ミカ書5:1-5;マタイによる福音書5:1-12
「平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。」
私たちは今日、第二次大戦の敗戦から80年を迎え、平和を祈り求める礼拝を捧げています。
1967(昭42)年のこと、私たちの日本キリスト教団は「第二次大戦における日本の侵略戦争に協力し、神の正義にそむいた」ことを公に鈴木正久議長(1912−1969、議長として1966−1969在任)の名前で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(戦争責任告白、戦責告白)」として表明しました。それは、敗戦から22年という歳月を経てなされたものでありながら、私たちの教団とそこに連なる教会が歴史の中で犯した罪を明確に認めた、きわめて重要な信仰の宣言です。
私たちの代々木上原教会では、「私たちの教会の姿勢」として定められた文章の第2項にこのように書かれています。「『戦争責任告白』の精神に沿い、世界の、とくにアジアの諸教会と協力して和解を追い求め、寛容の精神をもって他宗派・他宗教の人々とも対話しつつ、真の平和を実現するために努力したいと願っています」。
この告白には、単なる反省ではなく、「悔い改めとゆるしを請い求める祈り」「新たな出発への決意」が込められています。今日、私たちはこの悔い改めを、過去の問題として見過ごすことなく、私たち自らの信仰と行動の根幹として受け止め直す必要があります。
マタイによる福音書5章9節は、「平和を実現する人々は、幸いである」と語ります。「平和をつくり出す」とは、単にあらゆる戦争に反対することではなく、暴力と差別を許さない生き方を私たち自身が具体的に選び取ることです。戦争責任を告白した私たちに求められるのは、「平和を語る者」ではなく「平和を告げる者」でもなく主イエスが仰せになったように「平和を実現する者」になることです。
第二次大戦下において、日本の教会は国家の神権化に抗うことなく、むしろそれに協力し、戦意高揚に加担しました。つまり聖書の神を多くの信仰者たちは踏み潰していったのkです。一方で「神の栄光のために」と唱えながら、人のいのちと尊厳を軽んじたのです。それは、戦争責任告白の中にも触れられている「わたくしどもは『見張り』の使命をないがしろにいたしました。」と、教会が本来果たすべき「預言者的使命」から逸脱した姿でありました。
私たち人間は過去の罪を「済んだこと」としてしまいやすいのです。しかし、神の前に悔い改めることとは、一度きりの行為ではなく、日々新しくされる生き方です。「戦争責任告白」もまた、1967年で完結するものではありません。それは、現在の教会の姿を問う証しでもあります。ドイツのヴァイツゼッカー元大統領(1920-2015)は演説の中で「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」と言われたことは有名ですが、まさしくその通りだと思うのです。
たとえば、今日の世界には分断、排外主義、民族差別がはびこっています。難民を拒み、他国に対して敵意をあおるような政治の動きがあります。私たちは最近になって頻繁に教会はそのような流れの中で、「和解の務めを担う者」として声を上げているでしょうか? 沈黙してはいないでしょうか? 告白文の結びに「日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように」とありますが、私たちは今、祈り、行動することが求められています。
パウロはコリントの信徒への手紙Ⅱ5章18節でこのように記しています。
「神は、……和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」
和解とは、相手を「許す」ことだけではなく、自らが傷つけた側であることを認め、ゆるしを請うことから始まります。そして、関係を修復し、新しい平和の関係を築くことです。1967年の日本キリスト教団の戦争責任告白とは、まさにその第一歩でした。だからこそ、私たちは今、戦争の記憶を忘却してはならないし、若い世代に語り継がねばなりません。「記憶の継承」は「悔い改めの継承」なのです。
私たちの礼拝が、過去の悔い改めの上に築かれるとき、そこには真の平和への志が芽生えます。私たちは平和を祈る者であるだけでなく、それを実現する責任ある信徒として生きるのです。
