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復活後第5主日礼拝

復活後第5主日礼拝

復活後第5主日礼拝    午前10:30
                司会・説教:秋葉正二
                奏楽:鈴木伶子

前    奏  (黙祷)
招    詞  詩編66,20
讃 美 歌  321(しずかな喜び)
交    読  詩編30(讃,巻末p.30)
旧約聖書  申命記32,3-6 (旧p.332)
新約聖書  マルコ福音書9,14-29 (新p.78)
祈    祷
説    教  「信仰のない時代」
祈    祷
讃 美 歌  440(備えて祈れ)
献    金
主の祈り  93-5A
頌    栄  26(グロリア グロリア グロリア)
祝    祷
後    奏			

  • オリーブ会(CS分級時) A会議室

 

本日の集会

  • 礼拝後、「ガリラヤ会」は参宮橋の「代々木倶楽部」へランチを楽しみに出かけます(¥1,500-)。壮年会も合流します。

 

今週の集会

  • 祈り会 5月24日(水)10:30-11:30、夕祈り会 19:00-20:00 共にA会議室。

 

次週礼拝等(2017年5月28日)予告

  • 「墓前礼拝」 礼拝後、各自昼食をとり、多磨霊園の教会墓地へ車3台で出かけます。
  • 「9条の会」−教団戦責告白50年−  墓前礼拝と重なるため延期します。

 

集会予定等(詳細は掲示でご確認ください)

(教会内)

  • 「ペンテコステ礼拝」(聖餐式) 6月4日(日)
  • 「家族音楽礼拝」(CS合同) 6月11日(日)

(教会外)

  • 「アンソレーナさんと‘スラム改善’を語ろう」 5月22日(月)18:30-20:00 岐部ホール4F404号。イエズス会社会司牧センター主催。
  • 「シンポジュウム−軍事と学術、市民社会の関係性」 5月23日(火)18:30-21:15 拓殖大学文京キャンパスC館4F404号室
  • 「第76回東京教区総会」 5月30日(火)10:00-19:00富士見町教会。
  • 「共謀罪に反対する宗教者・信者全国集会」 5月31日(水)14:00より 日本教育会館

 

お知らせ

  • 牧師面会日 火曜日10:00-16:00、水曜日13:00-16:00、土曜日10:00-16:00。「教会サロン」は6月よりスタートします。

 

牧師室から

 ゲノム編集という遺伝子操作技術は現代科学の花形である。私たちの日常生活の中でも、栽培植物や家畜、魚などにも応用され、成長が早く収量が多いものが作り出されている。遺伝性の難病治療や感染症を根絶する効果もあると聞けば、夢のような技術に思えるが、そこには生命をめぐる仕組みを根本から変えかねない危険性が同居している。場合によっては人の生死をも左右するのである。それ故、ゲノム編集の技術が人の受精卵や生殖細胞に応用されればどうなるかが問われてくる。問題は複雑で多岐にわたるが、宗教的な課題として生命倫理の問題が浮かび上がってくる。私たちはキリスト者として、遺伝子を操作する技術をどう理解したらよいのだろうか。

 そこには宗教の問題ともまったく無関係ではないものの、基本的には科学的次元(物理的・化学的・生物学的)の問題があるし、社会的問題(ビジネスと結びついて巨大な富を生むなど)も出てくる。キリスト教倫理としてまず考えるべきは、生命の価値を決定するのは誰か、という点であろう。私たちの信仰的立場の基本は言うまでもなく、人間の生と死を決定するのは人でも社会でも国家でもなく神さまである。そこには、人間はいかにして神さまの意思や決定を知ることができるのかという問いが出てくるが、基本原則は明らかで、神さまが人間の生と死を決定する。自殺を原則として認めないのはそれが理由だろう。もう一点、「存在の意味」も重要なこととして挙げられる。生命について最終的な決定権をもつのは人間であるという考えがあるが、この考えに付随する問題は特定の価値観が忍び込む点である。人が自分自身の生命ではなく他者の生命に関する事柄を決定しようとすれば、当然その人の価値観が入り込むだろう。極端なことを言えば、もしその人が他者の生命を価値なしと判断すればどうなるのだろう。

 第二次大戦の折、ヒトラーは優生思想に基づき、ユダヤ人を有害と判断し大量殺戮し、障害者を無価値と判断して安楽死させようとした。そこには、創世記において神さまが「良し」とされた被造物である人間を、誰かが勝手に無価値と決めつけられるのか、という問題が浮上している。私たちはやがて老いを迎え、動けなくなる日が訪れるかもしれない。その時、私たちの存在は無価値と判断されるとすれば、「老い」はまったく悲惨である。高齢になればなるほど私たちの心身の能力は低下するだろう。創造物語に見られる神さまの存在肯定「良し」は、老いは無意味で悲惨であるという考えに真っ向から反論しているのだ。神さまの「良し」という存在肯定を受けとめる限り、キリスト教は優生思想に否を唱えざるを得ない。遺伝子を改変する技術はこうした問題に引っかかってくる。21世紀に生きる私たちは知らず知らずのうちに遺伝子差別による優生思想を復活させたり、「いのち」を操作したり、クローン人間を誕生させる危険の中に生きていることを忘れてはなるまい。

 ノーベル賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授は、生命倫理に最大限の注意を払ってiPS細胞を発見されたそうである。それが受精卵や生殖細胞に手をつけずに、体細胞からさまざまに分化できる性質を持つ幹細胞を作り出し、人の臓器を再生させることにっながった。認知症の治療法が格段の速度で進むかもしれないという。それでもその応用過程で生殖細胞や脳神経細胞が形成される可能性もあるというからやはり万能ではない。ゲノム編集や再生医療技術は、治療だけでなく、人間の生命の始まりや遺伝的シナリオに手を加えてしまう可能性を持つということだろう。私たち人間は、地球に誕生した生命のつながりに科学の名を持ってどこまで手を加えてよいのだろうか。人間は神さまの領域にまで踏み込む技術を手にしてしまった。今後ますます確かな生命倫理の創出が求められてくるだろう。聖書は現代にも確かに生きて時代を導いている。  秋葉正二