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李 鐘元「東アジアの平和と憲法九条」講演記録

  • 演題 東アジアの平和と憲法九条
  • 講師 リー鐘元ジョンウォン  立教大学教授(国際政治)
  • 期日 2008年1月27日 14:00〜16:00
  • 会場 代々木上原教会
  • 参加費 無料
  • 主催:代々木上原教会 九条の会
  • 共催:日本基督教団 東京教区 西南支区社会委員会

講演記録

司会 村上 伸牧師

開会挨拶、祈り、講師紹介

 皆さん今日は、定刻になりましたので今日の講演会を始めさせて頂きます。私はこの教会の牧師で村上 伸と申します。皆さんがやれやれというもんですから今日の司会を勤めさせて頂きます。教会が会を致しますので一言祈りを持って始めさせて頂きます。

 「神様、日曜日の午後大切な問題について考えるために此処に集う事が出来ましたことを感謝いたします。どうかこの一時を祝福して下さい。私たちが先生のお言葉を通じて大切な問題について考へ、そして多くのことを学ぶ事が出来ますよう、語られる先生を強めて下さいますように、そして此処に居ります私ども一人一人を支えて良き知恵を与えて下さいますようにお願い申し上げます。真に足りない一言の祈りを主イエス・キリストの御名によって捧げます。アーメン」

 受付で皆様に何枚か資料をお渡ししたと思います、其の中に先生のご講演のレジメが入っていたと思いますけど皆さんお持ちですか、それをご覧になりながらお話を聞いて頂くと宜しいと思います。もう一つ質問用紙というのがございます。これは後ほど、先程先生とお話し合って、お話は大体1時間15分ぐらい、大学では90分授業というのがあたりまえですからそれを幾らか縮めて1時間15分くらいにして、後理想的にいけば45分時間が残るわけですけど、それを質疑応答に充てたい、その際此処でいきなり口頭で質問を出されますと、つい長くなりましたり趣旨がはつきりしないというふうなことも有りうるので、この紙に簡単に質問の主旨をお書き頂きたいんです。それを後ほどお話が終わりました時に少々休憩を取りますがそれを集めて、そして先生に選んで頂いて、最も重要な問題に付いていてお答え頂く、そういうやりかたで進めて参りたいと思いますが宜しいでしょうか。この会はもともとは私どもの代々木上原教会に昨年出来ました九条の会というのが考えて企画したものです、それを東京教区西南支区の社会担当が拾い上げて下いまして、是非共催したいと大変ありがたいお申出を頂きました。其の外に西片町教会にも九条の会というのが御座いまして、此処に山本牧師がお見えですけれども、その何人もの仲間が私たちも協力すると言ってくださって、その様な緊密な協力体制によって、初めてこういう会を実現する運びになったわけです。私たちとしても大変嬉しく思っています。

 早速先生に「東アジアの平和と憲法九条」という題でお話を頂きますが其の前に簡単に先生の此れまでの経歴をご紹介申し上げますと、1982年日本に来られまして、それまでソウルで勉強していらっしゃったのですが、日本に来られて国際基督教大学で学部を終えられました、それから東京大学の大学院に進まれまして国際政治を専攻なさったわけですね、その後プリンストン大学の客員研究員ということで2年アメリカに滞在なさいました。言うまでも無くご出身は韓国でいらっしゃいまして、韓国の情勢、東アジアの情勢、世界の国際政治の動き、そういう事については非常に深い識見と洞察をお持ちの方でいらっしゃいます。こういう講演会をしたいという話になりました時に期せずして、だったら李鐘元先生だという声が上がりまして、あんまりお忙しいので一寸無理じゃないかという声もあったのですが、お願いしてみたところ快く引き受けて下さいまして、今日此処にお運び頂きました。それでは先生にお願い申しあげます。   

講師挨拶

 こんにちは。ご紹介いただいた立教大学のリー鐘元ジョンウォンと申します。今日は、日本に来て以来お世話になり尊敬申し上げている村上先生ご夫妻の教会にお招きいただき、お話しする機会を与えられたことを大変光栄に思っております。先ほどご紹介にありましたが、今朝、駒場東大で研究会が一つあって報告を終ってそこから電車で来たのですけれども、最初にICUで雅子先生にお会いしたのが1983年でした。 私は1982年9月にICUに来てもう25年、26年目ということであっという間に歳月が流れたことに驚きながら感慨に浸ったという気持ちです。 

 私は立教大学で教鞭をとっていますが、私が教えている学生は私が日本に来てから生れた人たちなんですね。 何年か前からそれに気がつき、毎年授業の始めに「私が日本の先住民である」と(笑い)、「私は国籍も韓国であり、こちらに永住権はないので法的権利はありませんが、日本語は皆さんよりは使っている」と自慢しながら国際政治を教えていますが、最近は若い人の日本語は大分崩れています。いま試験と答案のシーズンで私も答案が待っているのですが、毎年憂鬱になるのは、いい加減な日本語が多くて読んでいて嫌になるし、読めないんですね。当て字が多い。一番多いのは今年も何人か出ると思うのですが、「国際紛争」というのを粉の争いと書く(笑い)。それぐらいは解読できますが、解読不可能なのが出てきて憂鬱なので「私は日本語はわかるので、ちゃんとした日本語で書いてくれ」ということを要求しながら教えたりしています。 今日は見渡しますと私などより遥かに先輩の方々が多いような感じですので、謙虚にゆきたいと思います。

 

 1  戦争は「現実」か

 いただいた題は「東アジアの平和と憲法九条」であります。私の専門は国際政治。政治学というのはそもそも思想性が薄い学問で、政治思想とかは別として、どちらかというと権力、パワーというもので議論するので、思想とか温かみは比較的薄い学問。さらに国際政治というと国益のぶつかりあいとか、外交とか、あまり人間が見えてこない、そういう学問なのです。日本に来て國際政治を志した時には、ある種の問題関心があって目指しましたけれども、自分ながら時折少し懐疑的になったりするときがあります。 

 特に今日の話にもつながるかもしれませんが国際政治で、これも東大の坂本先生の授業で聴いたと思いますが、国際政治の未来形は「正義と平和」なんですね。 正義と平和、これが共存できればいいのですけれども、國際政治の場ではこれがなかなか共存できない。平和を追求するとある種の現実的な妥協というものが必要になってきたり、政治に正義を追及すると戦争になったりすることもありますので、これをどう調和させるのかが大事で難しいということを聞きます。 これは恐らく現実の政治の宿命的なディレンマだと思います。

 今日の基本的なテーマは「日本と北東アジア、朝鮮半島」ということになるかと思いますが、この点を考える時にもひっかかってくる問題だと思います。 正義と平和、これが両立できればいいのだけれども、それにはどうすればいいのかということを考えなければならないと思います。そのようなディレンマを考えなければならないほど、政治の現実とか国際政治の現実というものは思想性よりは現実の動きに左右されるところがありますので、私自身も個人的にはやや専門的で細かい話を日々話したり書いたりしていますので、本当にお役に立てるのか少し心配になっておりますが、私の視点から考える「東アジアの平和と日本」について少しばかり考えることをお話させていただきたいと思います。

 憲法九条は、私は日本の市民権がありませんので、基本的には日本という共同体に属している方々が、その方向性を決めてゆく、それが民主主義の基本原理ですので、私はそれにつながる話を一種のコンテキストとして申し上げたいと思っております。

 1)韓国と日本における逆転現象

 冒頭から余談のようになるかも知れませんが、日本に来て25年過ぎました。その間大分変化がありました。少し単純化して申し上げると、韓国と日本の状況が大分入れ替わったように時折感じられるのですね。 ここ数年はことにその気持ちを強く感じます。韓国の若い世代はキムチをあまり食べません。カレーライスとかハンバーガーとかで、辛いものは苦手なのですね。 日本ではキムチは日本の郷土料理みたいになっています。入れ替わった気がします。昔はサッカーは韓国のほうが強かったのですが、今は日本のほうが強くなってなかなか勝てない。 

 何よりも最近政治学的にみると、日本では時折、「韓国は平和ボケである。北朝鮮に対して脅威意識がない」と批判されている。ある種の「隔世の感」があるのですね。私が20数年前日本に来たときには、「日本は平和ボケ」の中で韓国は常に戦争を意識するという状態でありました。 そしていつの間にか、戦争をリアルに議論するのは日本のほうであって、韓国は私が以前いたときと違って、北朝鮮とすぐ戦争が起きるとか中国と戦争が起きると考える人は、私はいまの韓国では殆どいないと思うんです。 日本では何故かそう考える人が増えていると感じます。 「平和ボケ」、これも完全に逆転しているように感じます。それと関連して北朝鮮に対する見方も、私が20数年前韓国にいたときには、そのときは全斗換大統領で、厳しい軍事反共独裁でしたので、北についての情報は大変限られていて、政治犯に対する収容所であるとか弾圧とか「喜び組」とか人権抑圧とか、そういう話だけが北に関する情報でありました。 日本に来てみると、北も人間が生きているような社会であるとか、北の社会に関する明るい情報がNHKで流れたりして非常に新鮮な驚きを感じたり、そこから新たな状況に目を開かされたり、そういう思いをしたのが20数年前の状態でした。 北に関する情報や見方がいまは全く逆転している。 これは何故なのだろうかということ。 私はこれは自然になんとなくそうなったというより、何らかの理由があるはずだと考えます。これについては後半で少しお話したいと思います。

