7月9日
中高科で「演劇」をやろうという話になりました。
- 木下順二「夕鶴」をやってみたい。(難しすぎる。「つう」役がいない。等の事情で却下。)
- 聖書の中のお話を「和風芝居仕立て」で上演する? どんなお話を?
- ザアカイ(⇒ )。ヨセフ物語。ヨナ。放蕩息子。 ぶどう園の主人と日雇い労働者。善きサマリヤ人。長血をわずらう女。借金をゆるしてもらった人。十人のらい病人。ベトザタ池で癒し。コインをなくした女。百匹の羊。シロアムの池で盲人をいやす。
「貧しい人は幸いである」って言うけど本当にそう思う?
- 人間はみんな違うしおかれた立場も平等ではない。
- でも、神様はみんなを平等に愛してくれる。
6月25日
悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。(エフェソ4:29)
- うわ~。できねぇ。
最近ケンカした事ある? 「むかついた」じゃなくて、ちゃんとした(?)ケンカ。
- ふと気がついたら手が出てて、でもよく憶えてないんだよねぇ。
それってアブナイョ~。 - 大事にしてたカラスの羽根を高校生につぶされたので、思わず殴った。
羽根ぐらいで殴るなよ~。というか高校生相手にケンカするか?
だからそのあと速攻で立ち去った。 - 中学校ではケンカしない。自分の考えを、口論になるほどはっきり主張しないから。
どうやって仲直りするの?
- もう二度と口をきくもんかって思うんだけど、次の日うっかりしゃべってたりして「あ、しまった。」(笑)とか。
- そうそう。自然に元に戻ってる。 だってもともと(ケンカの相手は)仲が良いんだもん。
- あまり仲良くない友達とは逆にケンカはしない。考えがちがうなと思って、反論しても意味ないじゃん。
6月18日
ペンテコステの出来事について、使徒言行録にそって勉強しました。
6月11日
- 旧約聖書と新約聖書の言ってる事は違う事なの? 旧約では捧げ物をしろと書いてあるけど、新約ではそういう風には書いてない。
- イエスさまは旧約聖書を否定したわけではない。→マタイ5章17節「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。」
- 本来は、神様がゆるしてくださった事に対し、感謝をささげるというところから始まっているのに、いつのまにか許してもらうためにささげ物をするようになってきた事をイエス様は注意した。
- ささげ物について書いてある旧約聖書の個所を見てみよう。レビ記5章に、「犯した罪の代償として、雌羊または雌山羊を主にささげる。」とある。
おもしろいのは、このあとに、「貧しくて羊や山羊に手が届かない場合は鳩を捧げる」「貧しくて鳩にも手が届かない場合は小麦粉」という決まりがあるところ。
6月4日
神様は「いる」と思う? そう思ったのはどんな時?
- 大けがをして助かったとき。親が「神様が守って下さった」と言った。
- (その前にけがをしないように守ってくれれば良かったのに・・・)
- ただなんとなく。
- からだのしくみやつくりを習ったとき。
何かを見たり聞いたりしたとき、それに対して発する言葉について
最悪のとき | 悪いとき(気に入らないとき) | 普通 | 良いとき(気に入ったとき) | 最高のとき |
サイテー | ヨェ~ | ツェ~ | サイキョー | |
最悪 | ヨワー | オォォォ | 最高 | |
最弱(?) | だめじゃん | いーんじゃないの? | いーですね~ | |
イラネー | ダセー | |||
いまいち | ||||
ちょっとネ | ||||
さむ~(ギャグの場合) | うまい! |
- 気に入らないもの、良くないもの=「ヨェ~(弱い)」
- 気に入ったもの、良いもの=「ツェ~」
って言うのは、ゲームの影響なのかな?(キャラとかアイテムの評価と同じ)
- 女子はそんな言葉は使わない。 (そうなの?)女子校では聞かないよ。
- 良いとか悪いとかあんまりはっきり言わない。相手がどう考えているかわからないから、適当に「いーんじゃないの?」とか言っておく。
5月31日
CSの説教で「イワンのばか」を聞いて。今の学校では、イワンのようなお人よしはかえって「いじめ」られたりするんじゃないだろうか。
- 足手まといになる子がはじき出される。本を読むのが好きな子は、別に悪い子でも何でもないのに、相手にされない。
- アメリカに住んでいたとき、学校では、先生は勉強でも何でも生徒たちが困ったときに助ける人として、尊敬されているけれど、日本の学校では、生徒が先生を見下しているし、先生も助ける役割を果たさない。
5月14日
母の日なので、ビーズワックス(蜜蜂の作る蝋)でろうそくを作ってプレゼントにしました。
今週聖書読んだ?
