エレミヤ書31:31-34;ヨハネによる福音書8:31-36
改めまして、皆さん、おはようございます。東中野教会の牧師の浦上 充と申します。今日は、皆さんと共に礼拝を守ることができて、とても嬉しく思います。
この代々木上原教会の中村吉基先生には、明治学院高等学校で本当にいつもお世話になっております。私が牧会をしております「東中野教会」は、賛美歌作家でもあった由木 康 先生がおられた教会で、「きよしこのよる」というクリスマスの賛美歌の翻訳や「まぶねのなかに」といった賛美歌も、ここから生まれました。
今日は、「宗教改革」を覚えて、共にみ言葉に耳を傾けていきたいと思います。
宗教改革
今から508年前の出来事です。1517年10月31日。アウグスチノ会の司祭であったマルティン・ルターは、ヴィッテンベルク城教会の扉に「95か条の提題」を張り付けました。
後に、「宗教改革」と呼ばれる教会改革のきっかけとされる出来事です。彼が、この文書を、10月31日に公表したのには理由がありました。
この日の翌日である11月1日は「諸聖人の祝日」、翌2日は「死者の日」とされ、教会では、年に一度の墓前礼拝が行われました。
当時この日には、教会の前で、大々的に「贖宥状(免罪符)」が売り出されたようです。
「これを買えば、死んでしまったあなたの両親も天国に行ける」と言われていました。
そうなんです。
よく勘違いされますが、「贖宥状」とは「自分が天国に行くためのもの」ではありません。
死んでしまった愛する人が天国に行けるようにと、残された家族が供えるものでした。
ペストの大流行がありました。愛する人が死んでいくのを、隣で見ながら「何もすることができなかった」と、皆、痛みを負っていたのです。
この人々の思いを受け止め、彼らの集まる「祈りの場」を整備するために教会堂の大改築が呼びかけられました。その中で売り出されたのが、この「贖宥状」です。
しかし、大きな問題もはらんでいました。教会や聖職者による献金の中抜きも公然と行われていましたし、み言葉が捻じ曲げられていたのです。
ルターは、このような教会の姿を見つめて「真理とは、いったい何なのか」と、鋭く問いかけました。それが、この「95箇条の提題」です。
今日の典礼色は「赤色」ですが、この赤色は、神から注がれた「聖霊」と、浄化を表す「炎の赤色」であると共に、改革を叫びながら死んでいった多くの殉教者たちが流した「血の赤色」を示しています。
時代が変わり風土も変わりましたが、私たちもまた、プロテスタント教会に繋がる一人のキリスト者です。私たちはこの時を、どのような思いで迎えれば良いのでしょうか?
真理はあなたたちを自由にする
今日イエス様は、弟子たちに語られました。
「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」 (John 8:31-32)
これまで何度も聞いて来た、馴染み深い箇所ですが、改めてじっくり読んでみると、さまざまなことに気づかされます。
たとえば、最初の箇所。「私の言葉にとどまるならば」という言葉です。
つまりイエス様は、「自由」や「真理」をつかむためには「私の言葉にとどまる」という、条件を付けておられるのです。
「誰でも良い」という訳ではありません。「私の言葉にとどまる」必要がありました。
また、これは裏を返せば、弟子たちの中に「イエス様の言葉にとどまっていない者もいた」ということが、暗に示されています。
このように聞くと、イエス様の言葉なのに少し「排他的」な感じもしますが、この箇所を理解するためには、この「ヨハネによる福音書」が記された時代背景に、目を向けなければなりません。
福音記者ヨハネがいた教会は、一つの危機に直面していました。
イエス様が天に帰られてから数十年が経ち、ユダヤ人やローマ帝国による断続的な迫害も行われましたが、それでも各地に教会が立てられ、皆、力強く福音を証していました。
また、ちょうど同じ頃、彼らは「ユダヤ教」からも距離を置き、「ユダヤ教の“ナザレ派”」から「キリスト教」と呼ばれるようになりました。
しかしそこで、人々のさまざまな思いが出てきたのです。
当たり前のことですが、そもそもイエス様は「キリスト教徒」ではありません。
歴史的に見ても、イエス様は生涯「ユダヤ教のラビ(聖職者)」でした。
このことから、当時の教会の中には、「私たちはユダヤ教にとどまるべきだ」と考える人もいたようで、教会が分裂していったのです。
先ほどお読みした、「真理はあなたたちを自由にする」というこの言葉は、ヨハネのいた教会の「信仰告白」の言葉であったとも言われています。
つまり、彼らが選んだのは、「ユダヤ教にとどまる」ことでも、「キリスト教という新しい宗教を立ち上げる」ことでもなく、「イエス様の言葉にとどまり、真理を掴み、自由を得る」ことでした。
では、イエス様が語られた「真理」とは?、また「真理は、あなたたちを自由にする」という言葉の「自由」とは、何を指しているのでしょうか?
