出エジプト記19:1-9;ヨハネによる福音書16:23-33
今月の8月6日、およそ5年ぶりに広島の平和記念式典に参加しました。長崎で開催された世界平和首長会議(Majors for Peace)に参加する南インドのトマス・マシューさんのエスコートでした。
平和記念公園の左上、相生橋のすぐそばに「原爆供養塔」というお椀を伏せた小山のような塚があるのをご存じでしょうか。被爆直後に折り重なる遺体を焼き、その遺骨を納めた場所です。そこに収められた遺体は「7万」柱と言われますが、本当の数はよく分からないらしいです。それでも後に多くの遺骨が遺族のもとに戻ったのは、佐伯敏子(さいき・としこ)さん(1919-2017年)の働きによるところが大きいです。彼女は〈広島の大母さん〉と呼ばれた有名な方です。供養塔ができてから、義理のご両親がそこに眠ると信じ、ずっとその清掃をされました。ようやく1970年になって、内部の納骨堂への入室が彼女に認められ、彼女は幾万の骨箱に囲まれた真っ暗な空間で、骨箱に添えられた身元書きを、懐中電灯をたよりにノートに書き写しました。そして、ほぼ一人で遺族を探し歩いたのです。そして、この添え書きを最初に作成したのは、被爆直後に江田島から招集された2000人近い、全国から集められた当時10歳代の少年特攻兵であったことが分かっています。彼らも二次被爆しました。
これらのことを私は、ジャーナリストである堀川恵子氏の著書『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』(文春文庫、2018年)から学びました。堀川さんが1993年、喪服姿で供養塔を清掃する佐伯さんに駆け寄ると、「あんた、元気なのはええけどね、ここはソオッと歩かにゃいけんよ。まだ大勢の人が眠っておられる場所なんじゃから」と言われたそうです。広島は各国から大使を招いて、華やかな国際会議をしていればよいだけの場所ではありません。
II
しかし今日は少し別の角度から、聖書を手がかりに似通ったと思われることを、ごいっしょに考えてみましょう。それは、かつて政治的な処刑の死を遂げたイエスが、今や神によって復活させられたという信仰が生じたとき、死者と生者はどのような関係にあるのかという問いです。
先ほど朗読したヨハネ福音書は、〈キリストは神によって起こされた〉という信仰の下で執筆されました。さらに〈聖霊が到来し、今ここで私たちに現臨している〉という確信が、自分たちに何をもたらしたかについて省察します。その意味で、この福音書は現在の私たちと本質的には同じ状況の下で、キリストへの信仰の誕生について、またそれが何であるかをもう一度理解しようとしています。単なる生前のイエスの生涯についてのルポルタージュではありません。そこでは、聖霊の到来以前と以後では、つまり復活信仰の成立以前と以後では、様々な意味で質的に異なる時が生じたと言われます。
III
第一に、イエスの名によって神に祈ることは、「その日」より後に、すなわち復活信仰が生まれ、聖霊が到来して後に初めて可能になったと明言されます。「今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった」(24節)。つまり、〈主イエス・キリストの御名によって祈ります〉という私たちの習慣は、イエスの復活というできごとがもたらした新しい現実なのです。
そしてそのことは、生前のイエスによる宣教と決して矛盾しません。むしろ、かつてのイエスの宣教を、より高い次元で理解することが可能になりました。「願いなさい。そうすれば与えられる」(24節)とあるのは、山上の説教が伝える生前のイエスの言葉、「君たちは求めよ、そうすれば君たちに与えられる」(マタイ7:7-8)を受けています。生前のイエスが教えたとき、おそらくそれは、「神の王国」の到来に直面して、命を創造する神への信頼をアピールするものでした。これに対して今は、「あなたがたが喜びで満たされる」ために、君たちは受けると言われます。喜びが満たされたとは、おそらく聖霊を授与されるという体験を指します。――聖霊となったイエスが、「願いなさい」という教えの意味を新しく教えたのです。
第二にヨハネのイエスは、彼がこれまでは「たとえ」で、とはおそらく〈謎めいた仕方で〉弟子たちに語ってきたが、今や聖霊を通して「はっきり」、あからさまに父なる神について語ると言われます。
生前のイエスは「神の王国」を宣教するために、たくさんの譬えを語りました。それは必ずしも謎めいた秘密の教えではありませんでしたが、聞く者たちの主体的な理解と態度決定を求めるものでした。〈神は新しい行動を起こし、世界はまったく新しいものになったので、君たちの経験も新しくなりますよ〉というのがそのメッセージです。ヨハネ福音書では、こうした語りが、「わたしは~である」というイエスの象徴的な自己啓示の講話に変貌ないし発展しています。例えば「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ10:11)、「わたしはまことの葡萄の木である」(15:1)のように。