 それだけかと思いましたら、以前私が韓国にいたときには、午後6時になると町を歩いていても国旗に対する敬礼をしなければならなかったんですね。国旗を降ろす式というのがあって、その時勝手に歩くとおまわりさんに注意されたり、直立不動で2分間ぐらい立ち止まらないといけないとか、毎朝大学、学校では国旗に敬礼しながら国家に対する誓いのような、以前の「皇国臣民の誓い」のような誓いを暗誦させられたものでした。 映画館に入ると国歌が流れて起立させられたり、そういうことが日常的にありました。日本と比べればまだナショナリズムは強いかもしれませんが、時系列的に見ると韓国は大きく変化したと思います。それに比べると日本は、まだ部分的な現象だと信じたいのですけれども、卒業式や入学式で、国旗・国歌の時に、ちゃんと立ち上がらないといけない、ちゃんと声を出して歌わないといけないとか、歌うかどうかをどなたかが回りながら耳を立てたりとかするとメディアで聞いたりしました。

 以前韓国であった風景が、何故20数年たって日本に現れるのだろうかということなのです。 一種のナショナリズムなんですね。 韓国はまだナショナリズムは強いですけれども、でも時系列的に比較すると、韓国は昔に比較すると、そういう状態に対する問題提起、そこを乗り超えてゆこうとする空気が一般的になっていると思うのです。けれども日本は何故か、国家そのものを再発見しようとする方策が、政策もありますし、下からの欲求も出てくる。 必ずしも上から押し付けたものだけでなく、グラスルーツから、そのような意識が芽生えてくる。これは何故なのか。 これはやっぱり考えなければいけないと思うんですね。 

 そういうものが今日本で、いわゆる九条に代表されるような「平和憲法体制」といわれたもの、あるいは「戦後体制」といわれたもの、日本では「戦後」というと、これは単なるカレンダー上の変化ではなく独特の意味があるんですね。「戦前」と区別される「戦後体制」、「戦後民主主義」、それが今大きな曲がり角にある。 それが政治家とか上のレベルもありますけれども、下からの動きがあると、より強烈な動きになる。それが韓国となると何故逆の動きが出てくるのか、これを考えるのが恐らく私たちの課題なのではないかと思います。 

 以前韓国では一言しゃべるときにも気を使いました。電話するときも気を使いましたし、私も日本に来たのも韓国で政治運動に少し関わりましたので大学も卒業できませんでしたので、それで仕方なくこちらで勉強を続けるしかなかったので、こちらにお邪魔したということなんですけれども、当時は若くて記憶力がよかったので韓国ではメモをせずに殆どの電話番号を覚えていました。 捕まった時にひとに被害が及ぶので。 日本ではそういう必要がないのでいい国だなあと。 韓国では歩きながらおまわりさんを見るとビクッとしたりとか、いつ何されるかわからないと常に不安で、どこで聴かれているかわからないとか、発言や行動一つ一つにある種の恐怖感をもって過ごしたというのが体から抜けるには、日本に来てから数年間かかったというのを覚えています。 日本はほんとにいい国だなと1982年に来ました時に痛感しましたけれども、今韓国では何を言っても誰も何も言わない。 しかし日本では何となく「通信傍受法」とか、なんとか法とか、そういうことを懸念する方々が出てきたり、そういう発言そのものが、法的に問われなくても非常に強い社会的反発を受けたりするという、言論の面でも、ある種の制約というのが、日本でもまだ法律的に制約されているのではないけれども、そのような以前なかった制度が進んできていているというか、それが何故なのかということを考える必要がある。

 冒頭に個人的な体験にひきつけて申し上げて恐縮ですけれども、そういうものを念頭におきながら、この日本の状況、ことにその関係において朝鮮半島、アジアとの関係、何故日本がこれほどある種の不安が広がって、アジアとの距離関係ができて、国家そのものに頼ろうとする、いわゆる「右傾化」とか「保守化」という言葉をよく使いますけれども、そういうものが出てきているのかを考える。 その現象の中で日本の平和体制、憲法体制というものが挑戦されているということですので、その辺にお役に立ちそうなことを、やや専門的な言葉を時折使うかもしれませんが、少しお話ししてみたいと思います。

 2)戦争と「リアリズム」(現実主義)

 まず一つは、国際政治で戦争はいつでも起こり得るので備えなければいけないと考える人を、國際政治学では「リアリスト」といいます。「理想主義者」は戦争は起きないと考える。

 まあ単純に言えば。 それに対して、戦争はいつ起きるかわからない、だからちゃんと軍隊を持って常に備えなければならない、膨大な軍事費を使っても、それは大事なことである、

 そういう風に考え主張する人を「リアリスト」、現実主義者と学問的にも分類されて、一般的にもそう言われますけれども、最近ちょっと疑問に思ってきました。本当に戦争ってそんなに現実的なのかっていうことなんですね。 戦争は本当に現実的に起こることなのか。

 起こそうとする人はいるのでしょうが、戦争というものが、19世紀、18世紀に比べて、今21世紀の世界において、このときの「戦争」というのは、「国家と国家の間の組織された武力抗争」ですけれども、組織された軍事力の行使としての戦争というものは、普通私達が一般的に考えるように、そんなに現実的な可能性として高いのか。 それに多大のコストを払って備えるほど、現実的な可能性は高いのかという、やや単純な疑問であります。

 これはやや逆説的な問題提起なので語弊があるかもしれませんが、今の戦争は歴史的に見ると非常に起きにくくなっているんですね。 実際に物理的に様々な要素から見て、戦争は数としては確実に減っています。 これは単に人々が戦争を反省したからではなくて、それこそリアルに考えると、リアルな計算で現実的に考えると、戦争は割に合わないようになってきているんですね。 以前は戦争は政治の延長でした。 クラウゼウィッツという人が言ったとおりに、17世紀に主権国家ができて、20世紀くらいまでは、戦争というものは国家の政策の一部でしたから、何か政策でトラブルがあったり、領土が欲しかったり、あるいは資源が欲しかったりした場合は軍事力で勝負に出て、そこを取る。 その軍事力を行使するのはお金がかかるので、その行使をしても、そこから得られる領土とか資源とかが割に合うから、戦争をするわけなんですね。 以前の戦争は殆ど傭兵とか常備軍として給料を払っている軍人たちの戦争というのがヨーロッパの近代の戦争でしたから、それはお金がかかるプロジェクトでしたので、ある意味では限定された戦争でした。そこで利益を得る者は一部、命を落す者は多数なので、その間に不均衡はありますが、国家全体としては戦争というものは利益がありうるというのが、長く数百年も続いた。 それが様相が変わってきたのは20世紀に入ってからなんです。

 3)戦争の違法化:戦争のコストと利益 

 20世紀に入ってからいろいろな要素がありますが、1つは産業革命、技術革命によって、破壊の技術がとてつもなく大きくなった。 以前は刀とか小銃で人を殺すであったのが、

 機関銃が出、大量破壊ができるような兵器が出たので破壊力がもの凄く大きくなった。原子爆弾、核爆弾はその最たるものですけれども。 もう一つはナショナリズム、社会主義とか、イデオロギーが関わったので、これは終わりのない戦争なんですね。 イデオロギーというのは、相手の全面否定です。 破壊力がとてつもなく大きくなったので、理念が関わると、一旦戦争が始まると終らない戦争、コントロールのできない戦争というのが、20世紀になって出て来たんです。 第一次大戦というのがその境目。 第一次大戦も最初は古典的な戦争で始まったんですね。 直ぐ終ると皆思った。 以前の戦争だと3〜4ヶ月から半年以内で終った。 相手を完全に絶滅させるのではなく、条件闘争のようなものなので、以前の戦争は非常に儀式的なんですね。 いつ戦争を始めるのか、終るのか、終わりの儀式はどうするのか、むやみに殺し合いをすると自分の損なので、両者が互いに譲るということで条約を結んだり、長くても大体半年から1年とかでした。第一次大戦もそういう短期の古典的な戦争だと思って始めたら、大量破壊兵器がどんどん出てきて、しかもナショナリズムがそれに関わったので、最後まで戦うということになり戦争は終らない、何千万単位で人が死んでゆくというのが、その時期から始まったということであります。

 恐らくそれがあったので20世紀が始まってからは、もう戦争というものは一旦始まるとコントロールができないし、割に合わない、何のために戦うかわからなくなるということがある。コストがもの凄くかかる、そこから得る利益に比べると比較にならぬほど、採算が合わないというか、効率が悪いのが戦争である。 もしイデオロギーなどで殺し合い、絶滅の戦争をしたら、それは時折起こり、それが第一次大戦,第二次大戦でしたけれども、それ以後、戦争がしにくくなった。 戦争というものが怪物のようになったので、コントロールできない。イデオロギーとかナショナリズムが関わると、指導者が止めようとしても止まらない。 政府が講和しようとしても、もっとドンドン行けということになる。こういう形で戦争が変わってきたということがあります。

 それが悲惨な戦争に対する反省というある種の道徳的な判断と、本当に現実的に考えて戦争というものが不必要なこと、効率が悪いということに気付いて、国家からの戦争というものは20世紀に入ってから、数としては劇的に減ってゆきます。 それが「冷戦」ということであります。 局地的ないくつかの小さな戦争というものはありますが、世界大の戦争というものはもう起きなくなったと言えます。 恐らくそこで誕生したのが国際連盟とか、国際連合というもので、戦争そのものを違法化したことです。 今でも誤解されていますけれども,今の国際法では戦争というものは勝手にしてはならないことになっているんです。 ただそれが国連がしっかり体制ができていないので、事実上コントロールがでていませんけれども。 許される戦争というのはいくつかあって、侵略された時は、それに最低限抵抗するための自衛権は認めるけれども、侵略戦争は違法化されていますし、戦争してはいけない。自衛権で侵略を止めたあとは、国連の集団安全保障とか、国際社会、国連の調停を待つことに国際法上はなっているんですね。

