申命記30:11-14;ガラテヤの信徒への手紙3:26-28
宗教改革記念日の礼拝にお招きいただき、ありがとうございます。「宗教改革とエキュメニズム」と題してお話をさせていただきます。私は現在、日本基督教団、日本福音ルーテル教会、日本聖公会などの7つの教団とキリスト教系団体が加盟する、日本キリスト教協議会(NCC)の働きにかかわっています。NCCは「今この時に、神は私たちに何を求めておられるか」について教派を超えて共に考え、行動しようとするエキュメニカル運動の調整役を担うものです。
「教派を超えて」ということですが、私自身は日本福音ルーテル教会というルター派の教会のメンバーです。ですが、私は曽祖母、祖母、母から信仰を受け継いだ4世代目のクリスチャンでもあり、家族の中で最初に受洗した曽祖母は、日本基督教団の信徒でした。曽祖母は中途失明者であり、また、熱心なクリスチャンでした。どのくらい熱心かと言いますと、曽祖母は目が全く見えないのに、教団の月刊誌の『信徒の友』を購読していたと母から聞いているくらいです。母はよく曽祖母に讃美歌のカセットテープをプレゼントしていた、とも聞いております。そんな教団信徒の曽祖母は、代々木上原教会の皆様がひ孫の佐和子、しかもルーテルの佐和子を、教派を超えて、特別な日の礼拝に招いてくださったことを、天国でたいそう喜んでいるのではないかと想像しています。私も感謝の思いでいっぱいです。
さて、私の母は、教団の同志社系の教会の信徒で、キリスト教幼児教育を学び、教団の教会幼稚園で働きました。その後、ルーテルの幼稚園に移ったことをきっかけに、ルーテルに転会しました。そのあとに生まれた私と弟は、ルーテル教会で小児洗礼を受け、ルーテル教会で育ちました。そして、私は一般就職をしてから、訳あってキリスト教と本気で向き合う必要性に迫られた際に、曽祖母、祖母、母の信仰のルーツである京都の同志社で学ぶことになりました。同志社は教団の認可神学校です。そのようなわけで、私は教団とルーテルの両方にルーツを持っていることになり、どちらにも親しみがあります。もちろん、それゆえの「悩み」も経験したのですが、教団とルーテルが共に、日本キリスト教協議会(NCC)の加盟教会であることは、今でも私にとって大きな喜びであり、励ましとなっています。
エキュメニズムとは何か
さて、この流れで「エキュメニズムとは何か」について少しお話を進めたいと思います。日本のNCCは「キリスト教協議会」(Christian Council)ですが、世界各地では「教会協議会」(Council of Churches)という名称もよく用いられています。例えば、韓国のNCCはNCCK、フィリピンのNCCはNCCPといいますので、日本のNCCは厳密にはNCCJといいます。それぞれのNCCは国内でのエキュメニカル運動のハブとして機能しており、同時に、アジア地域レベルでも、世界レベルでも、教派を超えたつながりを支えています。
エキュメニカル運動はよく「教会の一致」を目指す運動だと言われますが、私の理解では、少しだけ違います。どの教団、教派に連なっていたとしても、キリスト者は皆、ただ一人の神、ただ一人のキリスト、一つの聖霊、一つの洗礼を分かち合っています。その意味で、「キリストにおいて一つである」という「教会の一致」は、人間の側が、がんばって獲得しようとするものではなくて、すでに神から与えられているものなのではないでしょうか。エキュメニカル運動とは、私たちの間にすでに与えられている一致、しかしながら、人間の罪のために見えなくされている一致を、神の助けによって、少しずつ回復させていこう、再発見していこうとする運動なのだと私は考えます。そして何よりも、エキュメニズムはイエスの祈りに共鳴する信仰運動です。キリスト者は皆、主の弟子であろうとする人々ですが、他ならぬキリスト・イエスご自身が「すべての人を一つにしてください」と祈っているということを今一度、心に留めたいと思います。
20世紀に始まるエキュメニカル運動は、宣教と伝道、神学研究や対話、社会正義のための奉仕の働き、教育、学び合いなど、もともと幅広い関心を持つものです。今日では、エキュメニカルな課題は、人種差別、性差別の問題への取り組みから、先住民、障がい者、移民、難民、無国籍の人々の尊厳と権利を守ること、核兵器の廃絶、宗教間対話まで、多岐にわたります。その内実の豊かさゆえに、エキュメニズムはどうも「つかみどころがない」のですが、この運動の基本を一言でいうと「出かけていくこと」と「出会うこと」です。二言になっているような気もしますが。この運動の出発点となったのは、1910年にスコットランドのエディンバラで開かれた世界宣教会議です。そこで議長を務めた米国メソジスト教会のジョン・モットという信徒のエキュメニカルリーダーは、日本を含むアジア各地を旅して、それぞれの場所でのエキュメニカル運動の下準備を助けました。また、私が院生時代に師事していたタイ北部のフェミニスト神学者のチュリーパン・スィーソントーン牧師は、タイ国内でも、東南アジアでも、常に飛び回っておられました。そのため、この運動に向いている人の条件としてよく言われているのは「旅が苦でないこと」、もう一つは「頭のネジが数本緩んでいること」です。
