レビ記19:34;エフェソの信徒への手紙2:14-22
わたしが牧師になるために神学校に通っていた時のことです。赴任先が決まった最終学年の夏、1年間実習教会としてお世話になった横浜市中区にあるなか伝道所の牧師、渡辺英俊(「えいしゅん」と呼んでいました)さんに挨拶に行きました。「1年間お世話になりました。茨城県の牛久市にある牛久教会に行くことになりました」と報告しましたら、英俊さんがこう言いました。「牛久には入管の収容所がある。マタイによる福音書25章に『旅人に宿を貸し、牢にいたとき訪ねてくれたのはわたしにしてくれたことだ』(マタイによる福音書25章)とイエスが言っているが、入管では旅人の外国人が牢のようなところに入れられているからそこを訪ねなさい」。それが入管収容所のことを知ったきっかけです。
牛久教会に赴任したのが2006年でしたが、初めての牧師の働き、幼稚園もあったのでなかなか入管収容所に行くことができませんでした。正教師試験に合格してから行こうと決めて、2009年から入管収容所、正式には東日本入国管理センターに通い始めました。初めは右も左もわからない状態でしたので、地元で収容されている人たちの面会支援をしているグループにお願いして何回か一緒に面会をしてその後は自分一人で月に3〜4回、休みの日に面会をしてきました。わたしは牧師としてではなく、一人のキリスト者としてこの活動をしていますので、教会から休みをいただいている月曜日に面会に行っています。
面会を重ねるごとにそこに収容されている人たちがとても苦しんでいることを知ります。刑務所には刑期がありますが、入管には収容の期限はありません。いつ出られるかわかりませんから出口の見えない真っ暗なトンネルの中にいるような状態に置かれています。収容されている人の中には政治や宗教上の理由、あるいは性的指向などで国に帰ると迫害を受け、命に危険が及ぶ人、あるいは紛争があって帰れない人たちがいて難民申請をしている場合が多いです。わたしが面会し、出会ったあるウガンダ人の男性は、反政府組織に拉致されて、強制的にメンバーとさせられ、その後政府軍に逮捕され拷問を受け、家族も政府軍に殺されてしまい命からがら日本に逃げてきた人もいます。収容所で出会うのは、さまざまな事情を抱えているために国に帰りたくない、帰れない人たちがほとんどです。収容されている人たちには退去強制令書、国に帰りなさいという命令が出されていますので、いつ強制送還されるかわからないという不安で精神的にも大きな負担を強いられています。
それに加えて、入管は彼らのことを「不法滞在者」「illegal alien」と呼び、入管職員は収容されている人たちを犯罪者のように扱います。収容所から外部の病院に行く時や収容所から他の収容所に移動する時、強制送還の時には手錠をはめるのです。収容されている人は皆、犯罪を犯した悪い人と見られ、強制退去命令、自分の国に帰りなさいと言われ続けます。けれども、彼らは犯罪者ではなく、「undocumented」必要な書類を持たない人たちです。これは昨年、アメリカのバイデン大統領が言った言葉です。日本にいながら国に帰りたくても帰れない人たちの多くも「undocumented」必要な書類を持たない人たちです。入管法という法律を守りたくても守れなかった、必要な書類を準備できなかったために在留資格を取れなかったというのが実情なのです。
さて、この入管収容所ですが、ここでの生活がとてもひどいのです。ある大学でこのことをお話しした時、ある学生が「こんなところが日本にあったと知って言葉を失いました」と言っていました。まず自由がほとんどありません。部屋はすべて相部屋でトイレとテレビ、洗面所だけがあって、多い時には10畳に5〜6人が寝泊まりしていました。部屋には廊下側から鍵がかけられ、1日の大半(18時間)をこの部屋で過ごし、部屋から出ることができるのは午前3時間と、午後3時間、たったの6時間に限られています。それも建物の外に出ることは許されず、部屋と部屋をつなぐ廊下、シャワー室、洗濯室、運動施設など限られた場所にしか移動はできません。携帯電話もパソコンも使えず、外部との接触は固定電話か手紙、あるいは面会のみとなっています。しかもその電話は外からかけることができず、被収容者が決められた時間内にテレホンカードを使ってかけることしかできません。2016年ごろから2020年までの間に収容される期間がどんどんと長くなる傾向にありました。2016年以前でしたら6ヶ月か長くて1年も収容されると一旦収容が解かれて外に出ることができる仮放免が許可されていましたが、オリンピックを前にして国はいわゆる「不法滞在者」の数を減らすために仮放免をより厳しくしたのです。
