コヘレトの言葉12:1;ヨハネによる福音書15:12~14
「お金は貯めるものではありません。使うものです」
親にこう言われて育った子どもたちがいました。でもこれに続く言葉がありました。
「お金は貯めるものではありません。使うものです。世のため、人のために」
それから子どもたちはお小遣いをもらう度に「お金は貯めるものではありません。使うものです。世のため、人のために」と声を揃えて言いました。この子どもたちはそれを教えた親の「世のため、人のために」という姿勢が伝わって、何をするにしてもまず世のため人のためにと考えるおとなへと成長していきました。
この話は実話で、かつて茨城県で牧師をされていたF牧師の言葉です。この家庭の3番目の子どもは女の子で「るつ記」さんと言いました。旧約聖書の「ルツ記」から取られたお名前です。みんなから「るっちゃん」と呼ばれていました。このるっちゃんのおじいさまも牧師をされていた方でそのおじいさまの教会と関係があった老人ホームと養護施設で一生涯を日本人のために捧げたドイツ人の女性宣教師であるキュクリッヒ宣教師をるっちゃんは心から尊敬し、小学生のころから彼女のように外国人のために働きたいと夢を持っていました。特にアジアの人々のためにという祈りを持って大学でキリスト教社会福祉を学び、休みになるとフィリピン、インド、バングラディッシュなどで奉仕活動をしていました。
るっちゃんは大学を卒業し、さらに福祉の学びをするためにフィリピンへ留学をしました。そのフィリピンで1983年の春のこと、るっちゃんがボランティアとしてルソン島ボトランの海岸に少女たちを伴って行ったときに、浅瀬で水浴びをしていた数人が急に起こった底流に巻き込まれました。その時に「私をひとりにしないで・・・・・・」という悲鳴にるっちゃんは2人の少女を助けに海に引き返して、そこで少女にしがみつかれて3人ともおぼれてしまいました。しばらくして漁師たちに助けられましたが、2人のフィリピン人の少女は命を取りとめることができましたが、るっちゃんは息を吹き返しませんでした。るっちゃんの24歳の生涯でした。
当時一人の日本人の女性がフィリピン人を救うためにいのちを落としたという話は世界中に報道されました。葬儀を司式したフィリピン聖公会の神学校の学長は次のように式辞を述べました。
一人のフィリピン人として、私はるつ記さんが多くの日本人とは違った印象を与えてくれたことを指摘したいと思います。年配のフィリピン人は、(日本といえば)日本人兵士とか、「カミカゼ」の印象を持っています。そして今は、たいていのフィリピン人は日本人観光客について思い浮かべるでしょう。これらの日本人に関するイメージは、るつ記さんが示してくれた印象とは異なっています。なぜなら彼女は奉仕をしようとしてここにやって来ましたし、そしてフィリピン人を愛し、フィリピン人の間に多くの友人を得たのですから。私たちは彼女が“自分自身を神への奉仕と、同胞のために捧げた”と、また“彼女の短かった生涯は、日本の国民と我々の間の橋渡しと関係を深めるために費やされた”と確信して言うことができましょう。
るっちゃんのご両親は「あの子は私たちの子ではなかったような気がします。神さまから24年間だけお預かりしたのではなかっただろうか。そして私たちに多くのものを残して、神さまのもとへ旅立っていったのではないだろうか。どうか、あなたも君も、他の者を生かす生活に旅立ってほしい、ほほえみをもって」。
さて、今日の聖書の言葉です。ある時イエスさまは、「互いに愛し合いなさい…友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と言われました。「愛し合う」ということはどういうことかというと、目の前にいる人を「たいせつにする」ということです。そしてここで「自分の命を捨てる」と書いてありますが、これは新約聖書が書かれたギリシャ語では「置く」「差し出す」という意味の言葉です。自分のためだけに神さまがくださった「いのち」を使わないということです。私たちは気がつくと自分のことばかり、考えてしまいます。人間は誰でもそういう習性があります。そして「ひとりじめ」してしまうこともあります。
そういう時にどうしたらいいかということ、「神さま」「イエスさま」ってお名前を呼んで、力をいただくことです。神さまはみんなのことをいつも見ているし、みんなのお名前を知っておられます。今日は最初に旧約聖書の言葉を教会学校のお友達に読んでもらいました。「青春の日々にこそ……創造主に心を留めよ」というのは、みんなのように子どもの時から神さまのことを知っているとはとても良いことですということです。
るっちゃんが天国の神さまのもとに旅立った後、「るつ記記念基金」が設けられ、経済的に困難な学生を40年近くにわたって何十人も支援してきました。るっちゃんの足跡はまさに神さまから与えられた「いのち」を世のため、人のために使い果たした生涯ではなかったでしょうか。
さあ、私たちのすぐ近くで助けを必要としている人たちがいるはずです。その人たちを大切にすることは、イエスさまが教えてくださった「愛し合う」ことにつながります。
「互いに愛し合いなさい…友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」。
(参考『るっちゃんの旅立ち ボトランの海で命ささげて』藤崎るつ記記念文集編集委員会編 キリスト新聞社 1984年)