「わたしの記念として」Iコリント11:23-26 廣石望


出エジプト記24:1-11; コリントの信徒への手紙I 11:23-26

I

 使徒信条の第一項に、「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」とあります。広く通用しているラテン語版では、「私は(一人の)神を信じる、(すなわち)全能である父、(かつ)天と地の創造者をCredo in Deum, Patrem omnipotentem, Creatorem caeli et terrae」です。日本語訳は、後ろから訳したのですね。
 「全能である父」という表象について、とりわけフェミニスト神学において、家父長制が女性差別を正当化するのを助長してきた、という批判があります。しかし、もともと「父」とは慈しみ深い保護者というニュアンスです。それは、どんなときも共にいて、今ここで私たちに救いをもたらす現実です。また「天と地の創造者」という形容は、神なくして、この世界も私たちも存在しないという理解を含みます。未来にありうることも現にそうであることも、神なしにはありません。神は、あらゆる現実を現実であらしめ、そこに現臨する働きです。
 もちろんこの世界には、〈神も仏もあるものか〉と思われるような悲惨なできごとが起こります。今もそうです。この告白は、そこにも父なる神は共にいると答えます。イエスは「君たちの父なしに、一羽の雀が地に落ちることはない」と教えました(マタ10:29参照)。この箇所を、新共同訳その他は「父のお許しがなければ」と訳しますが、原文に「お許し」の語はありません。おそらく〈父なる神が共に落ちる〉、つまり小さい命の死の中に、神は共に歩み入るという意味でしょう。
 本日の聖書箇所である「主の晩餐」の制定は、使徒信条にあるような神への告白の形成に寄与したテクストの一つです。いったい何があったのでしょうか。イエスがそこに託した意味は何だったのでしょう、また、原始キリスト教が「わたしの記念として」という言葉を通して、聖餐式に与えた意味は何でしょうか。

II

 いわゆる最後の晩餐は、生前のイエスが、「罪人」と呼ばれる宗教的無資格者たちと共に祝った「交わりの食卓」の延長線上にあります。

東から西から人々が来て、アブラハムとイサクとヤコブと共に、神の王国(の宴)で横たわるであろう。しかし王国の息子たちは、外の闇に投げ出されるであろう。そこには嘆きと歯ぎしりとがあるであろう。(ルカ13:28-29並行〔廣石による再構成〕)

イエスにとって「神の王国」は宴です。死から呼び覚まされたアブラハムその他の族長たちが宴の主催者として、天上世界から降臨し「東から西から」人々を招きます。招かれる人々は、離散のユダヤ人だという説もありますが、おそらくは異邦人たちです。他方で、自分たちには民族的特権があると思い込んでいるユダヤ人たちは、宴から追い出されるというのです。イエスの宴はエルサレム神殿ではなく、ガリラヤの村落の広場や家々で祝われました。しかも律法遵守その他の、参加条件には何ら言及がありません。罪人たちとの「交わりの食卓」というイエスによる地上の実践は、じきに到来する「神の王国」を先取りする、その前夜祭だったのです。
 そして、マルコ福音書が伝える最後の晩餐の場面の結びに、次のようなイエスの言葉が残されています。

アーメン、君たちに私は言う、私はもはや葡萄の実りから決して飲まない、神の王国においてそれを新たに飲む、かの日までは。(マコ14:25参照)

これは〈この次は、神の王国で共に祝おう〉という意味でしょう。つまり前夜祭はこれで終わり。イエスは自身の非業の死をも、おそらく予感していたのではないでしょうか。
 今日のテクストの杯の言葉には、「契約の血」という表象が現れます。

この杯は、私の血における新しい契約である。(1コリ11:25参照)
これは、契約(のため)の私の血、多くの者たちのために注がれるそれである。(マコ14:24参照)

「契約の血」とは、先ほど朗読した出エジプト記24章の契約締結のエピソードのことです。すなわち「契約の書」(出20:22-23:33)が朗読され、民の合意を受けてそれが書き留められた後、山の麓では祭壇が築かれて全焼と和解の供犠が捧げられ、その血の半分は祭壇に、残りが民の上にふりかけられ、そのさいにモーセが「みよ、契約の血である」と宣言します(出24:4-8)。
この場面に続いて、モーセと民の長老たち70人はシナイ山に登ります。

そして、彼らはイスラエルの神を見た。その足の下は青玉の敷石の細工のようで、空そのもののような澄み方だった。イスラエルの子らの主だった者たちに神は手を伸さなかった。彼らは、神を視て、食べて飲んだ(出24:10-11〔小幡藤子・山我哲雄訳〕)

神の足の下に「空そのもののよう」に澄んだ青玉の敷石があるとは、モーセと民族指導者たちがイメージ的には「天上界」に移動したと理解できます。地上では契約の血が注がれ、天上界では神と共に「食べて飲んだ」、つまり食事式が祝われます。イエスは最後の前夜祭を、自らの運命を含めて、天上の宴に直結するものと理解したようです。

III

 では、コリント教会に宛てられたパウロの書簡において、イエスの最後の晩餐ないし聖餐式は、どのように意味づけられているでしょうか。
 彼らが何曜日に、どのように礼拝式を祝っていたのかについて、詳しいことは分かりません。でも、この個所を見ると、当時のユダヤ社会における通常の食事式の作法が、ほぼそのまま採用されたようです。つまり「パンをとる」(1コリ11:23)は晩餐の開始を、そして「晩餐の後」に「杯をとる」(同25節)はその終わりを、それぞれ意味します。じつは、それに続いて食事式の第二部として「飲み会」が始まりますが、初期キリスト教共同体では、その部分で説教その他の講話がなされたようです。つまり食事式が礼拝の枠だったのです。
 今日の箇所の前後を取り囲む枠の部分に、コリント教会における聖餐式の理解をうかがわせる文言が現れます。
 冒頭に「私自身が主から受けたことを、君たちに伝えもした」(23節参照)とあるのは、伝承の受け渡しを示唆します。最初の伝承が生まれたのは、おそらくエルサレム原始教会です。それが、パウロが長くメンバーであったアンティオキア教会にも、伝えられていたのでしょう。それがコリント教会にも伝えられました。
 次に「君たちがこのパンを食べ、そして杯を飲むごとに」(26節参照)とあることから、食事式を枠とする礼拝が定期的に繰り返されたことが分かります。そして、それは「わたしの記念として」なされました。原語は「私の想起のために」というほどの意味で、コリントの人たちにとって、それは親族である死者の記念祭、私たちでいう法事や召天者記念礼拝を連想させます。つまり、今は死んだイエスの生前のあり方を想起することが聖餐式の、というか礼拝式の主たる目的でした。
 そして最後には、「君たちは主の死を告げ知らせるのだから――彼が来るまで」という一文が出ます(26節参照)。イエスは昇天して今や天にあり、やがて審判者として天から到来するでしょう。そのときまで、キリスト教共同体は、主イエスの「死」を告知し続けるというわけです。
 イエスの死は暴力的な虐殺の死でした。しかし、そこに神は共にいた。彼はイエスと共に死の中へと歩み入り、彼を死者たちの中より起こし、天高く引き上げた。そうすることでイエスを天上の宴の喜びに加えた。やがて、そのイエスは来たり、自分がこの世界すべての現実の規準であることを示すでしょう。

IV

 「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」とは、基本的にはユダヤ教と共通する神告白です。キリスト教に独自な特徴は、イエスの運命がこの神を、また世界のあらゆる現実を理解するための規準となったことです。「わたしを記念して」とは、そのような意味をもつ言葉になりました。