと」に向けて共に働かせてくださることを知る者は、希望をもって歩むことができます。
私はハーヴェイ・ミルクが殺された事件を思い起こすとき、マイノリティーは決して敗北したのではないと確信します。彼の歩みを通して、人々は「私たちは力を合わせれば世の中を変えることができる」と学びました。私たちが手を携えて進むこと、それはかけがえのない宝です。そしてその宝は次の世代へと受け継がれていくのです。サンフランシスコのカストロにあるハーヴェイ・ミルク・プラザで、レインボーフラッグが今もはためいているように――「希望は失望に終わることはない」(ローマ5:5)と。
教会から夏休みをいただきまして、そのうちの数日でしたが香港にいきました。あの民主化要求運動の後、香港になかなか行くことができませんでしたが、日曜日には現地の教会の礼拝に参りました。時折、この香港の教会から出張で来日された時には、私たちの教会の礼拝に出席されるかたがあり、その方の教会をお尋ねしました。そこで礼拝の最初と最後に歌われていた賛美がありました。
Draw the circle.
Draw the circle wide……
輪をひろげよう 大きく大きく
輪をひろげよう みんなで描こう
ひとりぼっちで 立つことなく
みんなで手をつなぎあおう
輪をひろげよう 大きく大きく
輪をひろげよう みんなで描こう
という賛美の歌を礼拝で歌って2週間経ちますけど、ずっと脳裏をよぎっています。カナダ合同教会で生まれた賛美歌だそうですが、近く日本語でも歌えるようにしたいと思っています。
私たちが描くことができるのは小さな輪かもしれません。でもそれをみんなで大きくしていくことができます。それは希望です。希望があるから唇に自然に歌がこぼれ出てくるのです。
サンフランシスコから遠く離れたニューヨークに「ハーヴェイ・ミルク高校」という学校があります。ここはLGBTQ+の生徒を受け入れる公立高校です。当事者である子どもたちを差別から守るその学校の前身は1985年、ミルクの遺志を継いだ2人の教育者が、ウェスト・ビレッジのビルの一室で始めた小さな学校でした。それが今や公立高校となっている。なんと素晴らしいことでしょう。
ミルクは生前よくこう語っていました。
「人は希望がなければ生きるに値しない」。
彼は何よりも、LGBTQ+の子どもたちに希望を与えることを願っていたのです。
神は絶えず私たちにも希望を与えてくださいます。ときに悲しい事件や出来事を通して、その希望が涙や失望にかき消されることがあります。しかし神はそれでも私たちに希望を与えてくださるのです。この希望を胸に、一歩一歩、前へ前へと進むことができれば、私たちはこの上なく幸いなのではないでしょうか。