マタイによる福音書28:1-10一覧

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「それでも朝は来る」マタイ28:1-10 中村吉基

今日はイースター。マグダラのマリアたちがイエスの墓を訪れる箇所である。彼女たちは危険を顧みずに墓へ行き、復活を知らされ、喜びを持って弟子たちに伝える。死は深い悲しみが伴うものだが、マリアたちの行動や復活の主との再会が示すように、死は終わりではなく新たな始まりであると聖書は語る。復活のイエスは今も私たちと共にあり、悲しみを共にし、再出発の力を与えてくださる。イエスは弟子たちに「ガリラヤに行きなさい」と告げる。これは単なる地名ではなく、私たちの日常・周縁・必要とされる場所を象徴である。私たちもそれぞれの「ガリラヤ」へと出かけていくことで、復活の主に出会える。

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「失望から希望へ」マタイ28:1-10 中村吉基

祝イースター、神はイエス・キリストを死から復活させられた。まわりには、戦争や搾取など神の力は弱く悪が強いように見える。神の力に、死も悪も打ち勝つことはできないのだが、なかなか信じることができない。二千年前の復活にあった人達も非常に恐れている。ある人は仕事を捨て、家族と離れ、すべてを委ね、信じ、従っていた主イエスが十字架で殺されたのである。しかし死に打ち勝って神に復活させられた主イエスはもう安心するよう人々に語る。人間はだれでも生きていれば失望することがある。失望すると挫折をする。失望、挫折がなければ人間の成長はない。しかしそこに希望もまた生まれる。神の力を身体中に、心の隅々にいただいて、自分の足で立ち上がるのである。今日の箇所「わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」とある。主イエスを甦らせたのと同じ神の力を、あふれるばかりの光を一身に受け、私たちのガリラヤに行くのである。「希望は失望に終わることはない」(ローマ5章5節、口語訳)。失望を希望に変えられてたどり着くところゴールに主イエスが待ってくださっている。そこへの希望の扉を開こう。