- 創世記を読んだ。 変に思ったのは、地球上の出来事のように書いてあるけど、世界の初めに地球があったのか?ということ。
- のろいの(?)数字がたくさんあった。(黙示録)7とか12とか。
5月7日 「最近感じた事」
- 映画「グリーンマイル」を観た。 すっごく良かった。
- 「五体不満足」を読んだ。
- クラスに「問題児」がいて、授業中歩き回ったり騒いだりして、妨害されまくり。先生は○○君の良いところを見つけようって言うけど・・・そんなとこ、ないもん。
- 文語体の聖書を読んだ。 今の聖書と表現が違っておもしろい。短くてリズムが心地よい。
- すべて外から人の体に入るものは、人を汚すことができない・・・それは人の心の中に入るのではなく、腹の中に入り、そして外に出される。(新共同訳:マルコ7:18)
- 外より人に入る物の、人を汚しえぬを悟らぬか、これ心には入らず、腹に入りて厠におつるなり。(文語訳)
→ 『厠』(かわや)って、トイレだよな?
- その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」(新共同訳:マルコ9:24)
- その子の父ただちに叫びて言ふ『我信ず、信仰なき我を助け給へ』(文語訳)
4月30日
『善いサマリヤ人』 ルカ10:25-37
- なんで永遠の命なんか欲しいのかなぁ? 自分だけ永遠に生きてもさみしいと思うんだけど。
- イェスさまは、誰かの隣り人になりなさいって言ってるんじゃないのかな?
- 僕は助けなかった人たちの気持ちもわかるなぁ。 できないよ、ふつう。
- 「隣」って言うところがおもしろい。 向かい合っている人は良く見えるけど、
隣りはそばにいるのにかえって見えにくいから。
4月23日
「イエス様ってエラソーだよね。」「どうして?」「『よくよくあなたがたにいっておく』とかさぁ、『はっきり言っておく』とかー、敬語使えないんじゃないの?」
→ 『はっきり・・・言っておく』は、マタイによる福音書だけで 31ヶ所も ある。
4月16日
「聖書の中で印象に残っているところ? そうねぇ・・・ろうそくをちゃぶ台の下に置く人はいない・・・」
「ちゃぶ台ちゃう!!」
4月9日
「聖書の中で印象に残っているところ」
- ぶどう園で朝から働いた人と夕方から1時間だけ働いた人が同じ給料をもらった話。(マタイ20章)
やっぱ不公平だよ。
4月2日
中高科『聖書の小骨(コボネ)』スタートにあたって
天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。「伝道の書」3章 (「聖書(口語訳)」より)
神さまのなさる事は、神さまが決める。 人間には「どうして?」と思うような事も多い。 でも、それにきちんと説明をつけたり納得したりできなくても良いと僕は思います。
大切なのは、「その事を想いつづける」ことじゃないかな。 それが『神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。』という事なのです。
だから、これからのCS中等科では、その時はっきり答えが出なくても、なんとなく引っかかった聖書のことば(ちょうどノドに引っかかった魚のコボネのように!)を大切にしていきたいと思います。 (M)