山上の垂訓・講解説教も今回で11回目を迎えました。マタイ福音書5章から7章にかけて繰り広げられているイエスの教えを纏めた説教集ですが、本日は、マタイが纏めたこの山上の説教集の第三部の最後の部分に当たります。山登りで云えば丁度、道半ばを過ぎて6合目に辿り着いたように思います。そこで、今まで登って来た道を少し振り返って見たいと思います。講解説教の第1回は、全ての人をイエスの教えに招き入れる「祝福」のを言葉で始まりました。続いてイエスに聞き従う者は「地の塩」「世の光」であることを高らかに宣言する山上の説教第二部(第2回講解)に注目しました。
山上の説教第3部はイエスの教えを「掟、律法」(5:17〜48)と「儀礼」(6:1〜18)に分けて、この2点をユダヤ教とイエスの教えとを比較している処でした。前者の掟については、掟の放棄ではなく旧い掟を完成するのがイエスの教えであると序論で伝えたあと(第3回講解)、掟に関する5つの項目、即ち、「裁判」(第4回講解)について、「姦淫と離縁」について(第5回講解)、「誓約」について(第6回)、「報復」について(第7回)、「敵への対応」について(第8回)、マタイ記者のまとめに従って検討致しました。第三部の後半である「儀礼」については6章から始まり、ユダヤ、そしてイスラム教が礼拝に続いて重視している「施し」(第9回講解)、「祈り」(第10回講解)、そして、いよいよ本日のテキストである「断食」について、これから旧い宗教に対抗する新しい運動として、マタイ記者が掲げるイエスの教えに注目しようとしています。
施し、祈り、断食、この3つに加えてユダヤ教も、取り分けイスラム教でも、これら三つの他に「巡礼」が「儀礼」の中に加わるのですが、山上の説教では取り上げられていないので、断食の問題に入る前に、ここで少し補足して置きたいと思います。その前に、本日は今週末の10月31日が宗教改革記念日に当たるので、そのことを覚える礼拝でもあります。私達プロテスタント教会では断食も巡礼も致しておりません。それはルターの宗教改革に由来していることを覚える機会でもあります。
どの宗教や宗団にも巡礼にあたる行事が存在しています。詩編第121編は「都に上る歌」と見出しにありました。120編から134編にかけて15ほどの詩編が「都に上る歌」(口語訳聖書では「都もうでの歌」)として聖書に収められています。これらはエルサレムの都にある神殿に詣でるために出かける巡礼者の歌として用いられて来たものです。もし、ガリラヤからエルサレムを目指す巡礼者であれば、およそ200キロ近くを数日かけて、それも一人ではなく、家族や部落などの親しい仲間と一緒に旅をし、それも、礼拝の延長として、せめて、一生に一度は都の神殿で礼拝を捧げるために巡礼が為されていたのです。そして、巡礼の歌には、旅立つ思いと、途上で共に歌う唱と、神殿で捧げる祈りの歌がこの15編に亘る詩編に収められています。本日、交読したかった121編は、途上で巡礼者が心を合わせるのに相応しい歌ではないでしょうか。以前の讃美歌301番は文語で謳われていたので、覚え易く、歌いながら自分も巡礼者の仲間になって捧げたくなるような讃美歌でした。
イエス・キリストが過越の祭りに合わせて、弟子たちとガリラヤの親しい仲間たちと一緒にエルサレムへ向かったのも、或いは巡礼の旅であったかも知れません。しかし、旅立つ前に3回も受難予告(マルコ8:31以下、9:30以下、10:32以下)をしておられた事を見ると、この旅は、只の巡礼ではなく受難を覚悟して福音を世に顕すためであったことが分かります。旧約聖書の民がエルサレムを聖地として巡礼(宮もうで)をしていたのに対して、イエスに始まる教会が巡礼を止めているのは、受難・十字架を経て復活に至る出来事の方を重視しているからかも知れません。
時は流れて、ローマ・カトリック教会では再び、聖地巡礼を再開しています。十字軍がそうでした。しかも、それは信仰を利用した極めて政治的な働きでもあったことも分かります。エルサレムの他にローマが巡礼の地となったり、聖者伝説の地(コンポステラ、ルルドなど)まで、巡礼は今も盛んに行われています。それに対して、宗教改革を経て誕生したプロテスタント教会ではイエスの教えに倣い、「二人、または三人が主の名によって集まるところ」(マタイ18:20)であれば何処でもそこは教会であり、礼拝の場である、と云う姿勢を保っています。
