出エジプト記20:1-7;マタイによる福音書5:37、26:52
昨日2月11日は、日本のプロテスタント教会では「信教の自由を守る日」として守られています。はじめになぜ私たちプロテスタントは「紀元節」「建国記念の日」と呼ばれるこの日を拒否し、「信教の自由を守る日」としているのかということについてお話しをしたいと思います。
日本で最も古い歴史書の一つである、『日本書紀』に神武天皇が即位したと記されている日を「紀元節」といいます。第2次大戦の前は、1872年に制定された祝日でした。「紀元節」は、初代天皇とされる神武天皇が、「辛酉(かのととり)年春正月」の一日に即位したという『日本書紀』の記述にもとづき、1873年、明治政府が太陽暦に換算して2月11日と定めました。神武天皇が即位してから日本の歴史が始まり、その子孫による統治は永遠に変わらないものだとする天皇中心の歴史観です。大日本帝国憲法も1889年のこの日に発布されました。この憲法は欽定憲法と言われ、天皇ただ一人が定め、天皇の発議以外は改正できず、国民の義務ばかりが並べられ、自由と権利の規定は全くない、というものでした。明治政府の説明どおりだとすると、紀元前660年2月11日が神武天皇即位の日となります。しかしそのころの日本はまだ縄文時代で、文字や暦も知られていませんでした。階級もなく、天皇もいませんでした。神武天皇が歴史上の人物でないことは歴史学の常識です。2月11日を「建国記念の日」とする根拠はありません。
戦争が終わって1948年に「国民の祝日に関する法律」が制定されました。当時は占領下でもあり、あの侵略的な紀元節に代わる日は決定されませんでした。「紀元節」は憲法の主権在民の原則に反するものとして廃止されたのです。ところが、当時の自民党政府は1967年から「建国記念の日」として復活させました。これは、その後の元号法制化、「日の丸」「君が代」の教育現場への押しつけなど、教育の反動化、憲法改悪の動きと結びついたものです。1966年12月、国会審議を経ることなく、政令376号によって「建国記念の日」が定められました。「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨を持っていますが、ちょうどこの日、日本基督教団では常議員会が開かれていて、この2月11日を「信教の自由を守る日」と呼ぶことを決議しました。
なぜ私たちは「建国記念の日」に反対をするのか――それは戦争中に日本のキリスト教のほとんどは体制側に擦り寄り、「キリストを神と告白する」信仰を捨てて、天皇中心の社会に迎合して戦争に加担したことへの反省があるからです。この「信教の自由を守る日」を初めて迎えた1967年のイースターには日本基督教団は当時の鈴木正久議長の名前で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)を発表しているのもその現われです。
今日は主イエスの短い2つの言葉を通して、私たちの「信仰」と「自由」について学びたいと願っています。
まず、マタイによる福音書の5章37節「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい」。聞き慣れない言葉かもしれません。ほかの聖書の翻訳で読んでみると、「あなたたちの言葉は『はい、はい』、『いいえ、いいえ』であれ」(佐藤研訳)。「あなたたちの取るべき態度は、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』である」(本田哲郎訳)。
この言葉は「誓ってはならない」と主イエスがお教えになられたあとに続く言葉でした。「誓う」――私たちはさまざまなところで誓いを立てます。教会においては洗礼式や役員任職式や結婚式などさまざまなところで「誓い」をします。当時、主イエスの周囲にいた人びと、それは農民や漁師たちと言った人びとの多くが、ローマの重税に苦しみ、たくさんの借金を負っていました。税金が払えないとそれは借金になっていきました。作物の種や、漁のための権利を買うのにしても高いお金がかかり、それも借金になっていきました。そしてお金を借りる証書を書かせられるときには必ず誓わせられたのです。もちろん約束どおりに返せなければ牢に放りこまれたり、奴隷にさせられたこともありました。そのような中で主イエスは無謀な誓いを立てることこそが借金をさせられる人を滅ぼすのであり、ましてや神の名をみだりに使って誓うことなどは傲慢だと指摘するのです。
なぜなら私たちのいのちや物質的なものすべては神から預けられたものであり、自分の好き勝手にしていいものではないのです。「いのちを賭けて・・・」と私たちはそのような言葉を使うことがあります。またこの言葉を用いて強制させられることがあります。「いのちを賭けて会社のために働け!」などと言われたりして、うまくいかないと自死に追い込まれたりする人もいるわけですが、もしも「いのちを賭けて国を守れ!」と言われたなら、いったい私たちはどうするのでしょうか。主イエスのみ言葉に従えば、これに「誓って」はならないのです。なぜならいのちは神から預かったものです。私たちが勝手にいのちを差し出したり、それは自殺行為も同じですが、いのちを賭けることに私たちは「サイン」してはならないのです。
「あなたたちの取るべき態度は、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』である」。
私たちには「拒否」する自由も与えられているのです。「イエス」か「ノー」か、それを選択する自由と責任とは私たちにかかっているのです。