 そういう意味では、話しは飛びますが、日本の平和憲法というものはいずれ、国連体制で今の戦争の違法化が完全に体制化してゆけば、すべての国の憲法は平和憲法になるべきということになるんですね。 戦争というものはやってはいけないことであり、何らかの侵略があったときはまず、自衛権を行使して、日本の憲法でも国連のもとで自衛権は認められていると解釈されているので、そのあとで何らかの国際的な仕組みによってそれに対処するというのが、もともと人類が20世紀に入って少しづつ目指してきた道ということになります。 日本の平和憲法もその中で生れてきた産物ということでありますので、日本だけの突出した流れではないということを申し上げたいと思います。 いずれにせよ、20世紀の後半になって戦争はほぼ減って来ている。 戦争を違法化するという流れもほぼ定着しています。 実際にそれが実行されているかどうかは問題ですけれども、国際法的にも戦争は違法化されています。

 4)「戦争の世紀」から「内戦の時代」へ 

 それに代わってでてきたのが「内戦の時代」だということです。 以前のように国境線をはさんで国家と国家がぶつかり合うような戦争は、少なくとも主な国の間では無くなってきている。 ただ残っているのは新たに、国境線の中の武力の衝突であったり、国境線を越えて複雑に絡み合う武力行使なので、これは従来の戦争とは違う状況である。 イギリスの著名なオックスフォードの国際政治学者で、平和研究者でもあるマリー・カルドア女史、いまEUの安全保障委員会の座長のような役割をされている方ですが、彼女の本が翻訳されて、岩波で『新しい戦争』というものですが、これは21世紀の今、私たちが目のあたりにしている様々な戦争、それは以前とは違う全く新しい戦争である。 従来の戦争概念でとらえて従来の戦争への備え方をするのは、それには合わないということを、非常に明確に書いた本です。ぜひ一読をお勧めしたいと思います。 両大戦以後、戦争は以前の戦争とはがらっと様相を変えて、国家間のぶつかり合いとしての戦争は、可能性としては劇的に低下し、あるとすれば、新らたな形の紛争とか殺し合いとか、これは従来の国家の武力行使の戦争では対処できないものだというのが、私達が到達している時点だということになります。

 5)「オランダ化現象」(Hollandization phenomenon)

 それを、やや比ゆ的な表現ですが、アメリカの国際政治学者のジョン・ミュラーという人が、ヨーロッパの近代史を主に題材にしてですが、それを「オランダ化現象」という状況が見られるといっています。 どういうことかというと、1712年スペイン・    戦争というものを最後にオランダはかっては強い国でしたが、その戦争を最後にオランダは大きな戦争に興味を示さなくなった。それ以前は近代の主権国家は軍事力を強くして領土の拡張とか、戦争とかを追求するのが歴史の流れであったのが、オランダを筆頭としてだんだん戦争のレース、軍事力を背景とした領土の拡張レースから離脱してきている。その流れがヨーロッパでは拡大してきているというような、ある種の歴史に対するマクロ的な観察なので、精緻な理論ではありませんが、そういう命題を出したことがあります。そのように考えると、彼が例にあげているのは最初はオランダ、次は北欧の強国であったスウェーデンの1726年でしたか、その後は大きな戦争は行っていないとか、その後はスペインとかフランスとかが続く。もちろん侵略を受けた時の反撃は別として、侵略戦争とか先制攻撃とか、そのような戦争からは主な国はリタイアしてきていると言っています。 それは何故なのかということを彼は、理由ははっきりわからない、しかしそのような現象が見られるということを言っていました。 それがさっき言ったような、戦争そのものがコストが高くなったり、それから得られる利益が小さなものになり、また戦争を通さずにその利益は別に確保できるようになったという状況、そういう国際政治全般の構造変化がその背景にあるという議論になってゆくのであります。

 6)「新しい戦争」:人間の心・意識を奪い合う戦い/ 恐怖/不安/憎悪

   グローバル化と「アイデンティティの政治」(M.カルドア) 

 問題なのは、違う形での「新しい戦争」の状況ということなんです。それをマリー・カルドア女史はいろんな形で説明しています。その新しい戦争のいくつかの特徴を彼女はいろいろと言っていますが、私たちにとってその中心的なメッセージ、分析と思いますのは、21世紀の戦争はテロも含めて、以前の戦争は領土や資源を奪い合う戦争だったのが、今は人間を奪い合う、しかも人間の心や意識を奪い合う戦争だと言っていることです。 これは民族紛争とか宗教紛争とか、ナショナリズムでの憎しみ合いを説明する巧い表現だなと思いました。 今の戦争、紛争で見られることですが、以前はどんなに戦争をやっても、歴史的な建造物などは破壊しないのがルールだったのですね。でも今はそういう象徴的なものをあえて狙う。 それは人にショックを与え、恐怖を与えたり、奮い立たせたりする。そのために相手の寺院を攻撃したりする。以前にはなかった形です。また民間人を巻き込んだりするのは、人々に恐怖とか憎しみとか不安を植え付ける。それで意識をこちらにひきつけたりするという戦い、そういう形の戦争だと言うんですね。

 恐らく私たちが目のあたりにしている民族戦争、宗教戦争はまさにそういうものですけれども、それをもっと拡張すれば、カルドアさんもそれを利用していますけれども、今「グローバル化の時代」と言われている時代の一つのキイワードは「アイデンティティの政治」ということであります。 政治権力を掌握する政治的な目的のために、様々なアイデンティティ、宗教的なアイデンティティ、民族的なアイデンティティ、文化的なアイデンティティ、そういうものを動員する動きというものを、「アイデンティティの政治」といいます。 政治的な目的でアイデンティティを刺激するということなんですね。 民族や宗教は特にそういうものですが、これは以前にもあった現象ではありますけれども、グローバル化の今になって、より強く見られる。それは何故なのか。 理由は非常に簡単なのですね。 「グローバル化」というのは、いろいろな意味で物理的な境界線は低くなる時代。 国境も低くなりますし、人と物の行き来が非常に活発になることなのですね。以前のような物理的な境界線は低くなる。これはよい面もあります。旅行がしやすくなったり、物が安くなったりするけれども、その反面、問題点も多い。一番多いのは、不安になるということなのですね。

 つまり以前は国境線が守ってくれるような安心感があったけれども、今は誰も守ってくれない。 国境で守れないようなものが増えている。 病気もそうですし、それも含めて、外国人の動きも、今の経済のグローバル化では阻止できない。 国境が守ってくれないので、わたしたちの生活の中でのセキュリティというものは、キイワードであり、成長産業なんですね。 国家が守ってくれないので、アメリカでは自分のネイティブ・コミュニティというものがあって、取り囲まれた中で警備員とか立てて、追加のお金を払ってそこで安心して暮らすというので、そこで小さな国家を作っているようなものですね。 日本ではまだそこまで行きませんけれども、セキュリティ完備のマンションなどというのは、そこで自分で追加費用を払って守るということであります。

 グローバル化の中で、物理的な境界線は無くなってゆかざるを得ない。それは利益をもたらすけれども、不安を増大させるので、それに対する安心感として、いろいろな反動が出てきます。 一つは、今申し上げたように物理的に別の壁を立てたり、線引きをしたりするということが起こります。 もう一つ大事なのは、物理的な障壁が無くなるのだけれども、だからこそ、心の障壁というか、今まで日本人だけが住んでいたところへ様々な人々が入ってくると、それを物理的に排除することはできないけれども、だからこそ、心の障壁を築いて、見えない境界線をどんどん立てようとする。 グローバル化の経済で一方で利益を得ながら、その一方で差別とか、心の壁とか、心の境界線とか、『境界線の政治学』という本を書いた人もいますけれども、別の形のバウンダリーとか、ボーダーというものを、見えないものを含めて立てる。 そういう現象が人々の不安の中から出てくるので、それを利用しようとする政治家が様々な色の旗を振る。 そこには宗教の旗もあれば、ある種の民族の優越性の旗もあれば、文化の旗もあり、その旗を振ると、そのもとへ人々が集まる。 それが政治的なパワーになる。 それがもっと極端な形になると殺し合いになる。 ルワンダのようにツチ族とフツ族、資料を見たり映画を見ても表面的には区別できない。しかしそれぞれでパワーを持ちたい人が、ツチ族とフツ族を区別してお互いの敵愾心を煽り立てて、お互いが権力闘争をする。これが悲惨な民族紛争になるということが生じました。

 いま東アジアでは、そこまで行きませんけれども、私たちが日本で何となく不安になったり、あるいはアジアに対しても、一方では交流が盛んでありながら、一方で新たな溝を感じたり、その溝を強調したりする人が出たりするのも、ある種の「アイデンティティの政治」の現象としては共通するということがあると思います。 恐らく今、私たちの住んでいる日本の状況も、そういう一般的な現象とも共通点があるということを認識しながら、それで大分遠回りをしましたけれども、日本と朝鮮半島、北朝鮮との関係を考える時にも、そういう共通の現象を考える必要があるのではないかと考えます。 何故かといいますと、日本では朝鮮半島を語るときに、あまりにも特殊な見方が強い。 特に北朝鮮となると、これは特殊の特殊となるので、異質論、非常に変わった、特異な現象と考えることがある。 これをできるだけ一般化しながら、それが一般的にはどういう意味を持つのかということを考えるのが、それこそが現実的な考え方の第一歩なのではないかと考えます。

 

 2  不幸な巡り合わせ:朝鮮半島と日本の平和憲法体制

 1)朝鮮戦争と日米安保体制・日本の軍事化(再武装)

