羊飼い一覧

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「狼なんか怖くない」ヨハネ10:11-18 中村吉基

羊飼いにとって自分の羊はとても大切であるが、羊飼いとして雇われたものは狼に襲われた時などは身の危険を感じると羊を捨ててしまう。イエスはこのたとえ話をもって本物の愛に生きる人とご都合主義をわけ、イエスは良い羊飼い、羊のために命を捨てるという。続けて命を捨てることもでき、それを再び受けることができるといい、のちの復活の説明を試みている。私たちの周囲には武力や権力の濫用、身勝手さなどの「狼」がいる。イエスはその反対「仕えられるためではなく、仕えるために来た」の言葉通り、命を捨てて尽くして下さった。私たちは「羊飼い」にはなれないが、命を捨てるほどに愛して下さったイエス様を感謝して進んでいきたい。

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「主は羊飼い」マタイ8:23-24 中村今日子

信徒の立証による礼拝 新型コロナウィルス流行の中での葛藤のあるデイサービスセンターの運営の苦しさを経て、アッシジのフランチェスコが全ての財産を投げ出して着ていた服も父親に返した場面の(ジョット)を見ようとイタリアに行く。アッシジのサンダミアーノ教会にいく道であった人々、帰り道の暑く日陰もない長く苦しい上り坂の途上、神に祈ること、話しかけることで、この三年半の間の様々な心の葛藤、結果などを思い起こていると、とても遠くに見えていた町の門が突然あらわれた。そこで初めて「長くて苦しいときにこそ、あわてずに、ひと足ひと足ずつ、少しずつ進んで、その時間を神様にお祈りをする時間にすればよいのだ。神様と一緒に歩けば、遠くて辛いと思うような道でも、ちゃんと行先まで進むことができる。 神様は私の行く道を示し、導いて、支えてくださっている。」とわかった。不思議な体験であった。これからの人生も私の行く道を示してくださるイエス様に導かれる羊の群れのうちのひとりとして歩みたい。

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「あなたは誰ですか?」ヨハネ10:27-30 中村吉基

本当にクリスチャンなのか?と問われたとき、それが自分の弱さや欠点を指摘であれば気にする必要はない。しかし主イエスから離れていってるのではないか?という意味であれば危険である。主は私たちの羊飼いという信頼があれば安心して永遠の命を与えると主は言われるが、羊飼いなど不要という傲慢さに気をつけなければならない。私たちは神の子どもである。