このようにイエスが聖霊を通して語りかけるとき、あるいは信仰者がイエスの名によって神に祈るとき、父なる神と信仰共同体の間で直接的な関係が可能になります。だから、もはや「わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない」(26節)。聖霊の授与はイエスの死後に、彼が天にあげられて初めて可能になりました。他の箇所では、「私を信じる者は、その人の内側から生ける水の川が流れ出る」(ヨハネ7:38)と言われます。――死せるイエスが、神との生きた関係を信仰者に可能にする存在に変貌しているのです。
そして第三に、神とイエスそして信仰者の間に「愛する」という関係が生じます。「父ご自身があなたがたを愛し」、他方で信仰者たちは「わたし(イエス)を愛し」、「わたしが神のもとから出て来たことを信じる」という具合に(27節)。
もちろん生前のイエスは神の到来について宣教し、また弟子たちを愛しました。しかしイエスが神から来た存在であることは、復活信仰の成立の後に、本当に明瞭になりました。神が信仰者たちを愛し、イエスの神的起源を信じることは、別の箇所ではイエスと父なる神と信仰者の相互内在として表現されます。「かの日には、私が父の内におり、あなたがたが私の内におり、私があなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる」(14:20)。キリストを介し、神と信仰者が命の関係でつながっているということでしょうか。今やイエスは神の命のうちにあり、それによって初めてイエスと信仰者たちの相互内在が実現したのでしょう。
これらのことすべては、「その日に」(23節)生じると段落の最初にあります。「その日」とは伝統的には世界の終わり、つまりこの世界の真実が最終決定的に明らかにされる時を指す表現です。それほど重要な出来事が、イエスの復活と聖霊到来によって生じたと理解されているわけです。
IV
しかしながら福音書そのものの場面設定は、イエスの受難に先立つ告別説教です。「私は父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く」(28節)。自分と弟子たちの相互内在について語るイエスはじきに裏切られ、弟子たちはイエスを見棄てるでしょう。「見よ、あなたがたが散らされて、自分の家に帰ってしまい、私を独りきりにする時が来る。いや、すでに来ている」(32節)とあるのは、再び古い受難伝承への示唆です。すなわちマルコ福音書の受難物語では(マルコ14:27)、「私は羊飼いを打つ。すると羊たちはちりぢりにされる」というゼカリヤ書の預言(ゼカリア13:7)が引用されていました。
こうして、一方において信仰者はイエスと共にいますが、同時にイエスから離れるという現実があります。ウクライナやガザで一般市民を巻き込んだ戦争が行われているとき、また自衛のためと称して、あるいは言論の自由の名によって弱い立場にある人々の基本的人権が踏みにじられるとき、私たちがイエスと共にいるとは、とうてい言い難い。ましてや「キリスト教」の名によって非キリスト教徒や、LGBTQの人々が社会から排除されるとき、ヨハネのイエスは、私たちに向かって「今、(君たち)は信じるというのか」(31節)と問いかけるのではないでしょうか(新共同訳は別様に「今ようやく、信じるようになったのか」と訳す)。
V
「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(33節)
復活のイエスは、彼を信じる者たちが平和をもつことを望みます。私たちが礼拝で〈主の平和〉と言って互いに挨拶するのも、その表れです。この平和は、苦難の現実を否定しません。むしろ苦難の只中にあっても実現されている平和を意味します。なぜなら死から起こされ、神と信仰者の直接的な交流を可能にした存在であるイエスは、すでに世界に対する勝利者であるからです。それでも、このすでに実現された平和は、そのつど勝ち取られる必要があるのだと思います。
冒頭で紹介した堀川恵子さんは、原爆供養塔に「眠るのは〈神〉でも〈仏〉でもなく、〈人間〉である。さらに言えば、無差別に殺された人たちだ」と言います(原著は一部強調)。イエスもまた惨たらしく殺されました。ならば私たちも、主イエスの名によって祈るとき、また「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ18:20)という約束に励まされて勇気を奮い起こすとき、佐伯敏子さんの言葉、「ここはソオッと歩かにゃいけんよ」という言葉を、同時に思い起こしましょう。