 いま、歴史的な不幸な巡り合わせという気がするんですけれども、日本の戦後の平和憲法体制の大きな変わり目には朝鮮半島が関わっているんですね。裏返して言えば、日本の平和体制を考えるためには朝鮮半島の問題をしっかり考えなければいけない。非常に密接な連関があることを改めて突きつけられている感じがしました。特に最近そうなんですね。戦後日本は平和憲法を持ちましたけれども、直ぐそれとは違う動きが、再軍備とか自衛隊というものが出てきますけれども、直接のきっかけは朝鮮戦争だった。私は朝鮮戦争が終わってから生まれているので分かりませんが、当時はそういう意識だったと思う。朝鮮戦争が起きたので、日本でも平和憲法があるんだけれども、憲法を厳密に解釈すると違憲かも分からなかった自衛隊ができて、日米同盟が強化されるという流れが出たのも朝鮮戦争があったので可能であったということになるかと思います。

 朝鮮戦争の実際がどうであったのかは議論があると思いますけれども、細かい話は省きますが、朝鮮戦争が起って助かった人が多かったのですね。当時李承晩も朝鮮戦争がなかったら1950年7月の大統領選挙で恐らく負けていたはずなので、彼も朝鮮戦争で助かった人であり、蒋介石も、大陸から直ぐ侵攻があるのかもわからない、台湾は風前の灯火での状況で、蒋介石自身に対する不信感からアメリカがひき降ろそうとしたのが朝鮮戦争直前の動き。 朝鮮戦争が起きたので李承晩も助かり、蒋介石も助かり、アメリカも助かり、日本の経済も難しかつたのだけれども朝鮮戦争のお陰で復興した。当時、トヨタのどなたかが「朝鮮戦争は天の助けである」と言いました。いろんな人にとって都合よく起きた戦争であったようです。当時アメリカは冷戦を本格的にしようとしたけれども、国内で軍事費の増額が認められないので苦労していた。トルーマン政府は戦争前に国家安全保障会議文書68で3倍の軍事費の拡大が必要との提言をしたが、なかなか実行できないでいた。それが、朝鮮戦争が起きたので一気にできたんですね。それで初期からアメリカの陰謀論というのがあるのがこの文書のせいなのですけれども。いずれにせよ、どういう風に関係があるかというのは未だ不透明なところがありますけれども、日本を取り込んだ冷戦体制という、その中で日本の平和体制が大きく変質する、そのきっかけが朝鮮戦争だったというのが、最初の不幸な巡り合わせだった。

 2)核危機と「日米同盟の再定義・強化・拡大」

 2番目に、89年から今ほぼ20年近く朝鮮半島、北朝鮮の核兵器問題が続いています。北朝鮮の脅威、核問題を中心とした「北朝鮮の脅威」というものがある意味で”deus ex machina”になっている。これは何でもできて、マジツクワードみたいなことですけれども、この北朝鮮の脅威、核問題、拉致、これが日本のあるいは、日米の様々な安全保障の懸案をこの十年で一気に解決したということになる。これもまた不幸な巡り合わせと思うのです。北朝鮮の核問題とか脅威論がなければ、日米安保の改定とかガイドラインとか有事法制とかミサイル防衛、日米の軍事力のほぼ一体化ですけれども、同時運用しないといけない、以前とは違う新たな日米関係強化の第二段階ですけれども、冷戦の終わった後の新たな新冷戦段階の日米関係のアップグレイドが、この時に偶然なのか判りませんけれど、北朝鮮の核問題、朝鮮半島の脅威というものが結びついて、以前の日本の政治情勢では考えられなかったような変化がほんの5年、10年、ほぼ5年の間に全部実現した状況である。

 3)脅威論(意識)と地域の平和体制:「一国平和主義」という批判

 問題になるのは、日本の戦後平和憲法体制が大きく変わるたびに朝鮮半島の状況が密接に関わっているとすると、それがどれくらい利用されたかどうかは別として、その状況が一体なにを意味するか、何が脅威なのかをしっかり考えてそれに取組むことを考えないと、日本の平和体制自体が根底から揺らぐということです。既に1950年から揺らいでいたんだということがあるかと思う。それが今、平和憲法それ自体は素晴らしいものだけれども、日本国内でも批判にさらされ大分変質してきているのは、「一国平和主義でないか」と言われたときにそれに対し有効な反論がなかなかできないということがあります。特に日本の中では平和憲法で平和体制を築いたけれど、それはアメリカの軍事力が下で支えたり、その矛盾した構図が日本外に一歩出ると見えるのでその弱さがあり、日本の経済もその冷戦状況を上手く利用して復興したこともありますし、その危うい状況の上にある一国平和主義、憲法体制は基礎が無いので直ぐ変質する。本当に安定したものにするには、一国平和主義ではなくて、最も日本に歴史的な経緯から繋がりの深い朝鮮半島、北東アジア、東アジアに地域の平和体制を考えないと日本の平和体制というのは非常に脆い。朝鮮に対して脆いということが、今私たちが直面していることだと思う。朝鮮戦争を起したのも北朝鮮、核開発したのも北朝鮮なので脅威の最初の発端は北ですけれども、それを全体のコンテクスト、それとどう対応するのか、どのようにすれば解消できるのか、これを真剣に考えて、そこに安定した平和体制を築かないと日本の平和憲法体制というのは、形はかろうじて残るかわからないけれども段々形骸化していく。戦後実はそういう状況だったということを、「九条の会」でこういうことを申し上げるのは少し僭越かと思うけれども、あえて問題提起して出したいと思う。そういったことを前提としながら、あと2、3点申し上げたい。

 「北朝鮮の脅威」、これが私達が真剣に考えなければならないことだというのが今私が申し上げたい点です。 北朝鮮という体制、その体制が引き起こした様々な問題、これは誰が見ても問題であり解決しなければならないけれども、日本ではその問題が、もう少しコンテクストの中で、解決策の全体の文脈で考えるというよりも、拉致問題という具体的な被害者が見える問題で、人間というのは具体的に人の顔が見える問題にはエモ−ショナルに反応しますので仕方ないところもあるのですけれども、文脈よりはエモショナルな反応に少し偏り過ぎていますので、脅威論というものが自己増殖して一定の利害から利用され易い。そういう状況があつたような感じがしますので、あえて一般的な文脈を繰り返し申し上げました。

 

 3. 日本にとつての「東アジア」「北東アジア」

 1)二つの「現実」の共存と交錯

 北朝鮮の脅威をどう考えるかですけれども、それを考えるために、北朝鮮は北東アジアの一部であり北東アジアは東アジア全体の一部であり、いま朝鮮半島も含めた北東アジア、東アジアは大きな変化を迎えているのは事実です。大きな転換点、transition変化です。どの歴史的変換期にも共通していますが,ここには二つの流れがせめぎあっているんですね。共存しながらせめぎあっています。北東アジアは主に朝鮮半島、中国、日本、東アジアは東南アジアまで含めたものですけれども、一つは「共同体」であるということ。もう一つは「新冷戦」ということ、二つとも現実だと思います。

 2)「共同体」:「東アジア共同体」/東アジアサミット/経済的相互依存

 一つは、東アジア、北東アジアは私が想像する以上に今社会、経済、文化的には繋がっています。私が食べ、着ているものはほとんど東アジアの物が多い。意識できないほど。そういう意味では、ほぼ実態としてはある種、共同体的なことがあります。東南アジアまでは旅行してみてお判りだと思いますけど、最近はドラマなどを通して文化的にもかなり重なっていまして繋がりを感じるのであります。目には見えない、物の共有は勿論のことですね、人々の社会文化までもかなり交流が活発で、ある種の等質性で繋がっているという意識というのが日中韓東南アジア、非常に急速に広がっています。実際に「東アジア共同体」という言葉が、日本ではそれ程紹介されませんが、2003年頃から政府レベルで真剣に議論されている。金大中大統領がイニシャチイブを取ったというのがあるが、アシアンと日中韓の13ヶ国それに今はオーストラリア、ニュージランド、インドも加わって16ヶ国になっていますけれども、2005年に初めて東アジア首脳会議を開きましたし、未だ展望ですけれども、”East Asian Community”という言葉を正式に報告書を出して政府間で検討している。未だ将来の目標だけれども、大学の授業でも紹介すると、そういう話は始めて聞いたという人が多い。新聞には小さく載りました。韓国の新聞には大きく載るのですけれど何故か日本の新聞には小さく載る。現実に既に東アジアというものは私達が想像する以上に実態として共同体的になっているし、また政府のレベルでもそれを制度化するための様々な動きがあることが一方の現実としてある。

 一番良く使われる統計が「貿易の域内依存度」であります。全体の貿易の中でその地域の中でどれ位やり取りしているか、その比較です。単純に申し上げるとEUが一番高いですね、当然のことだと思いますが、EUは大体65%弱、63%で6割強です。ナフサというアメリカ、カナダ、メキシコ、北米自由貿易地帯ですが大体45%なのですね。その間に東アジアが入っています。アシアンプラス3の13ヶ国の貿易の域内依存度は大体55%ぐらい、私はこれは驚くべき数字だと思います。ナフサは自由貿易地帯なのでお互い関税をかけなかったりする優遇する措置があって、それで45%だけれども、東アジアはまだあまり優遇もせずにお互い喧嘩をしているのだけれども政治的にぶつかったりしても、経済はもう既にEUに近いような水準まで遣り取りをしているということは、恐らく必然的に東アジアは結びついていくしかないと云うこと、それが現実だということなのですね。戦争が現実というよりも、お互いに似たようなものを食べて似たような生活をしながらお互い物を共有している、繋がっている、これが今の東アジアの一つの現実だと思います。

