三位一体主日礼拝
三位一体主日礼拝 10:30 司会・説教 陶山義雄 奏 楽 森 友紀 前 奏 (黙祷) 招 詞 (イザヤ40,30-31) 讃 美 歌 475「あめなるよろこび」 交 読 文 詩編51(「交読文」p.14) 旧約聖書 サムエル記下12,1-14 (旧p.496) 新約聖書 ヨハネによる福音書3,1-10 (新p.166) 祈 祷 説 教 「生まれ変わるには」 祈 祷 讃 美 歌 451「くすしきみ恵み」 献 金 主 の 祈 93-5 頌 栄 29 祝 祷 後 奏
- 教会学校 「みんなの輪の中に」(マタイ18,20) 南山宏之
本日礼拝後
- 讃美歌練習 礼拝後に会堂で、6/9家族音楽礼拝のために
- 「教会たより」編集チーム会合 讃美歌練習後に会議室Aで。メンバーは南山宏之、槙和彦、土田潤子、黒髪紀子、村上雅子の各氏
今週の集会
- 祈り会 5月29日(水)10:30-11:30会議室A。村上伸牧師の「箴言」講話(テープ)を聞いて、共に祈ります。
次週(6月2日)予告
- 三位一体後第1主日 10:30〜
聖書:コリントの信徒への手紙一 6,12-20
説教:「聖霊と体」廣石 望
- 教会学校 「天の国」(マタイ13,31) 村上典子
- オリーブ会 9:40-10:00
今後の礼拝・集会予定
牧師室から「回心から救いへ」
「回心」にまつわる記述は旧新約聖書に数多く記されている。中でも旧約聖書で言えば人妻であったバト・シェバを私物化し(サムエル記下11章)、預言者ナタンの叱責を受けて回心したダビデ王の話(同12章と詩編51編)はその筆頭に挙げられよう。ヘブライ語の「シューブ」とは、単に生き方を改めて正しく生きる(改心)に止まらず、「全存在を造り変える」と言う意味である。「回心」、または、「悔い改め」と訳されているのであるが、「生き方の方向を全く変えること」を意味している(詩編51:12)。このダビデの祈りに回心の内容が良く表されている。それは新約聖書のメタ・ノイア(変える+心を)にも通じる内容である。
新約聖書では放蕩息子の物語(ルカ福音書15章11〜32節)や、サウロの回心物語(使徒言行録9章1〜18節、他)、この二つは回心について避けて通れない内容である。ダビデや放蕩息子、それにサウロ(回心後のパウロ)の回心前と後のケースは例外的である、とは言えないほど私たちに身近な出来事ではあろう。
たといダビデのように高貴な身分の人であれ、金銭・色情に溺れて羽目を外した青年であれ、パウロのように競争原理で上を目指していた学者崩れのエリートであれ、神の裁きに触れて回心へと導かれる以外に救われようのない存在としてパウロは告白している:「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。・・・誰がわたしを救ってくれるのでしょうか」(ロマ7:24)。
放蕩息子の独白にも回心した姿が読み取れる:「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。・・・雇い人の一人にしてください」(ルカ15:18)。
ニコデモ(ヨハネ3:1〜10)に欠けていたのは罪の自覚から回心を通して救いに与る決断(洗礼)ではなかろうか。(陶山義雄)