百人隊長一覧

NO IMAGE

「行動する人、しない人」使徒10:1−16 中村吉基

使徒言行録10章に出てくるコルネリウスは異邦人の百人隊長で、ユダヤ教に改宗こそしていないが信仰心あつい人であった。ある日彼の前に現れた天使に「ヤッファにいるシモン・ペトロをを招きなさい」と言われ、すぐに2人の召使と信仰心の厚い兵士を送る。一方ペトロの前にも天使が現れ、ユダヤの律法で禁じられているものを屠って食べるように命じるが「できない」と断る。すると「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」という声がする。コルネリウスとペトロは行動が対照的である。ペトロはコルネリウスとの交流で神の声を悟る。私たちはペトロのように自分の作った律法で最初から結果を決めつけて行動に移さないことがないだろうか?私たちは神に命じられた時にすぐに立ち上がることができるか問われている。

NO IMAGE

「イエスの驚き」マタイ8:5-13 中村吉基

自分の予想をはるかに超えたところに人は驚くことが多いが、今日の箇所でイエスは百人隊長に驚いている。何に驚いたのだろうか?1.5〜9節でみられるように百人隊長がイエスの権威、すなわち神のひとり子であることを信じているところ、2.百人隊長が異邦人であること。当時のユダヤ人は外国人は本物の神を知らない穢れた存在と思っていたのである。3.彼がローマ帝国の百人隊長という権威ある人物であったことである。百人隊長とは駐留していたローマ帝国軍の1つのユニットの指揮者のことで、そのような人物がイエスにお願いにきたこと。4.その部下に対する愛。当時の歩兵は百人隊長にとってみれば道具のように扱われていたにも関わらず、まるで99匹をおいても、迷ってしまった1匹を探しだすという神の視線を感じさせる行動。これにイエスは驚いているのである。これはフィリピの信徒への手紙2章6〜8節の神でありながら、それを捨てて、仕えられる者から仕える者へと変わられたキリストを彷彿とさせる。私たちが主イエスを驚かせるのはどんな時であろうか?彼がお示しになったすべてを人間に与える心、命までも差し出された十字架の心が、私たちの心と一致するとき、私たちは主イエスに驚かれるような者に変えられて行くのである。