イザヤ書65:17-25;マタイによる福音書28:11-25
先週はご一緒にイースターの礼拝を捧げました。今日の箇所はその続きのところからです。
マグダラのマリアを始めとする人々は、主イエスが納められていた墓の前に呆然と立ち尽くしていました。墓を覆っていた重い石は横に転がされて、墓に納められていたはずの主のご遺体はありませんでした。そこに現れた天使がこう言いました。
「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」(マタイ28:5-7)
マグダラのマリアたちが天使にこう告げられ、その後主イエスにお目にかかります。彼らの言うとおりに、逃げていった弟子たちの元へ行こうとしていた矢先の出来事が今日の箇所に短く記されています。復活の日曜日(復活日)の翌週の礼拝では例年、当初主のご復活を信じることができなかったトマスの記事(ヨハネ20:24-29)に聴くことが多く、今日の箇所を礼拝で聴くのは極めて珍しいことです。私たちは主イエスがお甦りになった場面に「番兵」たちがいたことにあまり注意を向けて来なかったかもしれません。主イエスの墓の番をしていた番兵たちがいました。彼らは一目散に祭司長たちのところに行き、「すべて」を報告したと記されます。しかし、「すべて」と言っても、番兵たちは主イエスがお甦りになったところも、その後の主の足取りも知る由はありません。何も知らないに等しかったのです。
でも恐らくこういう報告が「現場検証」のようになされたことでしょう。
「日曜日の朝、大きな地震に見舞われ、イエスの墓を封じていた石が転がされ、墓の中にはイエスの遺体はそこにはなかった」。
ただこれだけでしょう。マタイでは伝えられていませんが、ルカやヨハネ福音書が伝えるには、「墓の中に(遺体をくるんでいた)亜麻布が置いてあった」。さらにヨハネ福音書だけが伝えていますが、主の頭を覆っていた布は「(その亜麻布から)離れた所に丸めてあった」(ヨハ20:7)ことが報告に加えられたかもしれません。何人もの番兵でこの出来事を経験しましたから恐ろしさのあまり逃げるようにして祭司長たちのもとに来たのかもわかりません。マタイ28章の4節にはこう伝えられています。「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」。
この報告を受けた祭司長たちはすぐさま集まって長老たちと協議をします。これまで彼らが集まったときには、主イエスを殺害する相談をしていましたが(マタ27:1,12:14,22:15)、今度は妙な出来事が一人歩きしないようにこの事実を封じ込めようとしていたのです。祭司長たちは番兵たちを買収します。この10日ほど前にも、祭司長たちはイエスの弟子であったイスカリオテのユダを買収して、イエスを逮捕して殺しました。今度はイエスの復活の事実を流布させないようにと躍起になるのでした。
祭司長たちは番兵たちに多額の金を握らせて、こう言うのでした。
「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう」(13,14節)。
これに先立って27章に記されてあるエピソードによれば祭司長たちは、イエスの弟子たちがやってきて遺体を盗み、「イエスが神によって起こされた(復活させられた)」の作り話をするかもしれないからという理由でイエスの墓に番兵を置くことを総督ピラトに要請していました。そして彼らの心配事は現実のものになりました。しかし彼らの作り話こそ浅はかで稚拙なものでした。この番兵たちが眠っている間に弟子たちがイエスの遺体を盗んだという愚かなストーリー設定です。何人もの番兵がそこに配置されていたかはわかりませんが、少なくとも2人以上いたわけですが、祭司長たちに報告(証言する)のは当時の律法では最低2人か、3人の証人が必要でした。この人たちが一様に眠っていたので、イエスの弟子たちが遺体を盗みに来たのであればそれに気づかなかったのでしょうか。
複数で墓を見張っていたならば、交代で誰かが起きてそこにいたはずです。皆が一様に眠ってしまうことなどが果たしてあるのでしょうか。番兵は素人でありません。それなりの訓練を積んでいたはずです。仮眠するといっても、座ったまま目を閉じるなど咄嗟のことに際して警戒していたはずです。そしてあの墓の入り口を塞いでいた大きな石が、音も立てずに転がすことなどができるでしょうか。1人で転がすことなどできない大きな石を夜中にやってきた弟子たちが、眠っている番兵に気づかれないように転がすことなど不可能ではないでしょうか。しかしそれが人々の噂になったのなら厄介です。いろいろな尾ひれがつくからです。