日本で「信教の自由を守る日」が始まった頃のアメリカでのお話をひとつしたいと思います。1969年、ニューヨークでの話です。LGBTQ+の人たちが集まるバー(当時は仲間たちに出会う場所はバーなどに限られていました)への度重なる嫌がらせのような警察の取り締まりに、当事者たちの怒りが爆発し、それまで抑圧的な生活を送っていた当事者たちが集まり、敢然と圧力に立ち向かった事件が起こりました。後に事件が起きた店名から「ストーンウォール・イン事件」と呼ばれることになります。1969年6月27日、グリニッジ・ヴィレッジ近くの「ストーンウォール・イン」という店での手入れの際、当事者たちは怒りを爆発させて圧力に立ち向かいました。警察は、いつものように手入れを行うつもりで、このバーに乗り込みました。客たちは労働者階級のLGBTQ+や、アジア系・アフリカ系の人々、ストリートキッズなど200人ほどでした。一人ずつ並ばせ、職務質問をして、気にくわない者だけを残して自由にしていました。警察官にどれだけ失礼なことを言われても、殴られても、彼ら(They)はがまんするしかありませんでした。いつもならば、解放されるとそこから立ち去っていくだけでした。なぜかというと、それに先立つ1965年、ニューヨークでは「ソドミー法」と呼ばれる同性愛行為に対する刑事犯罪法が制定されていましたので、周囲の人々に自分のセクシュアリティがバレてしまうことは致命的でした。仕事をクビにされたり、住居を追い出されたりしました。法律はこのような人々を守るどころか排除するばかりです。同性愛が「精神異常(当時の呼び名)リスト」からはずされたのは1970年代に入ってからのことでした。LGBTQ+は病気扱いだったのです。
しかし、この夜の彼らは、警察から解放された後もそこを立ち去ることはありませんでした。店の前に立ちはだかり、警察官たちを睨みつけたのです。そして、逮捕された者が連行されて店から出てくると、警察官に激しい罵声を浴びせかけました。警察官に悪態をつきながら、硬貨や瓶を投げ始めたのです。そのうち、石、屑篭、煉瓦、ガラス板が飛び始め、一人の警察官のこめかみにビール瓶が当たりました。ひるんだ警察官たちは逆に店内に逃げ込みました。近くの警察署から応援が来るまで、警察官たちは今にも破られそうなドアを押さえるので精一杯でした。彼らの攻撃は容赦なく、店内を照らすために火をつけようとする者や、パーキングメーターを引き抜いて振り回し、警察官を店の外に出そうとする者もいました。火炎瓶や煉瓦なども投げ込まれました。暴動が起きていることが周囲に広まり、駆けつけた住民や他のバーの客たちで現場は騒然となりました。この夜2000人を超えると見られる人たちが400人の警察官と戦いました。
しかし、この事件はただの事件では終わりませんでした。この世界を変えていくことになったのです! 翌日のグリニッジ・ヴィレッジ(「ストーンウォール・イン」のある地域)は、プラカードや横断幕を持つレズビアン&ゲイ(当時はこのように表現していました)2000人が集まり、「レズビアン&ゲイに人権を!」と叫びました。この事件をきっかけに、アメリカ全土で、はたまた世界中でLGBTQ+の人権を求める運動があちこちで起こり始めます。ニューヨーク州の同性愛に対する法規制は徐々に緩和され、LGBTQ+の当事者として堂々と生きる人々も増えていきました。
私はこれまで何十回も、「ストーンウォール・イン」を訪れたことがあります。今ではこのバーの建物のあるエリアは「国定文化遺産保護地域」に指定されています。この店の前の道路と道路の間に小さな三角公園が中州のようにあるのですが(クリストファー公園)、ここには、女性同士のカップルと男性同士のカップルのモニュメントが立っています。これを見るたびに私はこの夜の事件が決して「おとぎ話」ではなかったことを実感します。あの夜、そこにいた大勢の人たちは「ノー」と言ったんです。「いいえ」は「いいえ」と勇気を持って叫んだのでした。彼らは「私たちがいったい何の悪いことをしたのか」と叫びをあげたのです。それは神がくださった、神が授けてくださった、神から預かったそれぞれの「セクシュアリティー」だったからです。
先般からLGBTQ+に対する首相秘書官の差別発言が取り沙汰されています。また昨年からの旧統一教会の問題で明るみになったことの一つは、こうしたLGBTQ+や女性の人権のことに対して与党に対してストップを掛けるような動きがあったということです。しかし、私は今日、このストーンウォール事件のお話しをして、暴力を肯定しているわけではありません。この事件の顛末を知る限りでは非常な暴力が振るわれました。それほどまで大勢の人が怒りを爆発させるまでに、彼らが抑圧されていたことは事実です。それを汲み取って欲しいと願うものです。そしてこの事件の「恵み」をともに分かち合う者として、今日与えられた主イエスのもうひとつのみ言葉をともに味わいたいのです。
マタイによる福音書26章52節
「イエスは言われた。『剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる』」。
この場面は最後の晩餐を終えて、いつものように弟子たちとゲツセマネという山の中にあるところに主イエスが祈りに行かれた際に、ついに主イエスの敵対者たちがイスカリオテのユダを買収して、主イエスを十字架で殺すために捕らえに来た時の言葉です。主イエスの側近が剣を抜いて、敵対者の一人の耳をそぎ落としたあとに主イエスがこのように言われました。これは当時良く知られた格言で、主イエスも愛唱された格言なのでしょう。主イエスの生き方はこの言葉に尽きます。十字架にお架かりになった際も、自分を十字架につけた者たちに「ゆるし」をお与えになった主イエスです。私たちもこれに倣い非暴力の立場を貫き、神から与えられた道を歩む者となりたいのです。
今この時代、この日本に生きる者として、防衛費を増大させ、かんたんに戦争に加担するような国にしてはいけないでしょう。決して無責任になるのではなく、無関心になるのでもなく、私たちの歩みの前に降りかかってくるものに「イエス」というのか、「ノー」と言うのか積極的に選び取っていく行動を起こしましょう。
最後にマーティン・ルーサー・キング牧師の言葉を紹介します。
最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。
沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である。