入管収容所から出るための方法として「仮放免」という制度があり、いくつかの条件が整えばそれを申請し許可されてようやく一時的ではありますが外に出ることができます。わたしはこれまでにたくさんの人たちの身元保証人を引き受けてきました。「ドアを叩きなさい、そうすれば開かれる。神様は必ず道を開いてくださるから大丈夫」と励まし、仮放免を申請します。仮放免を申請して結果が出るまでに最低でも2ヶ月もの時間を要しますが、それでも何回目かの申請で許可され、面会した際に本人に向かって「仮放免がOKになったよ」と伝えますと涙を流して喜んでくれる人もいます。面会支援をしていて嬉しい瞬間でもあります。しかし、仮放免されても仕事をすることが許されていませんので生活は大変ですし、健康保険にも入れませんので病気になると大変です。わたしは保証人になるのですが、生活支援をすることはできませんので知り合いや教会、周りの人に助けてもらってなんとかやっていくようにと励ましています。
国に帰ったら迫害や怖い目にあうから日本にいたいといって難民申請をしている人たちを日本が積極的に保護しているのでしたらこのように入管収容所で苦しむ人たちが少なくなるでしょう。しかし現状はその反対です。日本は難民条約を批准しているのですが、日本の難民認定率は、2019年が0.4%でした。20年は0.5%、21年は0.7%とずーと1%にも満たない数字で、人数としては1年間で40〜70人となっています。他の難民条約を批准した国では低くても15%ぐらいで高いところでは60%も認め、2万人から多い国では5万人も難民を毎年受け入れています。紛争を逃れてミャンマーからきている人たち、迫害を受けているために逃げてきたクルドの人たち、他にもアフリカのコンゴ、カメルーン、ウガンダなど難民申請をする人たちはいますが、日本で難民として認められるのは非常に困難です。だから難民と認められるまで何度も難民申請を繰り返す人が多くいます。十数年間も難民申請を続けて認められない人がいて、入管に2回目、3回目と繰り返し収容されてしまう人もいます。
わたしは入管収容所に通い続け、面会を続けていますが何度も自分の無力さを感じずにはいられませんでした。わたしにできることは小さなことです。差し入れが欲しいという人には「ごめんなさい。差し入れはできません」と伝え、「難民文章の翻訳をお願いします」と言われても「ごめんなさい」と答えます。「どうすればビザがとれますか?」と聞かれてもうまく答えられません。わたしは時に自分がしていることは本当の助けになっているのだろか。ただ単に自己満足のためにやっているとしたら偽善なのではないかと思うこともあります。特にわたしを頼って仮放免の保証人を依頼した30代のインド人男性が2度目の申請が不許可になった後、その翌日にシャワー室で自死したときには、大きなショックを受けました。でも、「宮島さんが悪いんじゃないよ。入管の問題だよ」と励ましてくれる弁護士や支援者の声、そして御言葉に励まされてなんとか今も続けています。
こんなに小さなわたしであっても神はまだ用いてくださる、毎週日曜日の主日礼拝で頂く御言葉に励まされています。これまでにたくさんの御言葉に支えられてきましたが、今日の御言葉、エフェソの信徒への手紙もその一つです。2章14〜16節「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」神は、外国人、日本人という隔ての壁をイエス・キリストの十字架によって取り除いてくださいました。聖書はわたしたちにまことの平和を示されます。戦争がない状態が平和ではなく、一人一人の人権、尊厳が大切にされることが平和です。日本で暮らす外国人を含むすべての人の生きる権利が守られること、それがキリストによって示されている平和だと信じます。
2章17〜18節「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。 」わたしはその次の19節に希望をもちます。19節「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり」。すべての教会は自分の国に来ている外国人に向かってこの19節を福音として伝えます。「教会にどうぞ来てくださいあなたたちも神から生まれた神の子ども、神の家族だからです。」