三位一体後第14主日
三位一体後第14主日礼拝 午前10:30 司会・説教:陶山義雄 奏楽:小野千恵子 前 奏 (黙祷) 招 詞 コリント二5,17 讃 美 歌 3(扉を開きて) 交 読 詩編19編1-15(讃美歌21巻末「交読詩編」p.20) 聖書朗読 申命記8,11-18 (旧p.294) マタイによる福音書5,17-20 (新p.7) 祈 祷 聖歌独唱 「はてしも知られぬ天つ海原を」平井桃子 説 教 「新しい生き方の掟」(山上の垂訓 講解説教 第3回) 陶山義雄 祈 祷 讃 美 歌 61(われらは信ず) 献 金 感謝祈祷:礼拝当番 讃 美 歌 516(主の招く声が) 主の祈り 93-5A 頌 栄 83(聖なるかな)1節のみ 祝 祷 後 奏
- 教会学校 9:00「主の祈り(3)」(マタイ6,12) 村上典子
- CSのオリーブ会 CS分級時、牧師館。担当:村上典子
今週の集会
- 祈り会 9月25日(水) 10:30-11:30 A会議室。担当: 松原新吾
次週礼拝等(2018年9月29日)予告
- 三位一体後第15主日
聖書:使徒言行録10,1-16
説教:「神が清めたもの」廣石望
原田由加 讃美歌: 6, 475, 27
- 教会学校 9:00「主の祈り(4)」(マタイ6,12) 土田潤子
- 「特別伝道集会・公開学習会」 11:45-13:15 「ふつう」ってなんだろう?〜キリスト教とLGBTQ〜 中村吉基先生
牧師室から
キリスト教文化圏ではマタイ7章12節(ルカ6章31節)を黄金律と呼び、イエスの教えの中心に据えている:「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」この黄金律は18世紀、イギリス・産業革命下にあって悲惨な生活に追い込まれた労働者を救済する方策としてジョン・スチュアート・ミル(1806〜73)が厚生経済を提唱する際にも導入している。それは利益追求の経済活動から生じた貧困層を救済する方策として人々の生き方に変革を求め、イエスのこの教えに倣うことによって社会悪を克服しようとする運動であった。ミルは黄金律を普及させ、おぼえやすく独自に翻訳し、その普及を図ったのである:Do as you would be done by others.
この黄金律はイエス独自の言葉と見做しても良いのであるが、同時代の所産としてユダヤ教ラビが説いていた律法問題からイエスご自身が語られた言葉を対比して見ると、なお一層その意図が明らかになる。1世紀に名を馳せていたヒレル学派とシャンマイ学派の間で、律法に対して柔軟な解釈をとる前者と厳格に遵守する立場を守る後者があった。或る青年が律法の何であるかを聞くためにシャンマイの所に行き「私が片足で立っている間(短時間)に「律法の全てを教えてほしい」と願い出た所、師匠は彼を追い出してしまう。そこでヒレルの許に行き、同じ質問をした所、「良いとも、端的に教えてあげよう。『それは、人にしてもらいたくない事を、自分からしてはならない』と云うことである。」下線部がイエスの黄金律とは決定的に違っている。ヒレルは否定形をもって答えているのに反して、主イエスの勧めは肯定形である。「〜するな」と「〜せよ」の間には大きな開きがある。学者風に高座から見下ろし、教えるだけで人々の上に立って他に何もしない律法学者ではなく、主イエスは黄金律を教えに留めるのではなく、自ら人々、それも弱者の中に分け入り、この世界を御国とする働きの中で語っているのである。否定形の勧めは孔子、釈迦、マホメットも教えとして残している。「敬神」、「奉仕」の黄金律については改めて言及したい。 (陶山義雄)