神は人間の心からの悲鳴に耳を傾けられます。それだけではなく、神の心にその叫びが届いたとき、神は働かれます。たった一人の人間の叫びや嘆きを聞き逃されることはありません。主イエスがこの山上の説教をされたその時代、細かい律法を守ることなしに人間は救われない、とされていましたから、この主イエスの呼びかけは、この群衆にとっては意外なものでした。
5節のところからごらんください。「柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける」。
「柔和な人々」「義に飢え乾く人々」「憐れみ深い人々」になりなさい。ここでは私たちが平和に生きるために、私たちの関わる人たちにも、関わらない人たちにも、より心を開いていくようにと主イエスは教えられました。
「柔和な人」とは、どんなことがあっても相手を受け止めていく心を持った人のことです。本田哲郎神父の訳した聖書では「人の痛みが分かる人は、神からの力がある。その人は自分の痛みを分かってもらえる」となっています。「柔和な人」というのは言い換えてみれば、「心から人を愛することができる人」であろうと思います。相手を見て、その罪や、醜さや未熟さや欠点ばかりが目に点いてしまい、自分から壁を作ってしまう人は「柔和な人」ではありません。私たちは、少しのことで気を尖らせ、自分に不利益なことが生じれば、イライラして相手を責め立ててしまう性分があります。またたいてい自分の心を守るために、相手の悪いところを重箱の隅をつつくように並べてみたりするのです。私たちは果たして「柔和な人」なることが出来るのでしょうか。そんなことは不可能じゃないか……そう思ってしまうのではないでしょうか。しかし、主イエスのご生涯では、そのことを、身をもって証ししました。イエスの生き様を振り返るときにそこには、十字架の死に至るまで一人ひとりの人間を大切にする心が生きていました。一人の人間を大切にして、相手に何が必要かを考え、相手の幸せを願って、自分のためではなく他者のために力を使う。それが「義に飢え渇く」「憐れむ」「平和のために働く」という私たちの具体的な行動に現していきなさいと言われるのです。
この説教の後で、聖公会の聖歌集に収められている「沖縄の磯に」という聖歌をもって神を賛美したいと思います。この聖歌を教えてくださったのは、私の学校の同僚でもある東中野教会牧師で、教団讃美歌委員会の委員長の責任を負ってくださっている浦上充牧師です。浦上牧師は毎年6月になると、太平洋戦争の沖縄の地上戦が繰り広げられたことを覚えて、生徒たちに礼拝でメッセージをしてくださいます。私たちの学校の生徒たちの中には毎年の研修旅行で沖縄を訪れる者たちもおります。浦上牧師の手記から引用させていただきます。
「沖縄という土地は、豊かな自然や文化が残されている一方で、歴史的には、本当に多くの痛みを経験してきた場所でもあります。江戸時代に島津家によって虐げられ、明治期に「琉球王国」が滅び、「日本」に併合されましたが、根強い差別は残っていました。そして太平洋戦争の時には、当時の言葉をあえて使うのであれば「本土の防波堤」として、捨て石とされました。そして今も、「基地の問題」など、利害関係が複雑に絡み合っています。(中略)この賛美歌は、沖縄の伝統的な「琉球音階」で作られ、繰り返しのところでは、「ヌチ ドゥ タカラ」と、琉球の言葉で歌われます。また2節では、「海が血に染まり、ガマと呼ばれる洞窟の中で、人々が救いを求めながら死んでいった時、神はどこにおられたのか?」という厳しい問いかけが綴られています。きれいごとではないのです。本当に多くの人の命が奪われました。そして私たちも、「やまとんちゅ」とも呼ばれる、沖縄ではない、この場所で生きる人間として、この沖縄のことを、そして現地で負わされている「多くの痛み」と、しっかりと見つめなければならないと思っています。」
私たちの「戦争責任告白」は残念ながら沖縄での出来事について言及しておりません。しかし、この「沖縄の磯に」という聖歌を今ここで歌うことによって、今なお基地の問題などを負わされている沖縄の方々を忘れず「平和を求める祈り」として今日の平和聖日の礼拝で声を合わせたいと思いました。
「戦争責任告白」は、私たちに今日も問いかけ続けます。
「あなたは、この世の中で、キリストの和解の福音の言葉に、生きているか?」
今こそ、私たちは信仰によって立ち、祈り、語り、行動する者へと変えられたいと願います。それが、「神の子」と呼ばれる者の生き方です。