 3)「新冷戦」:脅威としての「東アジア」「北東アジア」/「日米豪(印)」

 一体感もそこに出てきますけれども、もう一方ではそれとは違う「新冷戦」という言葉も出てきて、詳細は省きますが、日本では特に東アジア、北東アジアとなると以前とは違って今はやや「脅威」として認識されるというのがあります。私は日本へ来て20数年ですけれども、80年代90年代までは東アジアというのは非常にポジテイブに語られた時代がありましたけれども、何故か90年代以降は東アジア、北東アジアとなると何か問題とか脅威とか、距離を持って認識されると、一寸変わって来ている。溝を感じるということ、「脅威論」ということなのですね。それに備えるために特に安倍政権などで進めようとしたことではありますけれど、日本、アメリカ、オーストラリア或いはインドを巻き込んで中国を牽制するような態勢を作ろうとか、どちらかというと新しい冷戦的な対立しかも、中露はそれに対抗して上海協力機構のように中国、ロシア、イランとかが纏まったりして、こういうのが一方で現実としてあります。軍事とか安全保障の人々はこういう図式で構図を考えたりしていますけれど、この二つがいま拮抗しながら重なっているのが、私たちが生きている東アジア、北東アジアの状況ということになります。ですから、一方では社会経済的には否応なしに一緒に生きていかなければならないけれども、もう一方ではお互いの不信感とか、軋轢とか軍事的摩擦とか、そういうものがドンドン増大しているのも事実。どっちに転ぶか判らないこともあります。先ほど私は戦争の危険は減ってきたと言いましたけれど、もつと経済がめちゃくちゃになったり資源をめぐる戦いになると、中露が一本にユーラシア同盟を形成をし、またアメリカと日本がもう一回結びついて新たな形の冷戦とか戦争が本格化するかも、これはもう何十年先そうなるかも分からない、そうなるか分からない危惧は当然ありますけれども、その二つの動きが拮抗しているということが分かります。

 4)脅威論の重層構造:グローバル化/パワーバランスの変化

 特に新冷戦、意図的な意識を支えているのは日本では様々な脅威論ですけれども、その中でも最も突出しているのは北朝鮮脅威論と中国脅威論だと思います。この様な脅威論が出たり、あるいは警戒論が出て、「日米が強化されるのは良いのではないか」となんとなく人々が支持したりするのは何故か、幾つかの理由があると思うのです。これは先程申し上げたこととも少し重なりますが、やはり共通して底辺にあるのはグローバル化に伴う不安であると思います。相互依存が進めば進むほど様々な行き来が活発になるので、行き来が活発になると相互理解が進むという現象があると同時に摩擦も増える。日本に日本人以外の人がドンドン増えたりすると何処かにイザコザが起きたり、そういうのは日常レベルででもありますけれども、グローバル化に伴うある種の相互の摩擦とか不信感とか不安感の増大。

 それだけではなくて北東アジアに固有なもう一つの問題は、ある種のパワーバランスが変化しているという古典的な意識、中国の台頭、中国が強くなったらどうなるのだろうという漠然とした不安なのですね。強くなった中国がどういう姿なのかとか、より民主的になるのかどうかと考える以前に、強くなる中国が日本に心配なのではないかとか、或いはあの北朝鮮と結びついた統一朝鮮半島というのは一体どうなるのだろうかとか、それがある種の脅威論になったりする。以前は日本がある種優位に立っていた関係が、中国が強くなり、朝鮮半島も南北が連携しながら統一に向っているような状況になると、日本がなんとなく不利な立場に立たされるのではないかという、そのような不安、こういう現象が今いろいろなところに見られる。このある種のパワーバランスというのは非常に古典的な概念なので、中身は何なのかということはもう少し厳密に考える必要があるのですけれども、少なくとも今日本、朝鮮半島、中国の間ではそういう意識が少し乱反射しているのは事実ですし、雰囲気として強まっているところもあります。中国は強くなったので大国ナショナリズム、朝鮮半島では統一ナショナリズムが強まっているところがあります。日本ではそれに対抗するナショナリズムのような、そういうものが徐々に高まっていると感じますので、恐らくこういうものが色々重なって、日本では実態は未だ定かでないけれども漠然とした不安とか、それを刺激されて、古いパラダイムから刺激されて、ある種の安全保障とか、そういうものを支持するような、そういうような国家の評価をする資質が芽生えたりするということがあるかと思うのですね。これはもっと冷静に考える必要があると思います。

 以前私の師匠でもある坂本義和先生が何処かのセミナーでこういう話をしていたときに「この一世紀100年間、日本は強いアジアと対等に関係を持った経験が無い」という話しをしました。つまりこの100年、アジア勢は全部弱かったわけですから、中国は四分五列でしたし。その前に中国が途轍もなく強かった時には古代とか昔ですので距離を置いて或いは鎖国政策で関係を持たない選択で影響を遮断していましたけれども、近代に入ってから、特に20世紀に入ってこの一世紀間は、弱い中国とか混乱しているアジアを、日本はやや優越感を持つてずつと関係を持ったけれども、今はそのアジアはかなり根本的に変わって自己主張もあり、いろんな面で水平的な関係を結ばないといけない。ただ北東アジアは非常に構造的に問題なのは日本も中国、朝鮮半島も対等な国際関係のイメージが非常に弱くて序列で考えようとする。この対等な意識をどのようにして作るのかというのが、恐らく意識の面では一番大きい課題なのではないかと思います。中国も強くなったので序列性で見ようとする逆の意味での大国主義が出てきたりしますけれども、それに対抗する日本もそれに対する抵抗意識というのがある種の国家主義に結びつこうとしていますので、その辺の乱反射を如何に冷静に見て考えるのかが土台にある課題ではないかと思います。

 

 4.「北朝鮮の脅威」という難問

 1)核・拉致・抑圧

 最後に北朝鮮問題についてだけ、そういうものを前提に置きながら少しお話をしたいと思います。日本では北というと、これは巨大なある種の課題ですけれども、拉致問題が突出しているのは事実かと思います。それだけではなくて北は核の問題もあり、抑圧的な体制そのものの問題もあります。やはりこれは全ての問題は繋がっている問題であり、基本的にはずつと、もう半世紀あるいは一世紀以上続いている植民地支配、戦争、冷戦がまだ片付いていないということから来る問題だというふうに考えるべきではないかと思います。

 2)植民地支配・戦争・冷戦の残存

 未だ日朝は国交正常化がありません。これは未だ植民地支配の清算が終わってないということですので、北朝鮮は認識としては、大げさに言えば、未だ抗日戦争を戦っているわけなのですね。日本と戦って解放したというのが北の公式解釈ですので、30年代以来北朝鮮の指導者は日本と戦って独立して、その後その植民地支配をどう清算するかというのは日朝で公式には未だ何もしてはおりませんので、まだ植民地支配で戦ったという状況がそのまま続いていることになりますし、朝鮮戦争も休戦なので未だ終っていません。またそれと重なった冷戦対立、これも依然深い溝として残っていますので、このほぼ一世紀近く続いた直接的には半世紀続いた断絶と戦争の構図、これが未だ残っているので様々な問題が未だ解決されないことになっている。これが基本的な構図ではないかと思います。

 3)関与政策vs体制転換(レジームチェンジ)・崩壊

 この問題をどう解決するのか、この10年、20年近くになる北朝鮮の核問題或いは北朝鮮問題をめぐる様々な試行錯誤ですけれども、この過程で韓国でもアメリカでも大きく二つのアプローチが試行錯誤を繰り返したのですね。一つは「関与政策」、これは北と関係を持ちながら徐々に変えていこうとする内科的な変化です。もう一つは「体制転換政策」、これは、圧力を加えて体制を崩壊させて変えるしかないという外科的なものです。同じ国のなかでも二つの考えがありましたし、あるいは国によってどちらかが強くなったりします。90年代半ばまでは韓国は北を吸収統一しようとした時もあります。追い詰めてですね、韓国主導で吸収しようと、金日成(キムイルソン)主席が死亡した直後でしたけれども。その時は何故かアメリカは北と交渉しながら関与政策をとっていたのですね。当時は日本もどちらかというと日朝交渉をやったりしたので韓国だけが外された時期もありました。その後また入れ替わって、韓国は金大中政権以来、以前の強硬策が上手く行かなかったという反省もあって、融和策に転じて「関与政策」を取りました。関係を持つように10年続いたその間に、アメリカと日本は強硬策に転じた。中々歩調が合わないのは何故かというのも考える材料ですけれども、いずれにせよ両方の政策が上手く行かなくて試行錯誤を繰り返して来たということがあります。

 ただ今のコンセンサスはアメリカのブッシュ政権自体が政策を変えたことに象徴されるとおりに、やはり朝鮮半島では、北朝鮮は圧力を加えて体制を転換させたり、崩壊させるということが非常に難しい、不可能であり、副作用も大きすぎるということに落ち着いて、ブッシュ政権は特に去年核実験の後から政策を劇的に変更しまして、やや足踏みですけれども、いままで来ている。日本は強硬策ということですけれども、何故強硬策がなかなか歩調が合わなかったり、上手く行かなかったのか。これについても端的に3点だけ申し上げたいと思います。

 4)朝鮮半島における戦争の不可能さ

 考えてみると、何故韓国はこの十年平和ボケだったのかという話とも繋がりますけれども、今の朝鮮半島の状況から考えると戦争は難しいのです。難しいというよりも不可能だと考えています。つまり韓国の人口が4500万、大韓民国の人口の半分近くである2200万が、休戦ラインが250キロぐらいあるんですが、その休戦ラインから南100キロ以内に住んでいるんですね、最前線から100キロというのは、私の実家を含めて、戦争になると戦争に巻き込まれる地域ですので、いろんな物が飛んできたり、戦場になる地域に人口の半分が住み、ソウル、インチョンとか大都市、首都圏が休戦ラインの近くにあるからです。以前韓国が比較的それ程豊かでなかった時には、戦争で失うものが少ないときには、戦争に逆に強いのですね。北朝鮮はある意味では戦争に強いと思うのです。緊張があっても耐えられるけれども、だんだん豊かな社会になると異常に脆弱な社会になって、戦争どころか休戦ラインで紛争があって武力の衝突があるだけで株価が暴落したりします。そうすると巨大な経済のダメージになるので、そういうことを考えると、それに戦争となると100万の死者とかソウルは壊滅的な打撃とか、それを考えると物理的に戦争はできないことになるのですね。端的にいうと、戦争を避けるためにはかえって人をなだめてでも戦争を起さない方が得だという乱暴な理論になるのですけれども、その分韓国が豊かになったということもあり、豊かな経済は戦争に非常に弱い。これは戦争に弱いからけしからんというリアリストもいるかも分かりませんが、それは社会の進歩ということです。

