「無からの出発」フィリピ2:6−11 中村吉基
2000年前の教会でも人間関係の問題が起こっていた。さまざまなキリストに対する思い、信仰心が原因であるが、パウロはキリストが揺るぎなくそこに宣べ伝えられているならば、喜びである。ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。たとえ今バラバラでもキリストへの信仰が私たちを一つにさせる、と獄中からの手紙に書く。そこから今日の箇所になるが、これは原始教会に伝わる「キリスト賛歌」(讃美歌)と理解していいだろう。ここを本田哲郎神父の訳で読むと新たな目が開かれる。これは「低みから働く神を啓示しているキリストの賛歌」であり、神と等しい生き方にこだわらず、ご自分を一旦「無」にされ、「僕」となられた。ここから私たちに教えていることは、「低み」にいたとしても、神はそこから必ずこの「私」を救い出してくださる「喜びの希望」ともいうべきものである。キリストが無になったお姿で人びとに仕えられ、十字架の死での無から復活の新しいいのちが神によって与えられたことを私たちの模範としたい。私たちには復活のイエス・キリストが与えられている。キリストにおいてこそ私たちは一つとなり、キリストを礼拝し、模範とした愛の生き方をする教会が神に心に叶った教会だとパウロは確信していた。