クリスマス礼拝一覧

NO IMAGE

「平和の君の誕生」イザヤ9:1-6 中村吉基

2700年前預言者イザヤが「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」とイエスの生誕を預言した頃のイスラエルは、アッシリアに侵略され非情で残忍な支配をされており、「闇の中を歩む民」であった。故にイザヤの言葉に耳を貸す人はいなかったが、イザヤは「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」がおうまれになり、神は深い喜びをお与えになり、人々は喜び祝う、と続ける。その700年後、羊飼いのところに「ダビデの町であなたがたのために救い主がお生まれになった」と天使が告げる。「自己中心」という深い闇の中にいる私たちのために、光と調和をもたらすために来てくださった。神は世界の平和の実現のためキリストを通してお与えくださったのがクリスマスである。「自分さえよければ」という思いを棄て、苦悩や悲しみを「神様、救ってください」と祈ってみよう。私たちは弱さを抱え、たとえ小さな力であっても神の平和が実現するように主イエスと共に歩もう。

NO IMAGE

「イエスはキリスト」ヨハネ1:1-14 中村吉基

今日の箇所にある「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった」を丁寧に紐解いていくと、天地創造の際にも共におられたようなことになってしまう。なぜだろうか?それは神が2000年前にイエス・キリストを人間にしこの世界にお送りくださったが、キリストはそれよりはるか以前から神のみもとにおられたということをヨハネは伝えている。そしてキリストこそいのちの源、人間を照らす光であるとも記している。続く「光は暗闇の中で」も自然現象の光と闇のことのみならず人生の道のことである。その中で最も明るい光がキリストである。そして「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」。肉は人間という意味であるが、ただ肉体のみならずすべてである。それを「受肉」という。人間の罪を許すために神はイエス・キリストとなられて私たちの間に住まわれた。今日はイエスをキリストとして迎えるクリスマス。心からイエスをキリストとしてお迎えしたい。