歴代誌上29:10‐13;ルカによる福音書11:1‐13
「主よ、・・・・・・わたしたちにも祈りを教えてください」(1節)
主イエスの弟子たちも、彼の教えを学んでいくうちに祈ることの重要性に気がついたのでしょう。それは主イエスご自身が熱心に祈っておられたからです。さまざまな場面で主が祈る姿は福音書にも伝えられています。
主イエスはまず、神を「父よ(アッバ)」と呼ばせます。主イエスご自身がしばしば神に向かって「アッバ」と呼んでおりました。これは神が男性なのだということを強調しているのではなく、乳幼児の言葉で「お父ちゃん」というようなニュアンスを持つ言葉です。このように呼びかければ、神に深い愛情と信頼を込めることができるようになるでしょう。神は天の遥か遠くで私たちを見ているのではなく、私たちの親のように、近くから親しく見守ってくださる、そのように神を意識しなさい、ということです。
さて、この「主の祈り」にいくつも出てくる言葉があります。
このように問いますと「~されますように(給え)」ではないかと言う人がいます。「御名が崇められますように。御国が来ますように」。今日のルカ福音書版の主の祈りにはありませんが、マタイ福音書が伝える主の祈りには、「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」(マタイ6:10)という言葉もあり、確かに多く出てくるのですが、最も重ねられるのは「わたしたち」という言葉です。主の祈り、私たちは通常マタイ版を用いていて、今日のルカ版のほうには「わたしたち」と付けられていない箇所もありますが、マタイ版の祈りでは、「わたしたちの父よ」から始まり、2回目が「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」。そして「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」に2回続けて出てきて、それから、「わたしたちを誘惑に遭わせず」で計5回出てきます。
普段この祈りを捧げる時には、あまり気にも留めなかったと思うのですが、これは大切なことを言い表しています。「主の祈り」は「私ひとりの祈り」ではなくて、私たちの祈り、みんなの祈りだということを主は教えているのです。私たちは、ふだんいつも「自分だけ」のことばかりに思いをはせているのではないでしょうか。たとえば、自分の家、自分の仕事、自分の生活、自分の収入、自分の教会……。主イエスが「主の祈り」で教えたかったことはたくさんあるでしょう。しかし、その中でもいちばん基本的なことのひとつは、私たちが自分のことだけでなく、みんなのことを考えよう、みんなで生きようということではないでしょうか。「主の祈り」を祈るたびにそれを思い出しなさいと、主イエスは言いたかったのではないでしょうか。
たとえば旧約聖書の時代の信仰は、神と個人ではなく神と神の民、あるいは神と国家というような単位で物事を考えていきます。共同体の意識がとても強く現われています。まさに自分だけが生き延びようとするのではなく「倒れる者は助けながら」という世界です。国は滅び、人びとは散り散りになったけれども、神は必ず立ち上がらせてくださるという信仰です。
ふたたび「主の祈り」の話にもどりますが、私たちはいつも礼拝の時に、あるいは普段の生活の中で、「わたしたちに必要な糧を毎日与えてください」(3節)。神は食べるもの、必要なものを与え、私たちを成長させて下さる方です。主イエスの時代には多くの人々が貧しい状態に置かれ、栄養失調のために死亡する子どもの数もひじょうに多かったと言われています。ある説によれば、産まれてきたこどもの半数は10歳になるまでに命を落としたといいます。そのような中でお腹をすかせた子どものために親は何とかして食べものを手に入れ、「良い物を与える」ために力を尽くしました。
ここでも大切なことは「わたしだけの糧」を祈るのではなく、「わたしたちの糧」について祈るということです。福音書の中にも主イエスが食事をする場面はたくさん出てきますが、主はいつも誰かと一緒にパンを分かち合っておられます。神学者でカトリック司祭であったレオナルド・ボフという人は「神はわたしのパンのみを求める祈りには耳をお貸しにはならない。(中略)わたしたちのパンだけが、神のパンなのである」。という言葉を残しています。
さてこれからお話することは、現在地方の教会で牧師をしておられる方が経験されたことです。以前私が編集の任を負っておりましたキリスト教雑誌に手記を寄せられたものを今日はご紹介します。
