「来なさい、そうすれば分かる」ヨハネ1:35-42 中村吉基

イザヤ書49:1−7;ヨハネによる福音書1:35-42

この新年の始めに、皆さんも年賀状の交換をしただろうと思います。いつの頃からか、宛名が年賀状作成ソフトを用いて印字されたものがほとんどだと言ってよいと思います。そのような中に毛筆などで書かれている(筆文字書体ではなく)宛名があると嬉しくなるような気がしました。毎年いただいていると宛名の書体だけで誰が出した年賀状なのか分かる気がします。

以前いただいていた年賀状の中に、自分の名前(もらった側の私の名前)が間違っているものがいくつもありました。実際には似ている字がそこに充てられていたわけですが、あまりいい気分にはなりません(笑)。故意ではないにしても、比較的いつも身近にいる人などからの宛名がそうなっていると、正直寂しい思いがしました。20年くらい私の名前の文字を間違えている人がいて、名前のところが「吉喜」となっていました。なにやらおめでたい漢字でしたからそんなに悪い思いはしませんでしたが、なんとなくしっくりいかない思いでした。もっとも「吉墓」「吉其」(!)なんていうのもありました。皆さんもそういう経験がありませんでしょうか。しかし、ご安心ください、主イエスは私たちの名前を間違ったりすることはありません。私たち一人ひとりの名前をきちんとご存知で、そして今も私たちの名前を呼んでおられるからです。なぜなら私たちは神につながっている者、神の子だからです。

さて、今日の箇所はとても素直な人たちのことを描きます。洗礼者ヨハネの2人の弟子が主イエスに従って行ったという記事です。洗礼者ヨハネは主イエスの方を向いて「見よ、神の小羊」(36節)だと言いました。新共同訳聖書はヨハネが主イエスのことを「見つめて」いたと訳します。聖書協会共同訳はここを「目を留めていた」と訳しています。私たちはたった数行の聖書の言葉に想像力を掻き立てて向き合わなければなりません。私たちはこの記事を読んで、なんと単純な物語なのかと思うのでしょうか。それは私たちがこの素晴らしい出来事をたった20行足らずの物語に押し込めてしまっているのではないでしょうか。

ヨハネは主イエスの登場に半ば興奮していたかもしれません。イエスの姿を逃さないようにじっと目で追いながら「見よ、神の小羊だ」と信仰告白をするのです。その「神の小羊」である主イエスとはいったいどのようなお方なのでしょうか。ヨハネの話を聞いた2人の弟子たちは主イエスから「来なさい」と言われて素直に従って行き、イエスの泊まっていた場所に彼らも留まりました。おそらくこの2人は何かに躓いていたのかもしれませんし、いろいろな悩みも抱えていたのでしょう。人生の道に迷っていたのかもしれません。福音書はそれについて記していません。けれどもそういう人でなければ、見ず知らずの主イエスのあとをついていったりしないと思います。主はこう言われました。

「何を求めているのか」(38節)

「来なさい、そうすれば分かる」(39節)

そして吸い込まれるようにして素直に主に従っていったこの2人が見たものは、主イエスの留まっていた場所を見たとか、物質的なものを得たというのではなく、主イエスと同じところに留まってみて、具体的なことは一切記されませんが、真正面から主に触れたのでしょう。救い主、メシア、神の子イエスのお姿だけではなく、人間としてこの世界に来てくださったイエスの眼差しに触れたのでしょう。主イエスは今夜自分が滞在しようとしていた場所を見せて、「そうすれば分かる」と言ったのではなく、この2人のほうも主イエスの宿泊先情報を知りたかったのではないのです! 主ご自身を知りたかったのです! それが彼らの「求めている」ものでした。そしてこの時主イエスのご性質やお人柄を通して、ご自分の指さす先に神がいてくださるのだとお示しになりたかったのです。

優しくこの2人を包み込むような主イエスとの交わりに、すっかり元気を取り戻して、生き生きとした2人に戻っていたのです。2人のうちの1人はペトロの兄弟アンデレであったことが分かっています。もう1人の名前は記されていませんが、伝統的にこの福音書の著者とされる使徒ヨハネではないかとも言われています。主イエスはおそらく「アンデレよ」「ヨハネよ」とこの2人の名前も親しくお呼びになったのではないかと思うのです。