 そういう意味で朝鮮半島は戦闘を局地化できないので、戦争が事実上難しい。中東とも違う。勿論、中東で戦争していいということではないんですけれども、アメリカから見ても中東では戦争ができるわけです。つまり自分の所に被害が飛んで来ないし、自分に近い関係のある国々に被害が及ばないので、そこに住んでいる人は多大な被害を被るのですけれども戦闘行為ができる。朝鮮半島ではアメリカは軍事行動ができない構造になっている。アメリカ人も相当住んでいますし。だから戦争ができない所では、強硬策は否応無しに制約されざるを得ない。

 5)脅威の性格

 もう一つは、北朝鮮、日本では非常に脅威感が強まっていますけれども、非常に長いスパンで見ると北朝鮮という存在は、南との格差でいうと段々小さくなっている、今何故韓国が北朝鮮に対し平和ボケなのか、北を恐れないからなのですね。以前は北が強かったのですけれども、70年代初めまでは北朝鮮が経済的にも強かったわけですし軍事的にも強かったんですけれど、その後逆転をしました。 一番最近の統計でいうと経済のGNP、経済の規模でいうと韓国が北朝鮮の33倍なのですね。日本が韓国の8倍かなんかですから、日本と北朝鮮を比べると200何倍の大きさということになります。経済力だけで軍事力は語れないところがありますけれども、北朝鮮というのはある意味では苦労して段々縮小していく脅威である。格差もドンドン広がっている。例えばイラク、イランとも違って、イラクとかイランは中東地域で一番人口的にも資源的にも大きい国でありますけれども、北朝鮮は、大きい国強い国に取り囲まれた自分の生存を一所懸命考えている、体制の生存を必死に図ろうとしている、そういう脅威である。だから核とかに頼って威嚇はしたりするけれども、その威嚇は強さの表現ではなくて弱さの表現であるというようなことが、韓国では逆に認識されるのであまり恐れない。マネージ、コントロールしながら関係を持つことで変えていけると考えるようになってきた。

 6)変化の可能性:「接近による変化」

 この10年の関与政策のプロセスで、北も変化の可能性がある、変化してきているというふうに韓国では見ている。日本ではなかなか語られないことですけれども、北朝鮮自身も対外外関係を遮断しようとしているのではなくて、関係を持とうとしているわけですし、自分の前提はあるのですけれども経済改革など、変化を徐々に取り入れようとしている。ただ彼らは体制の維持が非常に不安なのでそのペースが非常に遅いということが問題ではあるのですけれども、徐々には変化してきている。韓国はそれを見ているということなのですね。韓国でよく使われる表現が、以前西ドイツのブラント首相が東方政策、ソ連とか東ドイツと関係を持つたときに使ったスローガンですけれども、「接近による変化」、近づくことで、和解することで相手を変化させる、この発想を韓国はこの10年間試そうとした。北朝鮮に近づくことで相手を変化させることが可能であると考えてきたのであります。これが日本ではなかなか認識されない点ですけれども、半世紀間北朝鮮という脅威とズーツト結びついて試行錯誤を繰り返してきた韓国がやっと、こういう選択をした。今回政権の交代で強硬論が出るとかと言っていますけれども、若干の紆余曲折はあるかもしれませんが、大枠においては北にドンドン経済的に関与していく流れは恐らく変わらない。韓国の立場からすると他に選択肢があまり無いというのがあるかと思います。

 7)六者協議というコンセンサス: 冷戦対立の解体による問題解決

 短期的な交渉上の紆余曲折はあるかと思いますが、それを踏まえて今やや足踏み状態ですが六者協議というのが2005年9月に共同声明を出しました。これの今実行段階ですけれども、この中の共同声明の基本的な発想は何かというと、北朝鮮問題というのは冷戦の残滓がまだ残っているために生じている構造的な問題なので、冷戦対立構造を完全に解体することで問題を解決しようという設計図が、2005年9月の六者協議の共同声明ということになります。そこに書いてあるのが北朝鮮の非核化、核の放棄、全ての懸案の解決、拉致も含まれていますけれども、そういう問題の解決というのを謳っていると同時に、そのために先ず二国間では米朝、日朝、の関係改善、まだ関係が無いということですので関係改善をする。また四者では朝鮮戦争を終結させる平和体制、朝鮮戦争の終結です。また六者全体を包括する北東アジアの安全保障の協議会、これは、新たな対立を含め、それを予防するような意味を込めて二,四,六とかなり重層的に冷戦の残滓として残っている対立構図を、二者の関係でも、朝鮮戦争の四者の関係でも、六者全体でも、三層構造で仕組みを作っていこうというのが六者協議の今のコンセンサスなのですね。これによって初めて問題が包括的に解決されるだろう。それに向って段階的に進んでいる。

 日本は拉致問題をそこにどう絡めるかで苦労していることですけれども、核危機で北朝鮮問題をめぐって、様々な国の様々な路線をめぐる試行錯誤を経て、やっとこれがある種のコンセンサスとして、もう戦争はできないし、構造全体を変えることしか解決策はないことにたどりついて、これに向って段階的に進んでいるというのが状況かと思います。日本もまた北朝鮮についてこういう認識を持つべきだと思います。

 

 5.新たな「日韓」のビジョン

 最後の結びの言葉として、日本の平和憲法それも戦後の産物ですけれども、もう少し歴史をマクロに申し上げると、私はつねづねこういう印象を持つのですが、私が日本に始めて来ましたときにも新鮮な驚きは何かというと、国家とか戦争とか民族とか、そういう概念とか現象に対して社会全体が距離を持って批判意識をもっている社会なんだ、日本はそういう社会なんだというのが新鮮な驚きでした。私は日本へ来る以前は、日本は全部鉢巻をして民族とか国家とか一丸となって戦う、そういうイメージがありましたけれども、いざICUに来て授業受けても、国家とか民族とかはなかなか出てきませんし、戦争は悪いものというのが社会全体の空気、軍隊の存在も感じられない。韓国は当時軍事社会ですし、しかもこれは政権と人権運動、民主化運動を含めて、国家とか民族は神聖なものという意識が強くて疑問を持たなかった。アメリカは20年前行きました時、アメリカは軍事社会、ワシントンは都市全体が軍事記念物で一杯で戦争を讃美している、そのような社会なので、韓国とかアメリカと比べると日本は異例に見えるほど国家というものに警戒感を、もっている民族とか戦争について社会全体が距離を持っている、当時はそう思いました。

 私は専門ではないけれど単純な想像では、アジアで最も近代国民国家造りのベースで成功したのが日本でありますし、ナショナリズムもその時代に作られていますし、国家を中心として近代国家を一気に作ったわけですけれどその成果、成功も味わったと同時に、それが戦争という悲惨なことも経験しましたので、ある意味では、国家とか民族というものが突き詰めていくと、どんな結末になるのかをアジアでは社会が身をもつて経験したのは日本だけのような気がするのです。未だ韓国、北朝鮮、中国、大分変わって来ていますけれども、国家とか民族になると皆背筋を伸ばしてですね、神聖なるものというイメージを持つのは、未だそこまで痛い目に会っていないというか、そういう意味では若いナショナリズム、未完成のナショナリズムなのです。中国も途中で挫接しましたし、朝鮮半島も途中で挫折ですので、そういう願望があるので、まだ「国家、民族に対する批判的意識」が弱い。ただ日本は、日本に来た時以来、それは日本のアジアにおける大きな教訓であり財産なのではないかと思いました。

 戦後の民主主義だけではなくて、国家に対して一定の距離感を持ったり、民族というものに疑いを考えてみたり、戦争というものに原理的に距離を持って考える、こういう発想が特にアジアでは非常に弱い。 そのあたり日本は歴史的経験を通しそういう感覚を持って、大分風化し始めているので心配ということですけれども、それは恐らく日本のアジアにおける一つの歴史的立場なのではないかという風に思います。そういう目から20、21世紀には日本は近代化民主化を成し遂げましたし、韓国の民主化のために日本の市民社会が大分いろんな支援をして下さったというのもありますし、そういう意味では民主主義、民主化という課題では日本も一定程度役割を果たした。国家というより市民社会がですね。ただ、今これから21世紀に求められるのは一国単位だけでなく、まだ非常にライバル意識が強い不安定な東アジア、北東アジアに、如何に対等な地域の平和体制というものを、国家とか民族とか戦争を原理的に乗り越えて作れるかというのが一番の課題であり、日本はまさにそういう位置にあるのではないかと思います。大分時間を超過いたしました。散漫なはなしでしたがこれで終わりとさせて頂きます。ご静聴有難うございました。(拍手)

 質疑応答

 村上牧師:

 たくさんのご質問いただきました。どうも有難うございました。短い時間では全部お答えいただくわけにいきませんので、私が先生にお願いして、この中からいくつか選んでいただき、関連するものもあると思いますから、それに対してお答えいただきたいと思います。

 李先生: 

