放蕩息子一覧

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「かみさまのもとにいる幸せ」ルカ15:11-31 なかむらよしき

今日は子ども祝福礼拝、子供も大人も皆で神を賛美します。イエス様は今日の箇所でこんなお話をします。「お金をもらった次男が遊びおちぶれて帰ってきたが父は彼のために無事に帰ってきたお祝いをした。それをみた長男は、自分は真面目に働いてきたのに納得できないというが、父親は長男を認め説得し、かつ、弟の帰還を喜んでほしいという。このたとえ話の父親は神様。神様は立派な人間だけを愛するのではなく、どんな時も誰をも、どんな失敗をしても優しい心で許して下さるのである。

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「あなたはわたしの愛する子」マルコ1:9-11 徳田信

イエスが洗礼をうけたときに「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえた。そこから公生涯が始まったがそれは十字架に終わっている。私たちは生きていく中で様々な困難にぶつかる。人は支えがないと生きていけないが、それは神の支えと言い換えることもできる。神の愛を受け取らないことは罪である。放蕩の限りを尽くした、もしくは尽くしている私たちの帰還を神は待っておられる。

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「ゆるしと愛への招き」ルカ15:11-32  中村吉基

好き勝手に振るまいお金に困って帰ってきて雇ってほしいと言った息子を父親は遠くから見つけ憐れに思い走り寄って首を抱き接吻した。有名な放蕩息子のたとえである。神は正しい人に「しか」祝福をしない、と勝手に考えてしまうものであるが、神のもとには大きな「ゆるし」が備えられている。しかし家でずっと父に仕えてきた兄は納得がいかない。私たちはどちらかというと兄に似てはいないだろうか?それは罪人を切り捨てたファリサイ派、律法学者の姿そのものである。私たちの傷はイエスも苦しんで下さっている。イエスが甦られたように必ず平安が与えられる。これが神の愛である。