今日の礼拝の初めに「招詞」としてローマ書12章1-2節を頂きましたが、その中に「これこそあなたがたの為すべき礼拝です」、とありました。「あなたがたの為すべき礼拝」を原文では λογικήν λατρεια「理に叶った礼拝」と書かれています。「礼拝」と訳されている言葉の「ラトレイア」は「儀礼」とも訳すことができます。つまり、祈り、施し、断食、巡礼などを含めて礼拝を表す言葉が使われています。「あなたがたの体を神に喜ばれる聖なる、生きた捧げものとして行う行為」がラトレイアであります。
施しと祈りについては講解説教の第9回と第10回で山上の説教に倣って取り上げましたが、その延長線の上に今日の「断食」も入っているのです。ただ、巡礼をプロテスタント教会では奨励していないように、断食も廃止しています。そもそも、断食とは一体、何でしょうか。何のためにこれを行い、それがラトレイア、つまり礼拝とどう繋がっているのでしょうか。
ローマ・カトリック教会では巡礼を残しているように、断食も行事として守り続けています。断食と呼ばないで、これを大斎、小斎と云う二つの行事に分けて行っています。いずれの行事も、キリストの受難の奥義に与かるために食事を断つか、制限をすることによって、十字架を偲ぶ行事です。先ず、大斎(だいさい:jejunium)とは灰の水曜日(受難節の始め:‘20年度では2月26日)と、聖金曜日(受苦日:’20年度では4月10日)に行う行事で、1日1食だけで済ませます。今では健康を配慮して成人信徒に限り、また、病人や妊婦などは除外されています。小斎とはabstinentia と呼び、大斎が食べ物の分量を節制するのに対して、小斎の方は食事の質や美食に対する節制で、殊に肉や肉製品を断つ行事です。
日曜日はキリストの復活記念日ですから断食はありませんが、司祭や聖礼典の執行者は式典・礼拝の1時間前には小斎に準じた食事を済ませて臨んでいます。聖餐(聖体拝領)が受難の出来事に関連しているからです。このように、断食を祈りとミサ、礼拝の勤めの延長として行っているのがカトリック教会(含む正教会)です。旧約聖書の民とユダヤ教では断食がどのように行われていたのでしょうか。旧約聖書には「断食」と云う言葉が45回、登場しています。ちなみに新約聖書では23回(マタイ9回、マルコ6回、ルカ5回、言行録3回)ですが、後ほど触れることですが、新約では旧約聖書とは大きな違いがあります。旧約の多くは、断食が日常生活に取り入れられている様子が伺えます。預言者が民の犯した罪の赦しを祈る際に、民衆と共に断食をしたり(サムエル上7:6他)、葬儀や埋葬に際して7日間の断食をしたり(歴代上10:12他)、嘆きと悲しみの表明として断食をしたり(エステル4:3他)、掟に従って定められた時節に断食がなされています(ゼカリヤ8:19他)。
こうした慣習化した断食を批判する預言者の言葉については、本日の旧約テキストでお読みした第三イザヤによるイザヤ書58章3〜6節があります。今日の山上の垂訓・テキストでイエスが断食について批判している内容にも繋がる批判が、預言者の口から語られているように見受けます。第三イザヤの活躍した時代には、バビロン捕囚から帰り、故国再建に励んでいる民衆のなかに、期待を裏切られたような絶望感がただよい始めておりました。断食をしても祈りが聞き入れられない不満(イザヤ58:3)に対して、第三イザヤはこう応えています。それは断食や祈りの姿勢が間違っているからである、と預言者は指摘した後、そもそも断食とは何であるかを語り、形骸化した、儀式としての宗教儀礼を否定しています。断食は悔い改めの証であり、嘆きの祈りを言い表す業として重視されていたのに、それが捕囚から帰ったあと、形だけの儀式になっている状態を預言者は指摘しています。
58章9節以下にはこう記されています:
