サムエル記下一覧

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「イエスの指し示す道」ヨハネ14:1-12 中村吉基

今日は「告別説教」と言われる箇所である。イエスの人柄や今まで聞いたこともないような「自分を生かしてくれる」教えを信じ従ってきたのにこの別れをきいて混乱した弟子たちに、イエスは「心を騒がせるな」と言い、自分を神のもとへ行く「道」であると続けた。その道とは「心から人を赦しなさい」というものである。また助けが必要な人があれば「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」と言う。福音の言葉を自身の生活にとりいれなければ聖書は「むなしい道徳の教科書」になってしまうが、神は主イエスを信じる者にこの道を進ませる力を与えてくださる。原始教会でも様々な軋轢があったが信仰と聖霊に満ちた人々が解決する中で、教会は神の共同体であり、人は神に似せて作られたものであり、皆が大切にされる居場所であることを示した。私たちの教会もそれに倣い、今年度の年間聖句「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」を覚えて証ししていこう。

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「キリストの名によって」使徒3:1-10 中村吉基

エルサレムの神殿の「美しい門」で物乞いをしていた生まれながらに「足の不自由な男」は、神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていた。決して門の中には入れなかった。そこを通ったペトロとヨハネは「金や銀はないが」と前置きし、「イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言うと、その男は歩き回り、神を賛美し、一緒に境内に入り神を賛美した。施されたものが金と銀であればその男の当面は潤ったかもしれないがまた尽きれば元通りである。しかし使徒たちは、「イエス・キリストの名によって」永遠の救いを約束した。今日の箇所が教えていることは、金と銀ができることには限界がある、それには頼らずイエス・キリストを信じ、模範として生きることが大切である。私たちがすべきことは「キリストの名」を人びとに与えることが、教会がなすべきことである。