「ぶどう酒に変わった水」 ヨハネ2:1-11 廣石望

イザヤ書25:6-10 ; ヨハネによる福音書2:1-11

I

 カナの婚礼でのぶどう酒の奇跡は、ヨハネ福音書で、「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた」(11節)とコメントされています。教会暦では、1月6日のエピファニー(公現日、顕現日)に続く、ちょうど今の時期にこの箇所が読まれることが多いです。
 この物語は、ギリシアのぶどう酒の神ディオニュシオス(あるいはバッカス)の神話ないし祭儀との関係が深いことが知られています。本日の礼拝では、この奇跡物語を手がかりに、異文化との関係をどうとらえるべきかについて、ごいっしょに考えてみましょう。

II

 日本のキリスト教は、社会の中であまりに少数派であるためか、日本の伝統的な宗教文化から距離をとることで、個性を保とうとすることが多いように思われます。私は田舎の生まれですが、家がキリスト教だったので、村の神社の秋祭りには参加しないことが無言の約束事でした。
 イエスに先立つ時代のユダヤ教にも、その傾向がありました。ヘレニズム文化の影響力は圧倒的でした。ディアスポラでは、前3世紀以降の『七十人訳聖書』というギリシア語の旧約聖書が作られました。パレスティナでも、ギリシア文化の影響は、前2世紀、都市エルサレムをヘレニズム都市に改革する試みがありました。しかしこれに対抗して、とりわけ「律法への熱心」の名の下に、ユダヤ教の固有性を守ろうとした人々がいました。ファリサイ派が異教徒との結婚はもちろん、穢れを遠ざけるために清浄規定を重視し、自民族の中の不浄な「地の民」から自らを分離することに気を配ったのも、その一例です
 他方で、キリスト教がその伝播先の文化に根差すには、当該文化の中に入り込むことで、そこにキリスト教文化の新しい花を咲かせることが必要でしょう。それは、キリスト教研究の分野で、「土着化」ないし「文化的受肉(インカルチュレーション)」と呼ばれる現象です。世界宗教としてのキリスト教は、各地でそうした文化変容を起こすことによってこそ、世界中に広まったのです。
 私たちの国にも、分かりやすい事例として和風の教会建築があります。例えば、1930年に建てられた日本聖公会・京都三一教会は和風の木造建築です。その妻壁、つまり切り妻屋根の三角の外壁の部分には、十字架とぶどうの房が組み合わされたデザインが見られます。

III

 新約聖書学の分野では以前から、ギリシア人パウサニアス(後2世紀)が伝える、ペロポネソス半島西部のエリスに伝わるディオニュシオス祭儀の報告が、よく知られています

エリスでは神々のなかでもこの神を一番大切にして拝む。この神は市のテュイア祭を訪れる、という。人びとは市から約8スタディオン(1.4キロ)離れたところで「テュイア祭」を催す。その際、祭司たちが大釜3箇を建物内へ運び込み、地元民も他郷者――ちょうど市に滞在中なら――も居合わせるところで、空のまま据える。そしてとうの祭司をはじめ、ほかの人びとでもその気があれば、誰でも建物の上に封印する。翌日になると一行は、この封印の確認を許され、ついで建物に入ると、釜はぶどう酒で溢れていることに気づく。 (『ギリシア記』6,26,1-2、飯尾都人[訳])

そこで、カナの婚礼の奇跡物語は、ディオニュシオス伝説を、最初期のキリスト教会がナザレのイエスにも当てはめることで創作したのだろう、という古典的な学説があります。
 しかしながら、溢れるぶどう酒のイメージは、ユダヤ教そのものにおいて、すでに久しく彼らの神ヤハウェについて使用されました。さきほど朗読した詩編もイザヤ書25章もそうですし、他にもたくさんあります。例えば、あるユダヤ教外典文書では、次のように言われます。すなわち終末の時代が来れば、

大地もその実を1万倍産するであろう。1本のぶどうの蔓が1000本の枝をはり、1本の枝が1000の房をつけ、1つの房が1000の実を結び、ひとつの実が1コルの酒を産するであろう。6飢える者は(飽きて)楽しみ、また、日々不思議を目にするであろう。……そのときにはまたマナの倉が上から下ってきて、その時代にはこれを人々は食するであろう。彼らは時の終わりまで到達した人々である。 (『シリア語バルク黙示録』29,5-6.8、村岡崇光訳)

じっさいディオニュシオス神話と祭儀は、イエスの時代には、パレスティナ地域にも広く行き渡っていました。さまざまな地元の神々が、ディオニュシオスと同一視されたのです。下ガリラヤのスキュトポリスからは、ディオニュシオスの彫像とコインが出土しています。

