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代々木上原教会9条の会 2013年1月例会

安全保障について(1)

発題: 村上雅子

I.「安全保障について」を取り上げたきっかけ

 以前から憲法九条を守ることの基礎として「安全保障」についてよく考える必要を感じていたが、12月の9条の会で、Nさんが「ボンヘッフアーが『安全保障ということを捨てるべきだ』と言っていると村上先生が書いている」と発言され、「神様の力が守ってくださると信じるなら」と言葉を継がれた。そのとき私は、「キリスト者ならそれでいいけれど、国民の生命を守るのは政府の責任だから、一般の人々にはそれでは通じないでしょう」と反論した。しかしその後、私は、Nさんの発言が重要な意味を持っていることに気づいた。

(1) は、キリスト者である私たち自身の、政治と「闘う主体」の確立の問題です。
信仰告白との関係です。
(2) は、「軍事力によって安全保障は守られる」と考える人々を、どのような言葉で説得できるか、です。
(3) は、いまの日本の政治情勢の中で、私たちはどのように行動すべきか、です。

  

II.ボンヘッフアーの言葉

 先ず最初にN さんが引用されたボンヘッフアーの言葉は、村上伸著『ディートリッヒ・ボンヘッフアー―ヒトラーとたたかった牧師』(2011年、日本キリスト教団出版局)の78頁、ボンヘッフアーの講演の要約からで、正確には

「平和はどのようにして実現するのでしょうか?政治的な諸条約を結ぶことによってでしょうか?いろいろな国に国際的な投資をすることによって、つまり大銀行やお金によってでしょうか?あるいは、平和を確実にするためのさまざまな軍備を拡張することによってでしょうか?いいえ。これらすべてをもってしても、平和は実現しません。その理由は、そこでは<平和>と<安全保障>が取り違えられているからです。安全保障という道によっては決して平和に到達できない。・・・安全保障を追求するということは、[相手に対して]不信の念を持つことを意味するからです。そして、この不信が戦争を生み出すのです。」

 これは、1934年8月デンマークのフアネーで開かれた「諸教会の友好のための世界連盟」(後の世界教会協議会WCCの前身)における講演であり、この当時ナチスは1933年1月末に政権を奪取してから数年の間に急速に軍備を拡張し、6年後には第2次世界大戦を始めた。そのことがボンへッフアーの念頭にあり、彼はこの講演の中で、ナチスの悪を世界教会全体の問題として取り上げるべきことを訴え、声を上げること、「平和のための公会議」を提唱しました。それはそのときには実現されず、ナチドイツの侵略戦争を阻止することはできなかった。「時既に遅し」であったのです。私たちはいま、どうすべきでしょうか?

  

III.いまの私達の国の情勢

 先の衆議院選挙で、自民党は大勝し、公明党と組めば衆議院の2/3を占める議席を獲得しました。結党以来自民党は改憲を党是とし、自民党改憲案(2012年4月公表)では、天皇を元首とし、第9条の第2項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を削除して、「国防軍を保持する」と改憲すると明記している。そればかりではなく、これまで政府の公的声明でも違憲としてきた(九条の第2項では交戦権を禁止)「集団的自衛権の行使」を解釈によって可能とすると安倍首相は明言している。経済再建政策に目を奪われて、このような危険な道を進もうとする自民党政権をなぜなだれを打つように支持したのか、憂慮に耐えない。

 日米軍事同盟の強化によって日本の安全保障を得ようとする考え方は間違いではないか?「戦争によって平和はもたらされない」ことは、戦中派の高齢者のみならず、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争の実態を見聞きした若い世代も知っている筈ではないか?「米軍と共に戦争をする国」への準備は、改憲(明文と解釈とにより)によってのみでなく、教育の場における管理体制の強化、教科書検定や、君が代、国旗の強制による国家主義の強調、次期国会へ提出準備の進む「秘密保全法」等による報道・言論の自由に対する統制が軍拡と共に行われる。その一つ一つをつぶしてゆかねばならない。中でも、沖縄に対する基地の拡充、オスプレイの配備、これらは沖縄のみならずわが国各地に基地化と軍備の拡大を進めることとなることであり、共同の責任として阻止しなければならない。9月の参院選挙において、安倍政権のこのような危険な政策を阻止しうる政党を進出させるべきである。そのために周囲の人々に働きかけてゆこう。そのとき、私たちが学んだことをどう、自分の言葉で伝えてゆくか?

 

IV.最後に

 私たちは「特別に政治的関心が深い人々だからこのように言い、行動する」のではない。歴史と世界の支配者でありたもう神は、私たちをいま、この日本に住まわせられた。ここで、それぞれにおかれた場所で、私たちは「主イエスキリストに従って生きること」を求められている。礼拝ごとに、主の祈りにおいて「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈るとき、「これは主のみ心ではない」と思うことに対して、それが政治にかかわることであれば、抵抗せざるを得ないのである。それはキリスト者すべての責任である。私たちの教会は「戦争責任告白」を土台としている。それは私たち一人一人が、「あなたは何故そう告白するのか」と、問われていることなのである。