コリントの信徒への手紙Ⅱ5:16-19
ある人が洗礼を受けてクリスチャンになったときに「これからは自分の性格を変えなければならない」と思いました。それはなぜかと言いますと、日本では「敬虔な」クリスチャンとよくいうからです。そしてこの人は敬虔なクリスチャンのイメージは控えめで物静かだと思っていたからです。ところがご本人は活発で、少々騒々しい人でした。しかしある時、変えるべきは自分の振る舞いだけではないことに気が付きました。神さまが用意してくださったご計画に従って、自分のこれから歩むべき道を軌道修正するということ、そして希望をもって将来に向けて歩むことだと示されたのです。
だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた(17節)。
新しくなれるのは、特定の人ではありません。今日の箇所では「だれでも」と言っています。ただ一つ条件がついています。それは「キリストと結ばれる人」ならば「だれでも」、ということです。
では「キリストと結ばれる」とはどういうことでしょうか。私たちは今、教会に来ています。教会の建物をキリストに譬えてみると、今日はとても暑いですが、この礼拝堂は涼しいです。でも後ほど外に出てみれば暑さを感じます。かんたんに言えばキリストと結ばれていれば、私たちの外側でどのようなことが起こっていようとも、キリストが守ってくださるということです。
私たちの教会の会員であった渡辺峯さんが先日7月1日に94歳で神さまのもとに召されました。生前長い間、東京の女子学院中学・高等学校の英語の教師として務められて、教育者としてたくさんの教え子さんたちを輩出されました。
峯さんはまたその間、日本YWCA(キリスト教女子青年会)副会長を経て、1982年から6年間、会長を務められて、その同時期にたくさんのキリスト教団体や学校の運営に携わりました。
峯さんがキリスト教の信仰を持つようになったのは、1949年12月23日に当時の日本基督教団駒込教会(現在の西片町教会)で鈴木正久牧師より洗礼をお受けになってからでした。
しかし峯さんがキリスト教の信仰に導かれるまではさまざまな障壁がありました。そのあたりのことは『女子学院創立150周年記念誌』に1993年の10月の創立記念日に話された「女子学院での出会い」が、また2004年4月に発行された当代々木上原教会の「教会たより」第42号に「私が教会と出会ったとき」という手記を残しています。
「女子学院での出会い」からかいつまんで引用したいと思います。
私は…軍国主義のまっただ中に教育を受けました。国民学校での6年間に、「天皇は神様である。この戦争は聖戦である」と毎日毎日聞かされました。…教育の影響とは恐ろしいもので、毎日くり返されるとそう思えてきてしまうのです。…家が焼け、新潟に疎開。工場に動員されていた15歳の時、敗戦を迎えました。(それは)大きなショックでした。ラジオや新聞でこれまで言っていたことは皆うそだった。…よくぞ私たちをだましてくれたと思いました。そしてこの世に真実などないのではと感じて虚無的な気持ちに陥りました。
疎開から戻られた峯さんはそこで初めてキリスト教に触れました。けれども「もうだまされないぞ」という思いが強く、キリスト教には距離を置いていたと記されていました。その後しばらくして友人に連れられて行ったのは、私たちの教会の前身の旧上原教会でした。その後、一年上級で、現在も私たちの教会員でもある西田和子さんは駒込(西片町)教会に誘われたことがきっかけで、洗礼に導かれたのでした。奇しくも私たちの代々木上原教会は旧上原教会と西片町教会の流れを汲むみくに伝道所が合同して1997年に設立された教会です。その教会に集うお一人となっていることを感謝しておられました。
この代々木上原教会ではさっぱりとした性格の人として親しまれ、度胸のある人として人望を集めておられました。教会の役員(書記として長くご奉仕)、礼拝堂に毎週生花を活けてくださったこと、また教会学校のスタッフとして子どもたちの指導に当たられました。
一昨日、この教会の初代牧師のお連れ合いであり、今は岐阜におられる村上雅子さんからお便りをいただきました。雅子さんは今93歳。東京女子大学で峯さんの1年後輩でした。そして同じ西片町教会の青年会でも、YWCAでも同じ時を過ごされました。そして上原で宣教してきた2つの教会が合同してこの代々木上原教会が1997年に創立されてからも教会生活を共にされました。