そして、エキュメニズムの最大の特徴は「分断の問題に取り組む」という点にあります。世界には様々な分断や対立がありますが、キリストを主と告白する教会もまた例外ではありません。私たちは自分たちの教会を指してわりと簡単に「キリスト教」という言葉を使いますが、厳密に言えば、キリスト教はローマ・カトリック教会、正教会、プロテスタントから構成されていますし、プロテスタントも諸教会に分かれていますので、その中身はきわめて多様です。世界宣教の時代には、宣教師たちは互いに競合し合うライバルでした。そして、歴史を遡ってみるならば、ローマ・カトリック教会とプロテスタント、ルター派との間に深刻で、決定的な分断をもたらしたのは、今日私たちが記念する「宗教改革」に他なりません。
宗教改革をどのように記念するか
それでは、宗教改革記念日を私たちはどのように記念したらよいのでしょうか。1517年にルターがヴィッテンベルクの城教会に「95箇条の提題」を貼り出したことは、よく知られている通りです。宗教改革運動は、ルター派をはじめとするプロテスタント諸教会を誕生させましたが、他方では、それはローマ・カトリック教会とプロテスタントとの分断の出来事でもありました。西方教会の一致を壊すことは、16世紀の宗教改革者たちの意図したことではなかったとしても、です。宗教改革記念日に私たちが招かれているのは、もちろん、中世の時代、16世紀のカトリック教会に対する批判や非難、断罪ではありません。
そこで思い起こしたいのは、宗教改革運動のモットーが「教会は絶えず改革し続ける」という謙遜の呼びかけであったという点です。例えば、ルター派の教会では、現在でもルターの生涯、ルターの言葉、ルターの神学が折りに触れて強調されますが、それは、ルターを絶対視することとイコールではありません。世界のルーテル教会はルターを神聖視しません。彼の言葉を吟味して、必要に応じて退けることもあるのです。例えば、ルターは人種差別的な視点を持ち、奴隷制を許容してきたと指摘されていますが、今日の教会はそのような差別的態度を受け入れません。また、ルターは反ユダヤ主義的な文書を書いて、ユダヤ人を攻撃し、差別を煽動したことさえあるのですが、ルーテル世界連盟(LWF)は1984年にこれを受け入れないことを正式に決めています。これらの点を踏まえて、宗教改革運動が「教会は絶えず改革し続ける」というメッセージを持つものである点を、私は今日、皆様と記念したいと思います。
それでは、宗教改革では一体、何が教会を分断したのでしょうか。その要因は様々ありますが、日本の代表的なルター派神学者である徳善義和先生、私にとっては幼稚園の園長先生は、両教会は「イエス・キリストの福音をどう理解するか」という点、すなわち、「義認」の理解において決定的に分裂したと説明されています。ルター派は、神の恵みによる、キリストのゆえの、罪の赦し、救いは「信仰によって受けるものなのだ」ということ(信仰義認)を『アウグスブルク信仰告白』(1530年)などで主張しました。これに対し、カトリック教会はトリエント公会議を通してこれに応じ、教皇レオ10世はルターを異端者であると宣言し、破門にしました。互いの書いた文書を燃やすなど、激しく、醜い争いがありました。その意味で、宗教改革は「義認」をめぐる意見の対立をもとに、「相互に斥けあい、断罪し合うという400年以上にわたる歴史の始まり」(徳善義和「解説 『義認の教理に関する共同宣言』を理解するために」、ローマ・カトリック教会/ルーテル世界連盟(ルーテル/ローマ・カトリック共同委員会訳)『義認の教理に関する共同宣言』、教文館、2004年、83頁)です。そして驚くべきは、そのようにして示された両教会の立場が「20世紀に至るまでその妥当性を持ち続けてきた」(同上、84頁)という点です。その結果、カトリックとプロテスタントの分断は固定化され、互いへの無関心まで生み出すようになりました。
カトリックとプロテスタントの関係性に変化がもたらされたのは、1960年代の前半に開かれた第二バチカン公会議です。それまでのカトリック教会でも「教会の一致」は願われてきましたが、それは、(正しきに帰ると書く)「帰正」と言って、不幸にもカトリック教会から離れていってしまった人々が、唯一の、普遍的、使徒的教会であるカトリックに戻ってくること、という意味での「一致」でした。しかし、第二バチカン公会議を経て、カトリック教会は、自らを「終末への途上の存在」として捉えるようになります。したがって、カトリック教会もまた改革され続けなければならないとして、一致、エキュメニズムに対して前向きな姿勢を示されるようになりました。