教会に来ると、自由がなくなる?
私たちはこれまで、「真理」を求め、「自由」を求めて歩んできました。「ここに救いがある」と信じて、私たちは「教会の門」をたたいたのです。
しかし、どうでしょうか。皆さん、「真理」を手にしていますでしょうか?「自由」を手にしていますでしょうか?
私たちが属している、この「教会」という場所にもさまざまなことが起こります。
嬉しいこともあれば、悲しいことや苦しいこともあります。
皆さんの教会生活は、充実していますでしょうか?
実は、昨日、私が牧会している「東中野教会」では、「バザー」が開かれていました。
あいにくの雨となりましたが、本当に豊かな時となりました。
10月の頭には「神学校日」があり、昨日は「教会のバザー」、そして今日は「宗教改革記念日」。11月に入ると「墓前礼拝」や「永眠者記念礼拝」「永遠の主日」。あっという間に「アドヴェント」が来て、「クリスマス」「元旦礼拝」「年度末」と、息つく暇もありません。
「もっと、静かに、祈りの生活を送りたくて、教会に来たのに」、
「もっと、神様のみ言葉に触れたくて、洗礼を受けたのに」、
いざ、その「交わり」に入ってみると、どんどん「自由がなくなっていく」と感じるのです。
洗礼を受けたら、すぐに声がかかって教会の奉仕に招かれたり、役員に選出されるということも珍しくありません。
しかし、ここで改めて見つめたいのは、「私たちが求めている自由とは、どのようなものなのか」ということです。
私たちは、「自由とは、すべての束縛から開放されることだ」と思っています。
もう少し踏み込んで申しますと、「自由とは、すべてが自分の思い通りになることだ」と、私たちは思っていないでしょうか?
これは、昔あれほど嫌だった、中学や高校の「学校の規則」と同じかもしれません。
皆さんが学生の頃は、男子は「丸刈り」、女子は「髪が肩につかないように」と言われていたと思います。私もそうでした。毎朝、校門で「頭髪」や「スカートの丈」のチェックもありました。今は時代が変わり、「制服が自由」という学校も多くなりました。
しかし、そこで奇妙なことが起こっています。せっかく自由になったのに、結局みんな、同じような髪型になり、同じような制服っぽい服を着て、学校に通っているのです。
「自由」になったのに、かえって自由ではなくなるのです。
あの頃求めていた「自由」とは、いったい何だったのでしょうか?
『聖書』が語る「自由」とは、
私たちの凝り固まった「自分」という束縛から解放されて、
「自分とは異なる考えを持つ人」と出会い、「その人と共に生きる中で」与えられるものです。
私たちの固定概念や、差別や偏見、私たちが罪のゆえに犯してしまう一つ一つの事柄から解放され、真に「私」という存在として、神に向き合う時が与えられるのです。
その「自由」とは、「神の真理」と「神の愛」に裏付けられた「自由」です。
プロテスタントであるということ
私たちは自分たちのことを、「プロテスタント」と呼んでいます。
この「プロテスタント」とは、「抗議する」という意味であり、「カトリック教会の側」から付けられた名前でした。
「あいつらは、抗議する者である」というのです。
現代的に言えば「あいつは悪質なクレーマーである」といった感じかもしれません。
とても不名誉な呼び名ですが、一方で私たちは、この「プロテスタント」という名前を、誇りをもって守ってきました。
それは、私たちが、ある特定の「主義」や「教理」にとどまるのではなく、常に「神のみ言葉」を中心に据えて、「神は今、私に何を語っておられるのかを探し続ける者である」ということ、「自分自身を改革し、変革し続ける者である」ということを、忘れないためです。 もしここで、「私はここから動かない」「この考え方は真理であり、不変である」と言い始めたら、それはもはや「プロテスタント」ではありません。
ある特定の「主義」や「教理」にがんじがらめになり、目の前で苦しんでいる人の姿が目に入らなくなると、私たちは真理から、また自由から、あっという間に遠ざかってしまうのです。
500年経っても、1000年経っても、「キリスト者としての姿」を見つめ、「教会の姿」を見つめて、自分自身を改革し続ける歩みこそ「私たちプロテスタント教会の姿」です。
まだ、私たちの再創造の業は、終わっていません。 共に「真理」によって裏付けられた「自由」を求めて、この信仰の旅路を歩んで行きましょう。