「イエスをキリストとして」ヨハネ1:1–14 中村吉基
今日の箇所のヨハネによる福音書では他と違い降誕の話ではなく、初めに言があったと語り、イエスが何者なのかを明確にし、私たちとの関わりを示す。キリストは命そのものでありその命は光としてすべての人間、そこに闇がある人間にすべてを照らす。成功や信仰の強さなどは関係なく、弱さの中でこそ輝く光である。
Yoyogi-Uehara Church
今日の箇所のヨハネによる福音書では他と違い降誕の話ではなく、初めに言があったと語り、イエスが何者なのかを明確にし、私たちとの関わりを示す。キリストは命そのものでありその命は光としてすべての人間、そこに闇がある人間にすべてを照らす。成功や信仰の強さなどは関係なく、弱さの中でこそ輝く光である。
五旬祭の日、主イエスが甦った喜びを伝え、十字架のイエスを神は主としメシアというペテロの説教をきいた人々「深く心を抉られ」(荒井訳)と聖書にはある。聞いた人々のどうしたらいいかを質問に対しペテロは「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」と答える。これに応えて洗礼を受けたものはこの日だけで3千人あったと記されている。福音のメッセージを聴いて、「深く心が抉られる」経験をしたことがあるだろうか?どのようにして福音の言葉が届けられたのかを思い起こし、聖霊の賜物をもって福音を伝えよう。聖霊は必ず私たちを支え、それを助けてくれるのだ。