マタイによる福音書一覧

NO IMAGE

「それでも朝は来る」マタイ28:1-10 中村吉基

今日はイースター。マグダラのマリアたちがイエスの墓を訪れる箇所である。彼女たちは危険を顧みずに墓へ行き、復活を知らされ、喜びを持って弟子たちに伝える。死は深い悲しみが伴うものだが、マリアたちの行動や復活の主との再会が示すように、死は終わりではなく新たな始まりであると聖書は語る。復活のイエスは今も私たちと共にあり、悲しみを共にし、再出発の力を与えてくださる。イエスは弟子たちに「ガリラヤに行きなさい」と告げる。これは単なる地名ではなく、私たちの日常・周縁・必要とされる場所を象徴である。私たちもそれぞれの「ガリラヤ」へと出かけていくことで、復活の主に出会える。

NO IMAGE

「イエスに聴き従う」マタイ17:1-13 中村吉基

福音書におけるイエスの変容の出来事は、私たちがどのように生きるべきかを教えている。イエスは神の栄光を顕わし、弟子たちに自分を示すことで、神の意志に従う重要性を示した。ペトロが提案したように、現実から離れ、快適な場所に留まりたくなる気持ちがあっても、神は私たちを現実の中で生きるように呼びかけている。苦しみや試練を乗り越える先に永遠の命が待っており、イエスに従い続けることが人生の道を示してくれる。変容の出来事は、私たちが苦難を乗り越えた先に、神の栄光と祝福があることを示唆しており、その道を進むことが私たちに与えられた使命である。

NO IMAGE

「神の国はあなたたちのところに」マタイ12:22-32 中村吉基

聖書の時代、病気や災いは悪霊の仕業と考えられていた。イエスは悪霊を追い払い、病を癒し、その力が神から来たものであると信じる者が増えた。しかし、ファリサイ派はイエスの力を悪霊の頭ベルゼブルによるものだと非難した。イエスはそれに対し、悪霊が悪霊を追い出すことはあり得ないと反論し、自らの力が神の霊によるものであることを示した。また、聖霊への冒涜は赦されない罪であり、神の霊による業を否定し続けることが罪であると警告した。この教えは、私たちが謙虚に悔い改め、神の導きを受け入れることの重要性を説いている

NO IMAGE

「安心しなさい 恐れるな」マタイ6:22-36 中村吉基

信仰の中にある「恐れ」と「疑い」というテーマが取り上げられている。ペトロが湖の上を歩く奇跡的な出来事を通じて、信仰を持つ人でも不安や疑念が湧くことが示される。特にペトロが強風に恐れ、疑いを抱く場面は、私たちが信仰の中でも揺れ動くことを象徴している。その中でイエスは「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と語りかけ、信仰を持って助けを求める者を支えてくださる。この言葉は、現代に生きる私たちにとっても大きな慰めとなり、信仰が試練の中で強められることを示唆している。イエスの奇跡の力とともに、信じる力が重要であり、恐れや疑いの中でも神にすがることが大切であることが教えられている。

NO IMAGE

「あきらめない」マタイ15:21-31 中村吉基

異邦人の地で女性が「憐れんで下さい」と叫びながらついてきた。イスラエルの民ではないというイエスに女性はくいさがりその強靭な信仰をイエスは褒め、すぐに祈りを聞き入れる。私たちは信仰に倣う者となりたいと願う。「あきらめない」祈りを捧げ「あきらめない」希望を持つときに必ず神は風穴を開けてくださる。

NO IMAGE

「旧いものからの脱却」マタイ21:12-16 中村吉基

アメリカ・ワシントン教区のマリアン・エドガー・バディ主教は、大統領就任礼拝で慈愛と尊重を求める説教を行い、トランプ氏から批判を受けました。この出来事から、形式化した礼拝に警鐘を鳴らし、神殿で怒りを表したイエスのエピソードが再確認されます。教会はすべての人の祈りの場であるべきです。形式主義や特権意識を捨て、他者に奉仕する心を取り戻すことが求められています。

NO IMAGE

「すぐに従った」マタイ4:18-25 中村吉基

4人の漁師の箇所である。夜通しの漁でも一匹の魚もつれなかった4人の漁師がイエスの言う通りにしたところその網が破れるほどに大漁に恵まれた。その後イエスの「人間をとる漁師」というやや奇妙にきこえる誘い(これは他の福音書も共通の表現)にすぐに職も家族も捨て従ったのである。私たちにできるだろうか?主イエスはいつも近づいてお招きくださる。しかしさまざまな理由をつけて呼びかけを遮ってしまっていないだろうか?今日の箇所からシモンたち漁師の「すぐに従った」行動に倣いたい。