「文字と霊」IIコリント3:3-18 廣石望
パウロはコリントの共同体のことを「インクでなく神の霊で石の版でなく肉の心という板に書かれたキリストの手紙だ」という。いくつかの旧約のモチーフがひかれており、「コリントのキリスト共同体はエレミヤやエゼキエルの預言の成就でありそれはかつて破られたモーセのシナイ契約を超える、神が与えた新しい霊によって「肉の心」として体現される神の民」ということのようである。そして「新しい契約」が「霊」の性格をもつとは、その担い手が肉となった終末論的な共同体であること、私たちが神の究極的な働きが現れる具体的な場であること、「文字は殺す」は神との関係の断絶としての死をもたらすという意味であろう。 パウロが言う「文字vs霊」とはユダヤ教や旧約との対比ではない。出エジプトが伝える「モーセの顔覆い」に見られるモーセの顔が放つ光とキリストの栄光との比較と言える。 私たちは、キリストの栄光を受けて新しい人間へと変貌するために聖書を日々新しく読み、神から託された平和の務めを果たしたい。