 たくさんのご質問いただき有難うございました。できるだけ簡潔にお答えしたいと思います。しゃべった後に質問が全くないとがっくり来るものなんですが、今日は非常に嬉しい。おそらくいくつか関連すると思うんですが、非常にいい質問だと思うんですね。

 

【質問1】

 「戦争が起きにくい状況であるということだけれども、なぜ最近日本で九条の改正とか戦争に備えるような、そういう動きが見られるのか、戦争体制の強化の動きがあるのか」および「日本海向けのミサイル配備はどういう効果があるのか」

 李先生: 

 日本海向けのミサイル防衛の配備はどういう効果があるのか、実際の効果はどうなのかということですけど、冷戦期にも軍拡競争が非常にあった。そのときにもアメリカとソ連がいつでも戦争するような状況だというので、米ソ共に莫大な軍事費を使いました。そのときにマリー・カルドア女史がその状況を非常に的確にえがいた本のタイトルが『想像上の戦争』。頭の中で戦争して、それに備えて兵器をどんどん開発して、それで結局直接の利益を得ているのは軍産複合体です。この構造ははっきりしていた。アメリカは戦争中毒だという人もいますが、これは第二次世界大戦が終わった後にそういう体制で、マンハッタン計画がその最たるものですけど、巨大な軍事開発の体系ができ、これはなかなかすぐには解散できないということで、次から次へと、自分の存在意義のために脅威を導き出した。それが冷戦の1つの原因でもあるという見方もあるわけですね。だからある意味では米ソともに中心的な人々はお互い戦争するのは非常に難しいのはわかっていた。なかには本当に戦争をしたがった人もいたようですけども、アメリカの中にも「ソ連叩きたい」と本当に思っていた人も、普通に考えると戦争は難しい。けれども、なにしろ不信感もあったんでしょうけども、どんどん軍拡をしていくプロセスそのものが構造化してしまって、戦争がなくても戦争があるような状況になった、ということがあるかと思います。

 アメリカでも、ミサイル防衛ができていたのはレーガン政権の時からですけど、クリントンの時にはそのミサイル防衛をおさえようとした。「平和の配当」とか、今なつかしい言葉になっていますけども、軍事費を減らして福祉にまわそうとした。それで右派からクリントン夫婦が総攻撃を受けてですね、スキャンダルも出たり、まぁちょっとクリントン自身もだらしないところがあったと思うんですけども(笑)、右派の攻撃がすさまじかった。私も98年に実際にアメリカにいましたが、それでミサイル防衛を掲げるブッシュが出てきて、一気に戦争モードに逆戻りをして、軍産複合体つまり軍需産業が息を吹き返した。そういうことを見ると、やはり軍事あるいは戦争に備えるということで具体的な利益を得るという構造、これがやっぱり大きな要因としてあるんじゃないかと思います。

 人々は不安感をあおりたてられて、それに同調する。莫大な税金をそちらに使っても誰も文句を言わない、戦闘機一機の値段がどのくらいなのか誰も考えないとか、そういうことが起きるということだと思います。客観的にみると日本はそれでもアメリカよりもすごくいい状況にあったと私は思います。日本の企業はまだアメリカほど軍需産業の比重が高くないですね。つまり民需でも充分商売ができるけれども、企業によるんでしょうけど、日本でも一部、世界的に拡張している軍需産業のマーケットに参入したいということがあるので、武器輸出三原則の緩和とかを言い出す、そういう利害の動きとして考えられると思います。

 実際にミサイル防衛がどれくらい具体的な効果があるのかどうかというのは、技術的にはまだ効果がないというのが一般的ですね。単発で飛んでくるミサイルに準備しておいて、それを打ち落とすだけでも確率が半分以下ということです。ミサイル防衛が技術的には意味がないのではないか、まだ技術的にはそういう段階です。けれども推進する側は、いずれこういう状況でやっていくと改良できるんだという。もしそれが軌道にのればアメリカの軍需産業はほとんど心配しなくてもいいような巨大な予算の配分が得られるようになりました。日本がそこに加わっているのも、むしろ経済的な利害とミサイル防衛というのがハイテクの軍事技術の集積ですので、それに加わるといろんな軍事的、テクノロジー的に得るものがあると、そういうのが重なっていると思います。

 北朝鮮から飛んでくるミサイル防衛を新宿御苑でなんか訓練したようですけども(笑)、もし本当に対空ミサイルを東京の都心にあちこちたてたとしても、どこに配備するのか、おそらく東京はスペースがないというが現実に問題だと思うんですけども、それでも撃ち落とせるかどうかはまだ確定的ではない。でも将来の技術なのでどんどん推進していく。あるいは、もっと穿った見方をすると、ミサイルを撃ち落とせなくても、人工衛星と連動してやっているので、事実上宇宙の軍事体制ができる。その波及効果というのは色々あるんですね。だからミサイル防衛というのはわかりやすいプロジェクトで、なんとなく映画を見慣れた人には実現できそうなイメージがある。それに付随して経済効果・軍事効果というものを確保するというのが実態だろうというものです。そういう意味では、彼らは新たな「想像上の戦争」をしているということが言えるのかもしれません。

 

 【質問2】

 「現在の国際政治において、軍拡競争・軍事競争のオルタナティブとして非武装国民抵抗とか非暴力の不服従をどう考えるか」

 李先生: 

 これはずっと長い間議論されてきたオプションです。これもひとつの重要なオルタナティブだと思うんですけど、今、戦争の可能性は減ってきたけれども、人々の不安感とか不信感とかがある。そのためにおそらく段階的には、特に東アジアとか北東アジアでは、その「中間項」として、完全にそれこそ専守防衛というものに厳格に限定して持つということも考えられる。 ガルテュムット教授は、当時の現実的な平和の構想として、これも当時賛否両論色々ありましたけれど、軍備そのものを全面否定ではなくて、軍備の現実な、それこそ日本語的に言うと「専守防衛」ですけども、本当にもう防衛用に限定するとした。現代兵器というのはその線引きもとても難しいんですけど、そういう段階というか、「中間項」としてはそれもありうるということですね。

 こういう方向に向かっていく時に、段階的にまずは防衛的なそういう体制は認めるというのも1つの考え方かと思うんですね。ガルテュムット教授は「トランスアーマメンント」という言葉を使いました。「ディスアーマメント」、つまり「軍備を完全になくす」のが理想だろうけれども、例えば射程距離とか、守るための、相手の攻撃・侵略を拒否するものであればそれに限定するというのが「トランスアーマメント」だという議論をしました。これは思想的にも大きな課題ではありますが、今の北東アジア・東アジアの現状を考えると、おそらく、日本だけの単独の非暴力服従とかがあるとすれば、それは唐突感があると思いますので、軍事力については最低限の専守防衛的なものと、国境を越えて必要になってくる新たな安全保障のような、例えば紛争とかテロ行為とか、テロにも原因はあるんですけれども、そういうものには対処しなければならないということはある。ある地域の連携、地域機構だとか、これが動けば一番いいんですけど、そうはいかない。EUはEUで対処しようとしています。それこそ文字通りいい意味での国際警察的や国際レスキュー隊、これらが合体したような機能は必要になってくるかもしれません。そういうものを「中間項」として考えながら、組み合わせながらこういう方向というものを組み入れると、もう少し説得力がでてくるのかなという感じはするんですね。これは非常に大きい問題なのでなかなか簡単には語れないと思うんですけども、まだ東アジアはこの段階に入る前の前段階をいかに確保するかも課題なのではないかと思います。

 

 【質問3】

 「北朝鮮の政治は政治学的にどう規定されますか。開発独裁、軍事独裁政権でしょうか、あるいは世襲制とか」

 李先生: 

 北朝鮮の政治体制の一番いい規定は、東大を退官された和田春樹先生が、「遊撃隊国家」という表現を使ったんですね。「遊撃隊」というのは1930年代に抗日運動をしたパルチザンというかゲリラ、一丸となって日本と戦ったグループです。その体質が北朝鮮にそのまま残っている。北朝鮮はメンタリティ・意識の面でもまだ日本と戦っている意識であり、人間関係の強い結束によって結ばれている。構造とかメンタリティが、リーダーを中心とした有機的な戦闘共同体のような、そういうのが今のところ北朝鮮の体制を規定する、私は一番いい概念だと思うんですね。これは、そういう意味では戦争の遺産なんですね。日本に対する抗日戦争とその後の冷戦、アメリカとの戦争とか、その戦争によって作られた戦争共同体みたいなところがあるので、まだ開発独裁に本当にソフトランディングできるかどうかの段階だと思うんです。開発独裁というのは、権力をもちながら経済を重視するということです。北はいまだに司令官を中心として軍事で固めているような状況になっている、これが今の世界では特異な状況ということです。ただ、これが特異なんだけれども、先程の話につなげて申し上げると、このような戦争によって作られた、半世紀ぐらいの戦争によって作られた体制を変えるためには、外の条件を変えていくというのも大事である。つまり戦争でない状況を変えていき始めてないものの体制を変わっていくというのが先程の「関与政策」のところで申し上げたかった点ということになります。ですからこれが変わると次におそらく開発独裁体制のような、まだ独裁は続くんでしょうけども、開発とか経済に重心をおいた、今の中国が比較政治的にはそれに近いわけですよね、共産党独裁と言いながらも、「戦争に備える」というよりもどちらかというと経済に重点をおいているので、ある種の開発独裁体制ということになるかと思います。

 北朝鮮の食料生産、どうして生産性があがらないんでしょうか。これはもともと国土が山地が多くて平野部が非常に少ないということがあります。もうひとつは、それで自給ができない上に、山を切り開いて段々畑をいっぱい作ったんですね。だから洪水が起きる。この悪循環で、北朝鮮によく洪水がおこるのは、そのへんのあまり長期的な見通しなく山を切り開いたりしたので、それがまだ、恒常的だってことであります。