イザヤは断食が現す本来の姿に民衆を立ち返ろうと勧めているのですが、イエスの断食批判は、貧しさのあまり、断食さえ守れないような人々の側に立って批判がなされています。このことは新約聖書、とりわけ、福音書に残されたイエスの言動を通して良く分かります。その前に本日のテキストからイエスの断食への批判に目を向けたいと思います。
ここで批判されている人々はファリサイ派や律法学者、宗教家であるかも知れませんが、もっと広く宗教儀礼として断食を行っている一般の民衆をも批判の対象にしています。前回、問われていた施しや祈りと同じように、断食と云う儀礼も、ごく一般に行われていたからであろうと思います。批判をされるような相手のことを「偽善者」と呼んでいます。本心と実際にしていること、あるいは、その儀礼が目指していることとはかけ離れて、自己本位な思いで断食をしている人々への批判が語られています。自分が信心深くあることを見せびらかすために、わざと自分で顔に墨を塗って装っている。イザヤと同じようにイエスも形骸化した断食を批判しています。
ユダヤの慣わしで断食は、第7・テシュリ月10日の贖罪日(レビ記23:27以下など)で規定されたものですが、イエス時代にはファリサイ派などが敬虔さを表すために毎週1日、ないし,2日、断食を行っており、1世紀末か2世紀初頭の文書(『12使徒の教訓』デイダケー8:1)ではユダヤ人が毎週月曜日と木曜日に断食をしていたが、教会は偽善者たちと同じ曜日ではなく、水曜日と金曜日に改めるように忠告しています。初代教会はユダヤ教に対抗して断食を毎週水曜日と金曜日に変えて、つまり、灰の水曜日と受苦日の金曜日を毎週覚えて断食を行うように勧めているのです。
本日のテキストを見ると、形骸化した断食を否定してはおりますが、断食そのものは否定していないように見受けます。これはマタイ記者とその教会がイエスの断食批判を載せながら、その批判のあと、自分たちが再び断食を始めている現況を弁護しているように見受けます。それが17節と18節の弁明に当たります:
イエスも弟子たちも断食はしていませんでした。その様子については、「断食についての問答」として、どの福音書にも記されています(マルコ2:18〜22//マタイ9:14〜17//ルカ5:33〜39)。マルコの記述が一番古い資料ですから、ここではこう記されています:
この問いに答えてイエスは3つの譬えをもって断食をしない理由を語っています。1つ目の譬えは「婚礼の祝宴」を断食に対比させ、喜びと祝宴の時である今、断食は不要であると諭しておられます。2つ目の譬は「織りたての晒していない(マルコとマタイ)、新しい布(ルカ)であるイエス集団の働きを古い布(断食をしている宗団)」と対比させながら断食を批判しています。3つ目の譬えは「新しい葡萄酒(イエス集団)を古い革袋(断食宗団)に入れれば、その新しい葡萄酒が発酵の力で古い革袋を破裂させるので、新と旧を妥協させることは無駄になると云うイエスの見解です。
それほど強くイエスは断食について批判をしているので、当然、ご自身も弟子たち集団も断食はしていなかったのです。それなのに、何故、のちの教会では断食を始めたのでしょうか。それは「花婿が奪い取られる時が来る。その日(複数形)には断食することになる」と云う言葉が表しているように、イエスを失った教会が古い慣わしに戻って、断食を始めていることを弁解しているのです。
主を十字架によって亡くした教会は、悲しみと懺悔を込めて、断食を再開した。それが、ローマ・カトリック教会に受け継がれ現在も大切な儀礼として現在も守られています。イエスの福音に立ち返って、プロテスタント教会は、ルターがイエスに回帰する運動の中で断食を廃止しています。初代教会の中にも、イエスの精神を守り続けた教会があったお陰です。マルコ福音書とその教会がそうでした。彼らは花婿が奪い取られた後で断食を始めた教会に向かって、それはイエスの精神に沿わないことであるとして「継ぎ布」と「葡萄酒・革袋」の譬えを付け足しているからです。もともと、断食についての批判ではなく、別な場面で、もっと大きな視点で語られたイエスの譬え話を、マルコ記者は断食問題に付け加えて、断食の再開を戒めているのです。マルコ記者から受け継いだこの断食への記述をマタイも、ルカもそれぞれ自分の教会にあわせて加工をしているのも面白い所です。
