2025年07月一覧

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「なぜ、祈るのか」テモテI 2:1-6 中村吉基

教会では「執り成しの祈り」が伝統的に行われており他者のために教会が代わって祈ることが大切とされている。今日はパウロが若いテモテに語る勧める箇所である。すべての人たのために、高い地位の人々のために祈ることで平和があるように、とりなしと感謝をささげるようにと説く。この時代の政治家は原始キリスト教会をを迫害する存在である。今でも自分の考えの違う為政者のために祈るのは難しい。しかしパウロはすべての人々が救われて真理を知るようになることを神は望んでいるという。つまり祈りは神の御心と世界をつなぐ窓の役割を果たしているのである。

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「助け合い、支え合う」使徒4:32-37 中村吉基

教会以前の「信じたい人々の群れ」の頃、彼らが信じていたのは死者の中から復活させられたイエスである。彼らはすべてを共有していた。持っている人が偉いのではなく、持たない者こそが祝福という逆説的な福音の価値観で「貧しい者は1人もいない」という喜びに満ち溢れていた。彼らは祈りによって心を1つにし、共同体を形作り、使徒たちは「大いなる力」で主イエスの復活を証しした。所有は悪い事ではないがいかに用いるかが大切である。この最初の教会に倣い、「助け合い、支え合う」共同体でありたい。

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「何をしてほしいのか」マルコ10:46-52 中村吉基

人から止められるほど大声でイエスに助けを求めた盲人バルティマイの箇所である。この時代、盲人は差別されていた。バルティマイは「目が見えるようになりたい」と願い、イエスは「あなたの信仰があなたを救った」と癒しをお与えになり、バルティマイはイエスに従うものとなった。ここから学ぶことは、自分の気持ちをストレートに神に告白することの大切さ、祈ることは神との対話であり、自分の叫びを神に受けとめていただく行為である。祈るときに神を説きふせるのではなく、神の御心に合わせていく。美しい言葉を並べるのではなく、自分をさらけだし助けを求めるものに、イエスは言われる「何をしてほしいのか」と。

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インターナショナルサンデー2025

山本光一牧師の礼拝と講演会 代々木上原教会では、毎年この時期にインターナショナルサンデー礼拝として、外国人の人権のために祈る礼拝をささげています。今年は、パレスチナ・ガザ地区にあるキリスト教の病院「アハリー・アラブ病院を支え...