雅子さんのお便りの中にこんなことが書かれてありました。この会堂で礼拝が始まったのは1997年の7月13日、日本キリスト教団の教会としての設立式は少し後の10月5日でした。きっとそれから間もない日に、渡辺峯さんは雅子さんにこう言ったのだそうです。
「雅子さん、CS(教会学校…子どもたちのための礼拝やプログラム)を始めましょうよ、クリスマス前のこの時期を逃す手はないワよ」。
江戸っ子風の「逃す手はないワよ」という口調で、「2人で始めよう」と言われたのだそうです。ここから私たちの教会学校が始まっていくのですね。これが教会の皆さんが口々におっしゃる峯さん持ち前の「さっぱりした性格」というところでしょうか。
さて、峯さんについて語る上で忘れてはならないのは平和に対しての想いです。
軍国少女して歩んでこられたことは先ほどお話をした通りですが、峯さんが遺されたメモには1970年の日本YWCAの総会で「核否定の思想に立つ」ということが打ち出されたということが書かれてありました。平和に対する強い思いは、日本キリスト教協議会平和・核問題委員会、原子力行政を問い直す宗教者の会、そして日本YWCAの「ひろしまを考える旅」にも積極的に参与されていきました。峯さんが愛唱された聖書の言葉は、今日最初に読みましたイザヤ書2章4節の「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない」というものでした。
今月、日本は敗戦から79年が経った夏を過ごしていますが、私たちは周囲に戦争を経験された方々が少なくなっていく中で、平和の大切さを改めてこれからの社会を担う人たちに伝えていかなければならないと思います。私たちの教会には渡辺峯さんをはじめ、イエスさまが「平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)と招かれた言葉に従った人たちがたくさんおられます。
今日私たちはコリントの信徒への手紙Ⅱから聴きました。
だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた(17節)。
キリストに結ばれている人は「新しく創造された者」であるとパウロは書いています。ユージン・ピーターソン(Eugene H. Peterson)という日本でもよく知られたアメリカの牧師がいました。彼は「ザ・メッセージ The Message」というわかりやすい現代英語の聖書を訳していまして、その中で彼はこの部分を“NEW LIFE”と訳しています。新しいとは、過去に遡ってそこに戻れるという意味ではなくて、私たちの人生の質が新しくなることを意味しています。
またこれに続く18節には「神はキリストを通してわたしたちをご自分と和解させ……」とあります。ここに「和解」という言葉が出てきます。これを書いたパウロという人は“NEW LIFE”を、身をもって体験して、キリストを信じることで神が人間の罪を赦された(聖書で「罪」とは……神に背を向けることを意味します)ことを「和解」と表現しています。
神は、キリストを知る前の古い私たちと、知ったあとの新しい私たちを入れ替えて(交換して)くださるということです。峯さんはかつて軍国少女として生きていました。しかし敗戦後にそれはすべて失望に変わってしまいました。けれども神はそこで働かれました。峯さんがキリスト教の信仰に立脚して、世界の平和のために働く器へと、神がその人生を交換してくださったのです。これは聖書が示す「和解」です。
神さま(キリスト)はこのようにして一人の人の人生を見違えるように変えてしまうお方です。神さま(キリスト)は居ても立ってもいられないほど、人間のことが心配で、大切にしておられるからです。
自分自身の人生、自分自身のいのちであると思い込んでいたのが、キリストが与えてくださった人生、神さまがお造りくださったいのちであることを信じることです。いわば、自分中心の生き方から、キリスト中心の生き方へと変えられることなのです。
私たちの人生において、どんなに辛いことがあっても、楽しいと思えない日々でも、これからの未来もすべてキリストが御手のなかで導き、守り、祝福してくださることに気づく時、私たちはキリストの子どもとされていることに気がつくことでしょう。皆さんはキリストが指し示してくださった神の国の大切な一員です。それを改めて知ることが「新しく生まれる」こと、“NEW LIFE”なのです。