自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ一覧

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「心と思いを一つにして」使徒4:32-37 中村吉基

今日の箇所は教会初期の記録であるが、まだ教会ではなく「信じた人々の群れ」と書かれている。彼らはイエスキリストを信じ、無所有を是としていた。彼らには「大いなる力」(ダイナマイトの語源になったデュナミス)、つまり神の恵みがあった。それをもってキリストの復活を宣べ伝えていたのである。また使徒たちは人々から非常に好意を持たれていたとあるが、「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった」と結んで読んだ方がいいだろう。彼らは土地や家うぃ売って代金を持ち寄り共同体各々に分配された」という。カルト教団に似た例があるが、所有するとそういう危険を犯してしまう弱さもあると覚えておかねばならない。しかし当時の教会では申命記にある「貧しい者はいなくなる」という神の約束が実現されていた。「ささげない」と言われた時、不要な物や余裕のあるものから出していないだろうか?神は独り子主イエスを出された。最初のキリスト者たちは神の模範に倣って、神の愛を実現していた。自分の前にいる様々な困難にある人に自然に愛の行いをすることができた。私たちの教会もそれに倣っていきたい。

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「本当の豊かさとは?」ルカ12:13-21 中村吉基

イエスに相談に来た人にイエスは金持ちのたとえ話をする。金持ちが豊作すぎて倉に入りきらないという悩みである。そして彼は今ある倉を壊してさらに大きい倉をたてようと思いつく。しかし神は金持ちに愚か者という。そしてイエスは自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこの通りだ、と続ける。金持ちの男は非常に自己中心的である。それは彼だけではない。私達とて自分の周りのことだけに執着していないか、苦しみからの脱却を求めて宗教に頼っていないか。苦しい時の神頼みではなく、順調な中で神と共に生き生かされいるのが私達の信仰である。本当の豊かさとは、倉をつくって貯め込むことではなく、喜んでだれかに差し出す中に与えられることであるとイエスは言われいてるが、それは2000年後の我々にも通じる言葉である。