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キリスト教と平和 ―― 憲法九条: 西片町教会「9条の会」講演

キリスト教と平和 ―― 憲法九条

日本キリスト教団代々木上原教会牧師  村上 伸

 

1.現代という時代をどう見るか?

  「9・11」の衝撃。

(1)  2001年9月11日の「同時多発テロ」は、全世界、特に標的となった米国に未曾有の衝撃を与えた。ブッシュ大統領は直ちに「テロとの戦い」を宣言、アフガニスタンにあるタリバンの拠点を攻撃した。日本政府はいち早くブッシュ支持を表明、戦争に協力した(インド洋における海自の給油活動など)。「テロとの戦い」を大義名分に掲げた米国の戦略に追随するという、この日本政府の姿勢は、イラク戦争でさらに明確になった(陸上自衛隊のサマワ派遣、航空自衛隊の輸送活動など)。

(2)  日本政府は「湾岸戦争」(1990年)以来、「憲法の制約の中で」米国主導の戦争にコミットしてきたが、それでは不十分だという米国の批判(Show the flag!)に応じて、今や「憲法上の制約」そのものを取り払おうとしている(「集団的自衛権」をめぐる論議、「改憲」への顕著な動きなど)。

(3)  だが、米国の武力行使は、テロを根絶できなかったばかりではなく、むしろその脅威を拡散させた。開戦の名目であった「平和」も「民主主義」も達成できないまま、日毎に増える犠牲者の数は国民の間に厭戦気分を蔓延させ、「ネオコン」主導の戦争に対する疑念は次第に深まった。その結果が、中間選挙における民主党の勝利である。

(4)  米国は、9・11の衝撃によって一時は冷静さを失ったが、漸くその打撃から立ち直りつつあるように見える。次期大統領が民主党から選ばれれば、イラク政策の見直しもあり得るだろう。日本は、否応なしに日米同盟の在り方を再検討せざるを得なくなる。その時、正確な歴史認識に基づいて世界史の方向を見定めることが求められる。

(5)  ブッシュ大統領、及び彼を支える「ネオコン」の背後には「宗教右派」があり、彼らの神学は「コンスタンテイーヌス的体制」の下で支配的であったキリスト教絶対主義である。「十字軍」という言葉を平然と使うのはその証拠だ。現代は「イスラム原理主義」と「キリスト教原理主義」の相克という様相を呈しており、この問題点に目覚めなければ根本的解決はない。

  だが、大局的に見て、世界史は和解・共生に向かっている。

 確かに9・11は非人間的な犯罪であり、決して正当化できない。だが、それが世界史の基本的な方向を決定的に変えるほどの出来事だったとも思われない。あのような事件にもかかわらず、21世紀の世界は、大局的に見れば、敵対から和解へ、孤立から共生へと向かって進んでいる。先ず、ヨーロッパで起こった典型的な事象を挙げると――

  • 1975年    
    「全欧安保協力会議」(CSCE)の成立
    ― 後にOSCE
  • 1989年    
    ベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の終結
  • 1991年    
    ソ連邦の消滅と「独立国家共同体」(CIS)の成立
  • 1995年    
    「ヨーロッパ連合」(EU)の成立と拡大

「和解と共生」を目指す動きはアジアにも見られる。

  • 1960年    
    「東南アジア諸国連合」(ASEAN)
  • 1989年    
    「アジア太平洋経済協力機構」(APEC)
  • 1997年    
    香港返還
  • 2000年    
    「南北首脳会談」(韓国+北朝鮮)
  • 2005年    
    「六カ国協議」

むろん、困難な問題も多く、先行きは依然不透明だが、この歴史の大きな潮流を変えることは、もはや不可能である。我々はこの基本的認識に立つべきではないか。

2.日本国憲法の現代的意義

(1)  この世界史の大きな方向から見るとき、主権在民・基本的人権の尊重・戦争放棄の三本柱に立つ「日本国憲法」は、極めて現代的な意味を持っている。この憲法は、「和解と共生」という目標に向かって進む世界の理想を高く掲げており、時代を先取りしたものと言える。ことに「9条を変える」ことは、戦争で物事が解決できるかのように考えていた過去の時代への後退であり、時代錯誤以外の何物でもない。

(2)  「日本国憲法」は、イエスの教えにも合致する。そのことを考えるのに最も適切と思われるテキストについて考えたい。

3.マタイ5,21-26 ―― 和解のための先手

(1)  イエスは、先ず21節で「殺すな」という第6戒を真正面から受け止める。つまり、「殺す」こと(戦争)を、神の戒めに従って一義的に否定したのである→「剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26,52)。

(2)  だがイエスは、この第6戒を次のように敷衍(ふえん)する。「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」(22節)。立腹の余り他者に罵声を浴びせると、その人の顔からスーッと血の気が引く。それは相手の血を流すのと同じだ、とユダヤ人は考えたという(P.ラピーデ)。その時点で「殺し」は既に始まっているのだ。戦争の場合も、他の民族や国家に対して同様の態度を取ることは、既に戦火を開いたのと同じだ。

(3)  イエスは続けてこう言う。「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」(23-24節)。誰かがあなたに対して反感を抱き、関係が悪化していることに気づいたなら、先ずあなたの方から先方に出向き、和解の手を差し伸べなさい、というのだ。彼はあなたの「敵」ではなく、地球という「運命共同体」(→5,45)に共に属する「兄弟」なのだ。そして、関係が悪化したのはあなたの側にも原因があったかもしれない。だから、まず行って兄弟と仲直りをしなさい。

(4)  イエスは言う。和解が優先する。そのためには、「その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」(24節)。「供え物を献げる」という行為は、ユダヤ人にとっては自己の存在証明にも等しい重要な行為である。だが、和解によって敵対関係を「シャローム」(真の平和)に変え、共生を実現することは、それよりも重要である。戦争が始まれば、宗教的行事さえも不可能になるのだから。

(4)  だから、「途中で早く和解しなさい」(25節)。他者のせいにして争っている暇はない。「早く」和解しなさい。敵も味方も共に滅びる時が迫っている。だから、あなたが、和解のための先手を取れ!
これがイエスのメッセージである。