日時と場所:2011年2月20日 11:50-13:00 @ 礼拝堂
テーマ:讃美の多様性
担当者問題提起:
「讃美」は教会の中でもあまり正面から取り上げられないテーマで、おまけのような扱いになってしまうことが多いように感じる。
なぜ「讃美」をするのか、きちんと教えられることも少ない。
では、讃美とは何か? なぜわれわれは讃美をするのだろうか?
ディスカッション:
この問題提起を受け、出席者を4グループに分けてディスカッションをしました。
また、グループごとに聖書の「讃美」に関連する箇所を読みました。
グループディスカッションから出てきた見解・感想など:
- 讃美と言われても、「祈り」や「感謝」に比べると正直ピンとこない。
- なぜ「聖歌」ではなく「讃美歌」というのだろうか?
- バングラデシュの超宗派の集会におけるテゼ(?)……讃美の例?
→讃美歌の同じフレーズを皆で何回も繰り返し歌うだけ。聖書なし、説教なし。エキュメニカルな流れの中の一例 - アメリカ黒人社会…ゴスペルを通じてクリスチャンになるパターンが多い。
ゴスペルは讃美の力を持っている。 - 伝道という観点からすると、讃美の力はクリスチャンでない人たちにも伝えやすい。
- 讃美と祈りの違い…
- 讃美は二人以上でやる(ハレルヤを皆で唱和するなど)。
- 歌や詩など美的なものにかかわる。(cf. イランは詩の国)
- みんなで集中し、夢中になる。
- 神様との一体感(cf. スーフィズム)
- 人間と神のかかわりの形として、祈りや感謝とともに讃美という形がある。
讃美は特に神にしかない性質(力・知識・愛など)を褒め称えるという側面がある。
神の恩恵を受けているということから讃美が出てくる。 - カトリックでは懺悔や秘蹟など儀式的な行いが多くあるが、プロテスタントの場合はそれがないので、讃美の占める位置がより大きくなる。
- 旧約聖書を読むと、讃美は「歌」「喜び」を伴うものであり、それが主なる神の正しさに結びつけて捉えられている。
「歌」は琴や笛などの器楽も伴っている。 - サムエル記(下)には、裸になって神を讃美するシーンがある。
担当者まとめ:
- 信仰生活には「御言葉」「祈り」「交わり」「讃美」の4つの柱がある。
このうち、たとえば御言葉はわれわれの知識に、祈りは心に深くかかわるが、讃美はわれわれの「体」に深くかかわる。体を使って表現することは、ときには恥ずかしいこともあるが、五感で感じながら、体を使って讃美するということを通して、より充実した、健康な信仰生活を送ることができると思う。
最後に、このような身体性を伴う讃美の実例として、Youtubeの動画(ハワイのフラダンスを取り入れた讃美の踊り)を皆で鑑賞したり、自由に振り付けをつけながらマークさんオリジナル(?)の賛美歌を歌うということを皆で実践してみたりしてみました。
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なお、振り付けつき賛美歌については予想以上に楽しかったため、
今後も有志で活動を続けていくことになりそうです。