マタイ記者は、マルコの結びである「新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるものだ」と云う言葉に続けて、「そうすれば、両方とも長く持つ」(同9:17)としています。元ユダヤ教ラビであったマタイにとっては新しいイエス宗団も古いユダヤ教も共に長持ちして欲しいという思いがこの言葉に現れています。また、ルカ福音書はマルコの結びに1節を新しく加えて、イエスにこう云わせています。「また、古い葡萄酒を飲めば、誰も新しい葡萄酒を欲しがらない。『古いものの方が良い』と云うのである。」(同5:39)ルカは飲兵衛さんだったのでしょうか。彼は使徒言行録も編纂したインテリであり、歴史家でもあったので、ユダヤ教の古い儀礼にも敬意を表しているようです。事実この言行録で2箇所ほど、教会指導者たちが祈りに加えて断食を行っていたことを記録に残しています(同13:2,14:23)。
このように、初代教会には断食を巡って幾つかの流れがあったことを聖書からも知ることが出来ます。私達はイエスの原点に立ち返って見なければなりません。イエスは断食を行わなかった。なぜならば、それは今日のテキストにあるように形骸化した古い儀礼であるからです。さらに、加えれば、イエスは弱者の側に身を置き、安息日や断食さえ守れないほど貧しい人々が地の民と呼ばれ、軽蔑されていたので、そうした人々の側に立ち、守れない人々について批判や軽蔑ではなく、差別を生み出している状態を乗り越えるために、断食そのものを止めておられます。そればかりではありません。断食を不要とするような生き方、今、与えられている命を喜び、精一杯生きる力を民衆と分かち合っておられるのです。
本日のテキストに続いて山上の垂訓では、第四部に入る訳ですが、この所で、空の鳥、野の花を指さしながら生きる命の賛歌を伝える、山上の説教の頂点をマタイ記者は用意しています。十字架に架けられた後、イエスを見えるお姿では接することが出来なくなっても、なお自分たちと共にいて下さる、それが復活された主であり、この主と共にいる限り、今もなお、私達は婚礼と喜びの時をすごしている、だから、断食は不要である、そのように、語っているのです。
主イエスが、今を生きることの喜びを、婚礼の喜びに譬えて下さったように、イエス亡き後の教会も、主イエスを花婿とし、主に従う信徒を花嫁の譬えに発展させて、歌って参りました。これから、ご一緒に歌う讃美歌230番(「起きよ」と呼ぶ声)にもそのように歌われています。実は、昨今のコロナヴィールスと同じように、16世紀にペストが蔓延した時、北ドイツ・ウンナの教会牧師であったフィリップ・ニコライ(1556〜1608)が、毎日30人を超える遺体を見送る勤めの中で、何とかして、遺族と会衆、また、召されて行く人を力づけ、慰めとなるよう、一晩で書き挙げた讃美歌が230番(起きよ、と呼ぶ声)、それと276番(暁の空の美しい星よ)でした。ご存知の通り、この二曲はクリスマスの季節に良く歌います。昨年(19年)11月24日の終末主日礼拝で230番を歌いました。また、今年の1月5日・顕現祭主日礼拝に276番を用いさせて頂きました。「御手に引かれつつ、御国へ行く身ぞ げにも幸なる」この言葉にどれだけ力を頂いたことでしょう。花婿なる主と信徒とが結ばれて生きる喜びが歌われています。主イエスに結ばれている限り、「苦しみさえ祥となる」喜びの婚宴にいることを覚えながら、新しい週の歩みを始めましょう。
祈祷
主イエス・キリストの父なる神様
今日も礼拝へと導かれ、あなたの霊の糧を頂く事ができまして、心から感謝いたします。どうか、体は日々成長、変化し、やがては朽ち衰えて行く中にあっても、十字架の苦難を乗り越え、生きて私達と共におられる主を同伴者とし、祝宴に招かれた信徒としての自覚をもって日々、歩ませて下さい。主の絆に日々生かされている喜びを、世に伝え、証しする私達でありますよう、主の御名によって祈ります。