 

 【質問4】

 「米国寄りの日本の姿勢がアジアの中での日本の安定を脅かしているということについて」

 李先生: 

 これはおそらく、おっしゃる通りだと思います。日本はアメリカとの関係だけが、ある意味、対外・外交の軸になっていますが、それは、私がよく使う表現ですが、「片翼で飛行しているようなもの」なんですね。例えばアジアに不安要因があるときには、軍事的に安全保障的に見ると、アメリカとの関係がある種の1つのバランサーになるんでしょうけども、それだけに頼っているので、逆にアメリカの戦略によって日本が、振り回されると言いましょうか。そうなってアジアとの関係というものが逆に阻害されるというのはご指摘の通りです。本当は世界2位の経済力となると、もう少し日本自身の独自の様々な関係というのがあっても不思議ではないんですけども、なぜか戦後に関してアメリカに依存するというのが、ほぼ体質化・構造化したので、そこがなかなか抜けられない。これはどっちが先かわかりませんけども、日本の利害を考えると日本が独自にアジアとの関係をもっと展開しても充分いい筈なんですけども、それがなかなかできない。できないのでアメリカに依存せざるを得ない、というのも逆にあると思うんですね。アメリカに依存しているからアジアとの関係がうまくいかないというよりも。

 日本の戦後、国際関係に大分気を使ってきましたし、「国際貢献」とか「国際交流」ですけれども、私も日常でも学生と議論しつつ感じることですが、日本国家全体としてもそうですけども、日本が「国際貢献」という時、遠い所は一生懸命やるんですね(笑)、特定の国を言ってはアレですけど、ネパールで井戸を掘るとかですね、アフリカへの支援とか、これは学生も非常に熱心だし、行きたがる人も多いですし、でも近い所はいやがるんですね(笑)、なぜか。東南アジアはわりと距離があるので、おそらく歴史的な距離があって、不便なところは、また日本が歓迎されますし、そういう所は国もODAをいっぱい出してますし、学生達も行くんですけども、足元が逆に弱い。これはある意味、日本の課題だと思います。これを避けてきたところでもありますし、避けてもよかったので避けられた、ということがあります。

 戦後、ドイツが否応無しに周辺の国と和解せざるを得なかったのは、そうしないとヨーロッパに戻れなかった。本来ならば、日本もアジアとの関係を復活させていくべきだったのだが、戦後のアジアが大分冷戦で分断されたりして不安定だったこともあり、アジアとの関係がなくてもアメリカが代わりにしてくれたというのがあるんですね。これもアメリカに依存したツケがまわってきた、というのがあります。つまり、日韓も典型的にそうですが、韓国とも本当はもっと関係をもっていくべきだったんだけれども、1965年まで国交がなくて、その間にやってくれたのはアメリカ。そういう意味では、アメリカがいてくれたので、アジアとの関係の回復というのをしなくてもよかった、ってことなんですね。そうすると自然に、そこでまたいろんな溝ができて、まだ心理的に日本は北との関係は全般的に不安定ですよね。ロシアとの関係もまだ領土問題があったり、最近は韓国ともギクシャクしたり、中国とも。本当は日本に一番近くて関係があるところは何か不安定で、領土問題かかえたり、歴史問題かかえたり、遠いところとは関係が深くてね。これは本来の意味では、望ましい、正しい姿ではない。だからこそ、アメリカへの依存を深めざるを得ない、何か不安要素があるとアメリカに依存せざるを得ないということがあるかと思います。

 

 【質問5】

 「韓国はデモクラシーに根付いた国になった印象があります。日本の民主主義はコントロールされて、今や戦前のように批判もせずという雰囲気が強くなっていると思いますが、若い学生はどうでしょうか」

 李先生: 

 これは、おっしゃる通りに「最近若い学生がメディアとか、様々な雑誌、『諸君』とか『SAPIO』とか、そのような雑誌によって情報鎖国で、情報が偏っているんじゃないか?」というご質問も別途ありましたけども、確かにそれは感じますね。これは、日本の社会に戦後民主主義がどこまで根をおろしたのかというのがこれから試されることでもあるかと思います。あるいは新たに民主主義というものは真剣に考えなくてはならない、そういう状況を迎えているのかという感じがします。今、がらっと風向きが変わるように、みんな崩れ落ちるように一定の方向に流れるのは、本来ならば民主主義は一人一人自分で考えるということですけれども、考えることをしないのでこういうことになる。若い人達ももろに影響は受けています。これは戦後民主主義がかなり根をおろしたように、市民社会を見るとそのように見えますが、でも実際に、北朝鮮とか中国とかの問題が見えた途端に一定の流れに向かう。それこそ丸山真男先生の書からの引用ですけど、「個がまだ確立していない」のかとか感じます。

 個人的な愚痴の余談になるかもしれませんが、日本ではまだ政治学科が法学部の中にあるんですね。なぜか。政治学科というのは法学部の中に小さくあってですね(笑)、法学科が偉くて(笑)、政治学科というと「就職は大丈夫なのか?」とか言われる(笑)。私はソウル大学で政治学科ではなかったんですが、ハーバード大学の政治学部というのはど真ん中に構えてですね、「私達が輩出するんだ」という妙な意気込みがあって、外国人はなかなか受け入れなかった。サミュエル・ハンチントンのような、やや人種主義的な人が、アメリカ人のエリートを作り出すんだというふうに、非常に自負している、そういう傾向もありました。ソウル大学も政治学科は花形学科の1つなんですね、優秀な人が集まると。何故なのかと思うと、それぞれちょっと違うんだけれども、韓国とアメリカは、政治は自分の手で作っていくものだという感覚がどっかにはあるんだと思うんですね。どう作るかによって、政治、政策は変わっていく。でも日本ではそういう枠を作ったりする人は別にいて、それをどう実行するかを考えると。それで、政治を自分で作っていく感覚が日本では非常に弱いということで、政治学科というのはやることがないというか、そこを出ても働く場があまりない。アメリカはシィンクタンクとか組織が無数にあって、政策というものは市民が自分で築いて決めるわけですよね。自分が気に入る政策は、そういう人に政策のシンクタンクとか、議員に献金をしたりして支援をして、その政策になっていく。ワシントンとかニューヨークに行くと名刺に「ポリシーアナリスト」という人が非常に多いんですけども、政策に携わる人はほとんど政治学を中心にした社会科学のトレーニングを受けた人が考えながら政策を作っていく。日本ではそういう人は官僚になる以外道はないので、政策を作るのは日本では官僚でしたので、あんまり社会科学一般が日本では働く場がないというのもあるかと思うんですね。これは戦後に始まった話なのか、より遡って考えなければならないのかというのは別の問題としてあるかと思います。

 日本と北朝鮮の理解をどう深めるべきなのか。これはそう簡単ではないと思いますけれども、基本は小さい規模でもいろんな議論をしたり、最近民主主義では「討議民主主義」とか「議論民主主義」という言葉が注目されてますけれども、議論をすると見えてくるところがあるんですね。今、北朝鮮問題は、日本にとって非常に大事なんだけれども、議論する場がないというのが私の実感であります。これは社会において議論しづらい風潮もありますが、もっと小さい規模でもとにかく議論から民主主義は始まる。北朝鮮問題をめぐっても、それこそ日本には北朝鮮体制になんらかの形でつながっている人も相当いますので、彼らも様々な見方を持っていると思うんですけども、そういう人も含めて色々議論をするということは今でもできることだと思いますが、なかなかその接点がないというのが残念だと思います。

(質疑応答 以上) 

 村上牧師:

 どうも、有難うございました。みなさんの中には、先生とこういう場で議論したいと思って来られた方もあるかもしれませんが、議論まではいきませんでしたけども、先程みなさんからいただいた質問表、これは無駄にはいたしません。私達の九条の会では毎月例会を行っていますが、そういう時に私達が議論する材料として使っていきたいと思います。

 大変明快なお話しをいただきまして有難うございました。先生に盛大な拍手を。(拍手)

 もう時間ですけど、あと2,3分。西南地区の社会担当の松本牧師がここにお見えです。最後の言葉をどうぞ。

 

 松本牧師:

 今日は、代々木上原教会の九条の会が準備され企画された会に、西南支区社会担当が相乗りさせていただくことが許されて、本当に感謝しております。西南支区社会担当でも同様の会を持ちたいと思っていたところですので、別々に開くよりも一緒にしてと考えました。本当に感謝をいたします。

 西南支区社会担当では毎年一回、比較的大きな講演会をしておりまして、その他に8月6日前後に「平和の核廃絶を祈る集い」というのをしております。今年度の平和講演会では村上先生に講師をつとめていただき、「平和をつくる人々」とし題してアッシジのフランチェスコとボンヘッファーの話をしていただきました。その会の前年度の記録を今日持って来ました。これは小山晃祐というニューヨークのユニオン神学大学の教授が「神学と暴力」という題でお話をされたものです。非常に面白いものです。今日50部持ってきましたので、外部の方を優先にして持って帰っていただければと思います。残ったものは、代々木上原教会においておきますので、あとでまた、喧嘩のないように(笑)、わけてください。今年度の村上先生の講演もこういう形にできればと思っておりますが、その前の4年間のものは、ご存知の方が大半だと思うんですが、『キリストの平和』というブックレットにしまして、李仁夏先生と、木村公一さんと、梶原寿さんと、中村哲さんの4人のものですね。これは3冊だけ持って来ましたから、もし、これも外部の方優先で300円でお分けします。、もしそれ以上の注文がありましたら、お名前とかお書きいただいたら、あとで送ります。

 

 村上牧師:

 これで、会を閉じたいと思います。どうも有難うありがとうございました。(拍手)