バビロン捕囚一覧

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「ことばで土の器に触れる神」コリントⅡ4:6-12 佐原光児

パウロはコリントにあてた手紙の中で人間に対して「土の器」と使っているが、これは旧約から続く、壊れやすさや弱さを象徴するものである。彼は生き方ゆえに裏切りや疑惑、投獄などを経験し心が折れている。しかし人は苦しみの中でこそ「キリストの福音と出会う」と考えた。私たちも経験する苦難は、不信心の罰などではないが、その中でこの脆い土の器と共に生きる神を知っていくのである。今日の箇所でパウロは、創世記から「光あれ」という言葉も使っている。神は打ちのめすような闇の中で、「光あれ」という言葉と共にわたしたちに触れ、共に生きていると分かるように語りかけて下さる。私たちもそうした言葉を、必要な人に運んでいく大切な役割を託されている。

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「虹と弓」寒河江健

聖書日課では本日の主日礼拝の主題は「保存の契約(ノア)」。ノアが箱舟の後祭壇を築き礼拝すると、神は彼の息子たちを祝福し保存の契約をたてて証拠とし、「雲の中にわたしの虹を置く」とされた。しかし虹というのは日本語訳であり、英語では単にザ ボウ(弓)と記されている。弓とは一般に戦闘に使われる。神さまの目に悪とされることばかり行ってきたために人間を動物もろとも滅ぼした、つまり神の弓がひかれたのである。素晴らしいのは、生き残ったのはノア一族とて普通の人間であり、神さまの前に正しい者ではない。しかしそれを赦し弓をひかないために神は雲の中に弓を置いた。イスラエルの民が住むパレスティナには河川氾濫を起こすような川はない。この話の成立はバビロン捕囚後と考えられている。約50年という長い年月を経て、神殿まで壊されて荒れ果てた故郷エルサレムに帰還した彼らの希望となる神の言葉が必要だったのであろう。普通の人間であるノア一族が繁栄したのは神さまの祝福あってこそ。長い捕囚の後エルサレムに帰還し、二度と高慢にならず謙遜に生きていこうというという思いで物語を紡いだのであろう。今日の新約の箇所「体のともし火は目である 」というイエスの言葉である。私たちの目は雲の中においた弓を見て私たちと交わした永遠の約束を見る。慈しみ深い神を見つめ、謙遜の思いを忘れないように主イエスの謙遜を衣として身にまとってこそイエス・キリストを全身に輝かせて辺りを明るく照らすことができるのであろう。