1960年代半ばになると、米国でルーテル教会とカトリックの神学的な対話が始まります。まずは共通の信仰を「ニケア信条」(ニカイア信条)で確認し、対話は国際レベルに広がっていきました。来年、2025年は「ニケア信条」から1700年を記念する年で、エジプトで大きな会合が持たれることになっています。日本では、カトリックとルター派の対話は1984年に始まりました。私たちが親しんできた1987年の『新共同訳聖書』がその大きな実りであることも思い出されます。
そして、様々な試みの中でも、宗教改革記念日に特に思い起こしておきたいのは、30年以上にわたるエキュメニカルな神学的対話の歴史を経て、カトリックとルーテルが1999年に正式に署名した「義認の教理に関する共同宣言」です。宗教改革以来、両教会は「義認」をめぐって最も深刻に対立してきましたが、互いの理解についての詳細な研究、聖書に遡る共同研究を経て、「16世紀に互いに交わし合った『断罪』はもはや当てはまらない」ということを、ついに宣言することができました。義認の教理に関して、宗教改革当時の非難は今日のルーテル教会、ローマ・カトリック教会には妥当しない。それが、今からちょうど25年前の「義認の教理に関する共同宣言」なのです。
そして、「もはや互いを断罪しない」というこの宣言は、単にルーテルとカトリックの間の出来事と見なされるのではなく、教派を超えて、大切に受け止められていきました。2006年には世界のメソジスト教会が、2017年には世界の改革教会が、この共同宣言を我が事として受け入れました。さらには、アングリカン・コミュニオンと呼ばれる全世界の聖公会も、2016年にその内容を歓迎し、支持すると表明しています。2019年には、5つの教派が合同で、「義認の教理に関する共同宣言」の20周年を祝いました。これが日本語に翻訳されたのは2004年のことなのですが、その時に初めて日本のカトリックとルーテルは合同で礼拝することができたと言います。私たちの想像を遥かに超えて、宗教改革は教会を分断してきたのだと感じずにはいられません。
しかし、繰り返しますが、宗教改革運動のメッセージは「教会は絶えず改革し続ける」ということですから、正にそのように、長い年月をかけて、諸教会の関係性は変えられていきました。2017年には「宗教改革500周年」を迎えましたが、その際、カトリックとルーテルは合同で宗教改革を記念することができました。日本でも、両教会は長崎に集って、共に500周年を記念しています。
絶えざる改革に向けて
それでは、今とこれから、教会はどのように改革され続けることができるでしょうか。私にとって身近な例を挙げますと、日本のNCCでは、今年3月の総会で「ジェンダー正義に関する基本方針」を採択するという新しい試みが行われました。足掛け4年の大仕事でした。「ジェンダー正義」はまだ耳慣れない言葉だと思いますが、ジェンダーやセクシュアリティを理由とするあらゆる暴力、差別、排除に抵抗すること、一人ひとりは神の像に造られた、尊厳ある大切な存在であることを伝える「ジェンダー正義」もまた、「神の正義」の欠くべからざる一部分なのだという認識は、10年ほど前から、世界の教会で共有され、宣言されるようになっています。私は仲間たちとともに、「ジェンダー正義に関する基本方針」を準備する役割を与えられたのですが、当初は、本当にそんなことができるのだろうかと不安でした。率直に言えば、教会は本当に変わっていけるのかな?ということが、心配だったのです。
ですが、教団、ルーテル、聖公会など、様々な教会から心強いパワフルな仲間が集まり、そこからさらに人の輪が広がりました。アジアのいくつかのNCCにも助けていただきながら、先輩世代からの助言、若い世代からの声、加盟教会・団体からの意見をふんだんに取り入れた基本方針が出来上がりました。これが採択された時、私は、キリスト教研究や教育にかかわっていながら超今更なのですが、「神は存在する」と思いました。エキュメニカルにつながれば、「一人では決してできないようなことが、できるようになる」と知ったからです。それから私は、「現在進行形の『宗教改革』は存在する」とも思い知らされました。教派を超えてつながれば、「一つひとつの教会では始めにくいことでも、始められるようになる」ということを、初めて体験できたからです。エキュメニカルな連帯の興味深いところは、今それぞれの教会がどのようであるか、という「現状」でつながるのではなく、今とこれから、どのような教会へ刷新されていくように神から招かれているのか、という「ヴィジョン」でつながる点であろうと私は思います。
宗教改革記念日は、16世紀の分断の出来事、そして、その後の一致に向けた道のりを覚えると共に、これからの改革を思い描く日です。教会と社会には課題が多く、また、一人ひとりの時間や労力、意欲や関心には限りがあります。イエスの語る「神の国」のヴィジョンを、本当にリアルなものとして思い描くことが難しい時もあります。それでも、私たちが様々な場所で、少しずつ担う働きが、信仰者の集合的努力を形作るのであって、そのような働きの限界のその先に、働いていてくださる神に信頼することが、今とこれからの絶えざる改革の鍵になるものと信じます。