マグダラのマリア一覧

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「絶望のその先に」ヨハネ20:19~31 中村吉基

イエスの十字架刑後、ユダヤ人を恐れて鍵をかけ家にこもっていた弟子たちの真ん中にイエスが立ち、手とわき腹とをお見せになり、「あなたがたに平和があるように」と言われた。しかし弟子たちはそれがイエスであるとはすぐにはわからない。どうも違う姿であったようである。そこでイエスがおっしゃった「あなたがたに平和があるように」とはヨハネ14章の言葉と関係があり、これから聖霊が到来するのだという宣言でもある。さて。その場にいなかったトマスは躓いたままだった。しかしイエスはそのトマスのところにも行き、傷を触らせた。じかに主イエスの傷跡にふれたトマスは主イエスが生きておられることを確信した。イエスが十字架刑になったことで、固まってしまった人びとの心をイエスが愛とゆるしに満ちた言葉で溶かしていく。復活は絶望的になっていた人びとが再生する道を与えた。家に閉じこもっていた弟子たちは外にでて教えを宣べ伝え、多くの弟子たちが最後には殉教することもいとわなくなっていた。これが神の愛の力である。そして私たちもこの神の愛を知ることによって、包まれることによって変わることができるのである。

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「復活への希望」ヨハネ20:1−9 中村吉基

イエスがイスラエルの王となったら平和な生活ができると信じ、全てをなげうって従って来た弟子たちは、十字架刑で自分たちの救い主が殺されてしまったことを到底受け入れられなかった。しかし自分達だけが救われて平穏な生活を手に入れるというのは都合のいい自己中心的な考えではないだろうか?最後の晩餐の席で主イエスは「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と言われた。自分の都合の良いようにでなく、イエスがなさったように誰も目を向けようとしないところで生きる人びとを愛する、それを一番大切にして弟子たちが新しい歩みを始めたのが復活の出来事である。マグダラのマリアが安息日を前に夜明けに墓へ行ったが中には何もなかった。マリア達は「遺体が持ちされた」と驚き、急いでペトロ達に知らせた。見に来た彼らも空の墓をみて「持ち去られた」と驚いたが、生前のイエスの「3日後によみがえる」という言葉を思い出し、最後にはこの出来事を神のみわざとして信じた。しかし理解はできていなかった。ヨハネ福音書ではこの「空の墓」を「希望」としている。イエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」と語っている。このように私たちに語りかけ復活の約束をしてくださる。イースターの朝、空の墓から希望がもたらされたこと、死がすべての終わりではなくその先には復活への希望があることが明らかになったのである。