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」「見ないのに信じる人は幸い」だと復活の主がトマスに言われました(ヨハネ20章末尾)。しかし信じない人はどんな理由をつけてでも主がお甦りになったことを信じないでしょう。信じる、信じないは勝ち負けではありません。しかし主を受け容れるということは、自分の側の心の壁を壊して、主をお迎えすることなのです。一人一人の心に主イエスに来ていただくのです。そのように主をお迎えした者だけが主の復活と同じように新しく生まれ変わるのです。復活の主はそのような人の浅はかな作り話をも破る力を持って人々の前に現れたのです。
先ほど共に聴きました13、14節の後半、14節で祭司長はこのように言います。
「もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう」。
「このこと」とはどんなことでしょう。複数の番兵を配置してイエスの墓を厳重時に見張らせていたにもかかわらず、遺体が消えた問題です。「説明責任」が問われます。総督ピラトが任命したのですから「任命責任」が問われます。しかし飛んだ「責任転嫁」をします。何やら時代劇のような、現在の政治の世界にも似たようなことがあります。ちなみに使徒言行録12章ではペトロを牢屋から逃してしまった番兵に対して死刑が宣告されています。
番兵たちは、責任を問われたくなかったのでしょう。祭司長たちの思い描いたシナリオ通りに動きます。15節です。
「兵士たちは金を受け取って、教えられた通りにした」。
祭司長たちが最も恐れていたのは、「イエスは死者の中から復活した」と喧伝されることでした。祭司長たちがユダを買収するときに銀貨30枚(マタ26:14-15)で買収していますが、さらに多額の銀貨を番兵たちの買収で渡していたと考えられます。今日の結びにはこう書かれています。
「この話は、今日(こんにち)に至るまでユダヤ人の間に広まっている」(15節)。
「今日まで」というのは、このマタイによる福音書が執筆されている時点を表していますので、この福音書が広く読まれるようになってからは、そうではなかったかもしれません。福音書に証しされているように主イエスがまことに死者の中から神によって起こされ、お甦りになられました。事実、この真実の証言は聖書となり、ユダヤ人たちだけではなく、全世界に「広まっている」のです。
この後も物語は続いていきます。主イエスの弟子たちはイエスの復活を自分たちの生き方の中で体現していきました。その1人がパウロです。コリントの信徒の手紙Ⅰ15:14で彼はこう言っています。
キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であり、あなたがたの信仰も無駄になります。
パウロは生前の主イエスに出会ったことはありませんでしたが、ダマスコに赴く途上で復活の主に出会いました。ここまで言い切るパウロでした。彼は復活の主との出会いを彼の心の中で起こった内的な経験としては語りませんでした。復活の証人として、彼の実存と主の復活を結びつけて語りました。彼はかつて律法を守れば救われると考えてりましたが、その後、主イエスの復活の証人として、生きて働かれる主のいのちと自分のいのちを合わせて生きたと言えます。ガラテヤの信徒への手紙2:20には「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」と言っています。彼だけではなく主イエスの弟子たちは、宣教に邁進していきましたが、絶えず迫害を受け続けました。この世から憎まれ、暴力に耐え続け、牢に入れられる者もいて、ほとんどの者たちは命を落としました。自分の命を守るために偽の証言をした番兵たちとは対照的です。それでも彼らは主イエスが死から命へと移されたことを証言し続けました。
私たちが生きるこの現代においても、主イエスの復活が作り話であるとか、神話であるとする人々がいます。信仰が否定されるのです。教会にとっては挑戦的なことです。困難なことでもあります。私たちの教会では今日午後に教会総会を開きます。この中で最も大切なことは、役員の選出とともに、宣教方針を決議することです。私たちの教会がこの時代の中で復活の主イエスをどのように宣べ伝えていくのか、共に祈りを合わせ、復活の主を先頭に進んでいきたいと思うのです。