ある日、その方はいつもの駅近くの古い小さなパン屋さんで、食パンを固まりで一本買って帰宅しました。その次の日に、大震災が起こりました。その方の住んでいた辺りでは、たくさんの家が倒壊しました。崩れた家の下敷きになって出て来られない人や、亡くなった人たちがたくさんありました。外に出てきた人たちは、力を合わせて壊れた家にとじ込められた人たちを助け出そうとしました。大きな余震も次々に起こっていました。とりあえず、助けられる人を助け出すと、人びとは安全な場所を求めて動き始めました。近所に住んでいて、いつも日曜日に教会で礼拝をしている人たちが、教会に集まりだしました。教会の建物も地震で倒壊していましたが、周りに集える広い場所がありました。知っている顔が揃いだすと、少しほっとできたそうです。そしてみんなが、地震が起こってから何も食べていないことに気がついたそうです。
その方の家の中はめちゃくちゃになっていましたが、買ったばかりのパンがあることを思い出して、家にもぐり込んで探すと、パンが見つかり、持ち出すことができました。みんなのところに持っていって「パンがあります」と言うと、緊張と不安で固くなっていた一人一人の顔が、ふっと嬉しい表情になったそうです。大きなパンの固まりをちぎって分け合い、子どももおとなもみんなで一緒に食べたそうです。
大きな一斤の食パンでしたが、大勢でわけると一人に与えられる分はわずかでした。それでも食べるものがあったということ、一つのパンを分け合って、そこにいたみんなで一緒に食べられたということは、体にも心にも生きる力を生み出しました。さあ、これからどうしていこう、と考える勇気を与えてくれたそうです。
その後だいぶたってから、その時に食べたパンを焼いたお店が、震災で全壊してしまったことをその方は知りました。あの時、みんなで分け合って食べたパンは、そのお店で作られた最後のパンでした。その最後のパンが、震災に遭われた人々の最初の食事になり、生きる力につながったそうです。一つのパンを分け合うことは、私たちが一緒に生かされていることをしみじみと理解させてくれます。そして、パンを与えられたことで、私たちはみんな、神から愛されていることを思い起こすことができます。そのことで人がこれからも生きていく力になりました。この話を子どもたちや若い人たちにもお話ししたことがあります。「アンパンマンみたいだ」とか「聖餐式を思い出す」という声も聞かれました。
今日の箇所で主イエスは、弟子たちにどのような心で祈るべきかを、たとえ話を用いて話されました。まず、耐え忍んで、絶え間なく祈るように教え、そして真夜中に戸を叩いてパンを分けてくれるように頼むとき、相手が友人なら普通ならば断らないだろう。たとえ、それを断る人がいても執拗に頼むならば、必要に応えられるだろう。私たちも忍耐強く「たたき続ける」ならば必ず門は開かれ、求めるものは与えられるのです。
この9節からの「求めなさい、そうすれば与えられる」というこれも有名な聖書の言葉です。最初にこの言葉が語られた人々と言うのは求めても与えられず、探しても見つからず、意を決して叩いたとしても門を開けてもらえなかった状況にあった人々であることが推測できます。9‐10節は物乞いの振る舞いを描写しているとも言われています。主イエスの視点はいつも被差別者として最下層に置かれていた人々、社会的弱者にありました。その人々と共に請い求めよう(9節)とするものです。主は彼らと一緒に飲み食いする交わりや今すぐにでも癒しを必要としている人を癒し、貧しく、低くされた境遇に置かれてしまった人々の願いに応え、社会の只中に「神の国」を実現しようとしました。主の祈りの「御国が来ますように」(2節)という1行も、それらの人々がいきいきと生きていくことができる共同体を生み出していく行動に結びついての祈りです。
そして主イエスは、神がどれだけ私たちを愛しておられるかを思い起こさせます。どんなに悪い人間でも自分の子がお腹をすかせていれば、良い物を与えるでしょう。神の愛は人間の愛よりはるかに大きいものです。神は求める者に聖霊を賜るでしょうと主イエスは仰せになります。だから安心して、大いなる希望を持って祈りなさいと励ましてくださいます。
この祈りを通して私たちは力を与えられ、成長し、再びこの祈りから勇気をいただいて世界へと遣わされていきます。救世軍の方々のモットーですが、「心は神に、手は人に」という言葉があります。神から受けたものを、人びとに運んでいくのが私たちに託された務めです。このことを心に刻みながら、受難節の旅を続けていきましょう。
(参照:「教師の友」第62巻4,5,6号、日本キリスト教団出版局)