III

 はたせるかな2000年代に入って、ガリラヤのカナのすぐそばの(8 kmの距離)、都市セッフォリスの劇場脇の裕福なローマ風家屋の食堂(トリクリニウム)から、ディオニュシオスの生涯の諸場面を描いた、壮麗な床モザイクが発見されました。そこに描き出されたいくつかの場面には、私たちの物語に共通する要素、ないしその背景といえる要素がいくつかあります。
 まずディオニュシオスと英雄ヘラクレスの飲み比べの場面があります。一気飲み競争に敗れた減れたヘラクレスは酔いつぶれますが、ディオニュシオスはしゃんとしているのです。もちろん私たちの物語で、イエスは一気飲みなどしません。それでも「2-3メトレテス入り」の水がめ6つの総容量は、468-702リットルに当たります。大量の飲酒という要素が共通しているのです。
 次に、子どものディオニュシオスが、ニンフたち――人の姿をした自然霊魂――から沐浴される場面があります。彼は脇を抱えられ、バスタオルで抱き取られています。ニンフたちは神ディオニュシオスを養育するという意味で、母親の役割を演じます。私たちの物語にイエスの母が登場することは、この神話伝説と関係しそうです。
 また、セッフォリスのディオニュシオス・モザイクには、彼の婚礼の場面があります。新妻の名はアリアドネです。彼女はナクソス島で恋人のテーセウスから棄てられ、絶望という深い眠りに落ちます。そこにディオニュシオスが現れて彼女を目覚めさせ、至福の婚礼を祝うのです。ディオニュシオス崇拝者たちにとって、この神話的カップルは幸福のお手本です。これに対して私たちの物語では、婚礼のようすについて、花婿の名前を含めて、なぜかまったく言及されません。むしろ招待客の一人であるイエスが、婚礼を失敗から救ったことが語られます。奇跡が起こったことを知らない宴会長は、花婿に向かってのんきにこう言います。「人は皆良いぶどう酒を先に出すもので、質の落ちたやつは酔ったころ出すんだ」(V10、小林稔[訳])。この発言は、喜びの宴がぶじに続くことを示唆します。
 最後に、栄光のディオニュシオスが4輪のワゴンに乗り、従者たちに引かれてゆく場面があります。じつは私たちの物語で、「イエス、母、兄弟、弟子たち」の一行は、すぐ近くのナザレ――イエスのふるさとでマリアの居住地――ではなく、イエスの活動拠点であるガリラヤ湖岸のカファルナウムへと「下った」とあります。この一行は、まるでディオニュシオス崇拝者たちの勝利の行進のようです。
 なるほど、セッフォリスのディオニュシオス・モザイクの成立年代は、イエスよりも後代です。それでも、ガリラヤ地方にも、ぶどう酒の神ディオニュシオスの神話は知られており、その崇拝者たちがいたことは確かです。

IV

 こうした異文化の相互接触は、どのように理解すればよいでしょうか?
 ある者は、先に紹介したように、ギリシア由来のディオニュシオス伝説をイエスに転用したと見ます。その意図は〈ディオニュシオスでなく、イエスこそが真の神だ〉。それは異教イメージを用いた異教反駁です。
 別の者は、キリストがディオニュシオスに比較可能な、しかしより優れた神だという競争的宣伝を見ます。つまりディオニュシオスにできることは、イエスにはもっとできる。〈イエスこそ真のディオニュシオスだ。ディオニュシオスを崇拝する者は、イエスをこそ崇拝すべきだ〉。
 しかし、すでにイエス以前のユダヤ教文化の中で、ディオニュシオス的な要素はヤハウェ神崇拝と相互に刺激し合う関係にありました。ヤハウェもまた、ぶどう酒を用いる神なのです。そうであるなら「ぶどう酒」というアイテムを通して、二つの文化ないし宗教は互いを認め合うこともできるでしょう。つまり〈君たちのディオニュシオスは、私たちにはイエスだ〉。
 現代社会では、宗教の違いと結びついた文化や政治体制の違いを理由に、互いを排除したり攻撃したりする事例があまりに多くあります。ウクライナ戦争やガザ戦争でも、宗教伝統の違いが政治的なプロパガンダに悪用されます。他人事ではありません。私たちの国にも、異文化に由来する隣人たちに対するヘイトスピーチがあります。沖縄で米軍基地建設に反対する人たちを、本土出身の警備隊員が「土人」呼ばわりすることもあります。
 ヨハネ福音書のイエスは、「私の時はまだ来ていません」(4節)と言って、母の発言をいったんは退けます。イエスの時とは、彼の十字架刑と昇天の時をさします。それでもイエスは、母の間接的な促しを受けて、ぶどう酒の奇跡を行うことで「彼の栄光」を現わしました。受難物語からふり返れば、「ぶどう酒」は彼の受難の死を象徴的に先取りするものと見えます。イエスを殺そうとする大祭司カイアファは、「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないですむ方が、あなたがたに好都合だ」と最高法院を説得します(11,50)。たしかにイエスは、多数派の利益のために排除の論理によって殺されました。そのイエスが活動の最初に、ぶどう酒を用いて人々に喜びをもたらしたのです。
 ならば私たちも、自分たちの宗教的・文化的なアイデンティティーの論理を超えて、他者の苦しみに寄り添い、その尊厳を共に喜ぶ者でありたいと願います。