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三位一体後第12主日礼拝

三位一体後第12主日礼拝

三位一体後第12主日礼拝    午前10:30
      司会・説教:秋葉正二
      奏楽:原田由加

前    奏  (黙祷)
招    詞  イザヤ42,3
讃 美 歌  18(心を高くあげよ!)
交    読  詩編93(讃美歌21 巻末「交読詩編」p103)
旧約聖書  イザヤ書5,1-7 (旧p.1067)
新約聖書  使徒言行録13,44-52 (新p.240)
祈    祷  
説    教  「ぶどう畑の歌」
祈    祷
讃 美 歌  449(千歳の岩よ)
献    金  感謝祈祷:礼拝当番
主の祈り  93-5A
頌    栄  24(たたえよ、主の民)
祝    祷
後    奏
			

  • ※教会学校は、夏休み期間のため分級はありません。
  • オリーブ会 ※夏休み期間のため休会です。

 

本日の集会

  • ガリラヤ会小委員会 礼拝後 A会議室
  • 役員臨時小協議 礼拝後、会堂後方で

 

今週の集会

  • 祈り会 ※暑さを避け、8月中は休会です
  • 「CS夏のお楽しみ会」 8月25日(土) 13:30-19:30 教会で。

 

次週礼拝等(2018年8月26日)予告

 

集会予定等(詳細は掲示でご確認ください)

(教会内)

  • 「定期役員会」 9月2日(日)12:15-14:30 A会議室

(教会外)

  • 「宗教者院内集会」 8月23日(木)14:00〜15:30 参議院議員会館B1
  • 2018年人権文化セミナ−「芝浦と場」見学 8月24日(金)、27日(月)東京都中央卸売市場食肉市場・芝浦及びお肉の情報館 主催:NCC部落問題委員会 詳細掲示)

 

お知らせ

  • トマス・マシューさんご夫妻が8/17-20、牧師館に宿泊されておられます。
  • 「原子力行政を問い直す宗教者の会」の機関紙をぜひご覧下さい(9/10-12,全国集会,松山)
  • 外キ協では、この度マイノリティ−宣教センター、NCC人権委員会と協同でコミック小冊子《からふるな仲間たち》を作成・発行しました。一部百円です。ぜひお求めください。受付にあり。
  • 今週の牧師面会日 土曜午後〜夜までCS行事で教会にいます。

 

牧師室から

 先月来、時折フッとオウム真理教元幹部死刑執行のニュースが脳裏を過ぎる。一連の裁判では宗教教義と犯罪行為の関係性はほとんど論じられなかったように思う。裁判の過程において中心とされたのは、あくまで刑法犯罪の処理であり、宗教犯罪という面には踏み込むことをあえて躊躇したのではなかったかと私には思われた。なぜ神仏への信仰が教祖への帰依に結びついていったのか、そしてそれがなぜ反社会的行為に転じていったのか、そうしたことの掘り下げは裁判ではとうとう明らかにされなかったと思う。どんな宗教も教義と信仰が中心にあり、それを軸に活動が展開される。信仰心と信仰対象への帰依は宗教の本態であろう。

 時を同じくするように、長崎の潜伏キリシタンの信仰を継承する教会や集落が世界文化遺産に登録されるニュースも伝えられた。そこでは16世紀依頼、禁教下の厳しい弾圧下の中を生き延びてきた信仰がさまざまに紹介されたが、それを可能にしたのはキリシタンたちの信仰心であり、宣教師たちの説いた教義を忘れないための教会暦や聖画や祈りの言葉である「オラショ」である。命がけで信仰を守ったのだから、その信仰はけっしていい加減なものではない。キリシタンの人たちの宗教意識は、現実の弾圧の厳しさや貧しさにも埋もれなかった死生観に裏づけられていたのではないだろうか。それは現代人が失ってしまっているものだという気がする。現代人は前向きに富や自由を追い求める成長戦略を生きる上での目標としているが、こうした生き方は、現代人の平生の意識から死生観を追いやってしまったのではないかと思う。

 実はどんな生き方を選択するにしても、時々立ち止まって自らの死生観を確認することはとても大事なことのように思われる。一人ひとりが自分なりの死生観を持つことは人生の重要事項である。近代の合理主義が世界を席巻してしまっている中で、私たち日本人は人口減少と高齢化の波の中でそろそろそのことに気づかないといけないだろう。死後の世界を信じるとか、祖先の霊的な力を信じるといったような漠然とした意識ではなくて、「死とは何か」を宗教的に考えることだ。手軽な答えは得られずはずはないが、この問いに向き合えば、必ずや信仰に出会うはずである。道徳を授業で教えるより、世界の宗教の内容を教える方が、はるかに道徳的な道を開いてくれる。オウム真理教に入っていった若い世代の人たちには、家庭や周囲の環境に普段から死生観を問うような場所がなかったのではないだろうか。私たちキリスト教の中心には復活信仰があると言われるが、これは死生観につながっている。

『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。』 コリント一 15,54-55

秋葉正二