「天の国は誰のものか」マタイ5:1〜12 中村吉基
イエスが山上で神について教え始められた最初の教えとして位置づけられ、教えのすべてが凝縮されているということも可能な今日の箇所「心の貧しい人々は幸いである」から8つの「幸い」は、病などで苦しむ人々を癒した後その群集の前にした説教である。イエスは行動目標を決めたわけではない。当時は「細かい律法を守ることなしに人間は救われない」とされており、その信仰から脱落してしまった人もいた。イエスは古い信仰を終わらせ新しい教えを伝えた。貧しい人、悲しむ人々は「幸いである」とは「素晴らしい知らせ」と表現する人もいる。そして柔和な人々、義に飢え乾く人々、憐れみ深い人々と続く。それぞれ実現が難しいことであるが、主イエスは成し遂げられている。つまり、相手に何が必要かを考え、相手の幸せを願って、自分の力を使う人々のことである。最後の「義のために迫害される人々」については熟慮して読まねばならないが、今日も主イエスは語ってくださっている。今日の箇所では「粘り強く」「頑丈に」行きなさいと教えられている。「天の国はその人たちのものである」というその人たちの中には私達も含まれいてる。この主イエスの約束を信じて「素晴らしい知らせ」を告げられた者たちとして歩んでいきたい。