2人が主イエスのもとに留まった夜、2人が何に触れて、何を見たのか、そして何を得たのかは分かりません。しかし、少なくともその1人、アンデレの心の変化を理解する手がかりとなる言葉があります。41節をごらんください。

「彼はまず自分の兄弟シモン(のちのペトロ)に会って、「わたしたちはメシア(中略)に出会った」と言った。

そして今度はアンデレがこのシモンを主イエスのもとに導きました。ここまでどのくらいの時間が流れたのか、分かりませんが、38節の後半でアンデレたちは主イエスのことを「ラビ(先生)」と呼んでいます。しかしこの41節でアンデレは主を「メシア(救い主)」と呼んでいるのです。出会った時には「先生」そして、主が「来なさい、そうすれば分かる」との招きに応えて主イエスのもとに留まった後にこの人たちは「メシア(救い主)」と告白するに至るのです。

さて、今日の箇所の話の流れでは、洗礼者ヨハネが2人の弟子たちを主イエスのもとに導きました。そしてそこで主に出会ったアンデレが自分の家族であるシモンを主のもとに導きました。つい数日前、教会近くの社会教育館で昨年末から開かれている「地域の話し合い」という会合に招かれて出て参りました。渋谷区では社会福祉協議会が音頭をとって、各地域で未来の地域について語り合ったり、点在しているさまざまな人を繋いで大きなうねりを作っていこうと、「1人の力ではできないけれどもみんなの力を集めればできる」と対話集会が始められています。上原や西原や富ヶ谷地区のことだけでも知らないことがたくさんあるものだなと思わされました。その会合の後に、3人の参加者がこの教会に来てくれました。皆さんご近所の人でした。教会に足を踏み入れるのは初めてだという人もいました。その時その人たちが異口同音におっしゃられたのは「ここに教会があることをまったく知らなかった!」ということでした。会堂の中を案内して、しばしそれぞれがこの地区でやっていることを分かち合って帰っていかれました。おそらくまたいらっしゃるだろうと思います。

この出来事は今日の聖書の箇所にも重ね合わせることができます。私たち信仰者は、誰か導く人がいなければ主イエスと知り合えなかっただろうと思うからです。キリスト者の家庭に生まれた人は親から。小さなころから教会学校に通っていた人は教会学校の先生から。あるいはキリスト教の学校に行かれていた。キリスト教系の病院に入院していた。成人してから教会に導かれた方々も何かのきっかけで信仰の道に導いてくれる人がいて、主イエスの道を一緒に歩くことをゆるされました。残念なことに、自分の家族の1人でさえ、主イエスのもとに連れてくることのできない私たちです。アンデレのように自分の家族に「メシアに出会った」と言い出せない私たちです。

アンデレたち2人の洗礼者ヨハネの弟子たちは思い切って主イエスについて行きました。そしてそれだけではなく、「イエスのもとに泊まった」(39節)と記されています。この「泊まった」という言葉は同じヨハネによる福音書の中で「とどまる」「つながる」とも訳されている言葉です。ヨハネの福音書の15章は「わたし(イエス)はまことのぶどうの木」と始まる有名なたとえ話ですが、「わたしにつながっていなさい」「わたしの愛にとどまりなさい」と主イエスが仰せになるのは「泊まった」と同じ動詞が使われています。

アンデレたち2人の弟子たちが主のもとに「泊まった」というのは、15章のぶどうの木の譬えのなかによく表している言葉があります。主イエスは「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている」というところです。つまり、主のもとにとどまった2人の洗礼者ヨハネの弟子たちに主が「とどまって」くださった。「つながって」くださった。この2人の心の中に主イエスが来てくださった。そのことが分かったのです。

ペトロとヨハネが議会で取り調べを受ける場面が「使徒言行録」の4章に記されています。ここで2人は言っています。

「私たちは、見たことや聞いたことを話さないのではいられないのです」(使4:20、新共同訳P.220)。

主イエスを心に宿した人はこのように変えられていくのです。まさに福音が伝えられていくところには、いつでも、どこにでもこの神の力が顕されていくのです!