詩編100編;コロサイの信徒への手紙3:12〜17
いよいよ2023年も幕を開けましたが、まず神さまに礼拝を捧げることから始められることを感謝しております。皆さんそれぞれに今年はどんなことをなさろうと、目標などをお立てになったでしょうか? 神は皆さんの人生に大きな意味を与えてくださっています。私たちは神の作品です(エフェソ2:10参照)。私たちのすることは、どんなに小さな事柄もそれは神にささげる「花束」です。全力を尽くしてそれを献げるのです。神はどんなに些細なことでもご覧になっておられます。そしてそれを喜んで受け取ってくださいます。
今日の箇所で、パウロはキリスト者とはどのような者であるのか、3つのことを教えています。最初にこう記されています。
「あなたがたは(1)神に選ばれ、(2)聖なる者とされ、(3)愛されている」(12節) 存在なのだと。
(1)「神に選ばれ」神は皆さんを選び、ご自分のご計画が皆さんを通して実現しようとされています。 “Soli Deo Gloria”(ただ神にのみ栄光=神の栄光のために)という言葉があります。バッハが自身の作品の最後に頭文字の「SDG」としたためたことでも有名ですが、人間は神に向かうように造られ、そして私たちは神の栄光のために、神のみ業に参与するのです。私たちがこの世に生を享けた究極の意味はここにあるのです。
(2)「聖なる者とされ」。聖なるという言葉には「切り離す」という意味があります。ではどんなところから切り離されるのか。この世に存在する罪の中に、ごみごみした中に、混沌とした場所に、悪がはびこるようなところから切り離されて、神のものとされ「聖なる者」となった。確かにキリスト者はこの世に生きていますが、霊的には神によってこの世から切り離されているのです。
(3)皆さんは神に「愛されて」います。
子どもたちの歌う讃美歌に「かみさまのあいは しみとおる わたしたちのこころに ひのひかりのように」(171番)。それから教会学校で毎週歌っているゴスペルソングに「すんばらしき主イエスのあいは 広〜く 深〜い」なんていうのもありましたが、皆さんはこの神の愛をもう無条件に受け続けています。そしてこの愛を受け取って、他の人に分かち合う。そして私たちの使命(ミッション)です。そしてパウロはキリスト者というのは、神に選ばれて、聖なる者とされて、愛されているのだけれども、ここから12節の後半ですが、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。と言っています。
パウロが「憐れみの心」と言っているのは相手に傾聴している状態、つまり、話している相手に共感し、そこに口をはさんで、批判や非難をしないことです。そして「慈愛」。慈しみと愛ですね。これは「親切」と同じです。自分の醜い言動や行動を慎むということです。そして「謙遜」。自分よりも他者を大切に思いやる心です。そして「柔和」は、自分のことを押し通す、自己主張と反対語になっています。「復讐」とは逆の態度。そして最後に「寛容」。これは13節にも、「互いに忍び合い」という言葉がありますが、ここに挙げているような態度を、キリストにあって身に付けなさい、とパウロは勧めています。パウロは、「身に着けなさい」と命じます。これは12〜14節までのすべての言葉にかかっている唯一の命令形の動詞なのです。
互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。(13節)
パウロは「赦す」ことを身に着けなさいと言いました。キリスト教の信仰の特徴はこの「赦す」ということにあるかもしれません。自分に不義を行なった者、敵を赦すということ。実は赦すことより、赦せないことのほうが、知らず知らずのうちに自分に悪い影響を及ぼすかもしれません。「赦す」ということは心も健康になるということなのです。
パウロは、人に対する接し方や態度についての教えを説いていましたが、この結びとして14節では「愛は、すべてを完成させるきずなです」と愛を身に着けなさいと記しました。私たちがよく知っているパウロの「愛の讃歌」(コリント(一)13章)の中では「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である(13節)と彼は教えています。
さて、この手紙の文面は次の15節から私たちの心の状態、心構えとでもいえることについて記しています。
キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
私たちの心が、いつも騒がしく、乱されていたならば、ここまでお話ししてきたことも実行には移せません。私たちの心はいつも「キリストの平和」で安定していなければなりません。そして、この「キリストの平和」は他のさまざまな人たちと一致して行くことが出来ます。主イエスは、この世に見える壁や境界線を壊してくださって、私たちは互いに交わることができるようなりました。このキリストの平和を常に自分の心に宿していなければなりません。
そしてパウロは「いつも感謝していなさい」と記しました。この感謝する心がいつも私たちの心の中で満たされていなければならないのです。16節にこうあります。
キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
今ここまでお話ししてきたことは「キリストの言葉」がなければ成り立ちません。私たちはもっともっとみ言葉に親しむ必要があります。どうぞこの新年に毎日聖書を開いて、お祈りする習慣を身につけてほしいと願います。毎日聖書を読んでいると本当に不思議です。自分の心に、聖霊がみ言葉を染み渡らせてくださって、ふだんの生活の中でもみ言葉が口をついて出てくるようなるのです。そして私たちは何かスランプに陥っても、大きな問題に直面しても知恵によって、キリストの言葉によって乗り越える力を得ることが出来ます。
そしてここにも「感謝して心から神をほめたたえなさい」とあります。終わりの17節にも「イエスによって、父である神に感謝しなさい」と終わりの3節には「感謝、感謝、感謝」と記されているのがお分かりになると思います。これは私たちがまだまだ感謝することが少ないからこう書かれているのでしょう。
2023年は感謝、感謝、感謝、365日毎日感謝できるようになったらこの上なく幸いです。朝目覚めて…食事の時に、仕事の時に…家庭で…誰かにほめられた時にも…批判された時や注意された時にも…休憩中も…新聞や本を読んでいる時、テレビやインターネットを見ている時にも…一日を終える時にも…布団に入って休息する時も…夢の中でも…感謝を忘れることなく、主イエスと共に新たな1年を歩んで参りましょう。