主の復活節第3主日を迎え、今日もイースターの喜びに与かりながら、共に礼拝を捧げたく思います。世界中が今、新型コロナウイルスの感染を恐れて、死の危険にさらされているこの時に、主の甦りが私達には、どんなに大きな力であり、希望であることでしょうか、復活節にこれほど強く覚えたことは無かったかも知れません。本日の御言葉から、私達も永遠の命にあずかりたく思います。
山上の垂訓・講解説教も第8回目を迎えました。イエスの教えを説教集に纏めて、ユダヤ教に勝るイエスの教え、旧律法を命題にし、それに勝る新律法であるイエスの教えを「反対命題」として展開して来た、「………と云われているが、しかし、わたし(イエス)は言う」と銘打った5つの項目を既に検証して参りました。 そして、マタイ福音書記者が最後に掲げたのが、本日のテキストになります。これはまた、イエスの教えの最高峰として、マタイ記者が、第三部の締めくくりとして据えた「敵への愛」についてのメッセージです。
これに先立って、前回は「非暴力」について御言葉を頂きました。そして今回の「あなたの敵を愛しなさい」、と云う勧めは、「非暴力」の教えと切り離すことの出来ない、深い繋がりを持っています。「非暴力」と「敵への愛」、この2つを、主はお教え下さったばかりでなく、ご自身のお働きと、十字架を通して、これら2つを合わせて実践し、また、証ししておられるからです。
聖書の受難・復活物語を読むときに、私達は深い感動を覚えます。主が逮捕される時、弟子の一人が剣をもって抵抗しようとした際に、主はこう言っておられます:「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)。また、十字架の横で罵倒を浴びせる人々を前にして、「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23:34)、と云う祈りを捧げて「敵への愛」を証ししておられます。
ところで、「敵への愛」「汝の敵を愛せよ」と云うイエスの教えを反対命題(アンチテーゼ)として際立たせるために、マタイ記者が用いた「汝の隣人を愛し、敵を憎め」と云う命題(テーゼ)は、旧約聖書の何処に記されているのでしょうか。実は、この言葉と全く同じ文章を旧約聖書から探し出すことは出来ません。少し長くなりますが、内容上、これに良く似た聖句があります。マタイ記者は編集の手腕を発揮して、そうした聖句から自分でこの命題を作成したものと考えられます。一例を挙げれば、本日の旧約聖書で朗読した申命記20章16〜18節があります(旧312頁):
旧約聖書の民は、概して、ユダヤ民族の優位と、神から選ばれた民として誇りを随所で表明しています。他民族への蔑視や、排他的思想、民族主義が強く前面に出ているので、旧約聖書を読みながら、当惑することが良くあります。麗しい詩編を読んでいても、例えば私の大好きな詩編139編を読んでいても、突然、排他的な言葉が飛び出してくるので戸惑いを覚えます:
この言葉に続いて急転直下、19節からは憎しみの言葉が飛び出してくるのです:
このような敵愾心(てきがいしん)に満ちた祈りを捧げながらも、詩編139編の作者は最後に自分を取り戻したかのように、謙虚になり、祈りを捧げている所に、私は救いを見出します:
しかし、イエス・キリストが「あなたの敵を愛しなさい」と諭された御言葉に比べると、やはり、マタイ記者が旧律法として据えた「汝の敵を憎め」と云う命題は、旧約聖書の何処を探しても言葉としては、見つからないのです。それでも、類似の考えや生き方がある以上、また、私達自身も敵への憎しみに陥ることがある以上、やはり誰もが克服しなければならない、古い生き方である事に変わりはありません。
戦後になって、「隣人を愛し、敵を憎め」と云う言葉が死海写本から発見されました。マタイ記者が挙げた旧律法と同じような掟が死海写本の中から発見されたのです。それはイエス時代、死海のほとりで修道院を営んだクムラン教団の文書から見つかったのです。
ここでは「敵」と云う言葉が出て来ませんが、宗団内にいる自分たちを「光の子」と呼び、仲間に属さない者を「闇の子」と呼んで憎しみの対象にしています。死海写本を生み出したクムラン教団の人々は、聖なる者たちと俗世間とをはっきり分けて、部外者を憎み、このような厳しい戒律をもって共同生活を営んでいたのです。クムランの人々と同様に、ユダヤ教徒は「敵を憎め」と云う旧い掟の中に生きている。そのことをマタイ記者は指摘しているのです。こうして、「敵への愛」を反対命題として掲げると、イエスの教えは、確かに鮮明に良く分かります。
更にイエスの言葉は続きます:「あなたがたを迫害する者のために祈れ」(私訳)。
福音書記者ルカはユダヤ人ではなかったこともあり、「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」と書き換えています。それは恐らく、異邦人を敵とみなすようなユダヤ的偏見を戒めると共に、敵を特定の集団にするのではなく、身の回りにいる人々の中で、「悪口や侮辱を加える相手」に置き換えています:「(あなたがたに)悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」(ルカ6:27)
このように、マタイもルカもイエスの教えに深く感動しながら、それぞれが所属する教会の状況に合わせて、イエスが語られた「敵への愛」を語り伝えているのです。本日のテキストにかえって、マタイの場合には、「敵への愛」と「迫害する者のために祈れ」と云う教えに加えて、マタイ記者は、敵と味方を分ける、隔ての壁を取り除く方法まで、イエスが別の所で語られたと思われる次の言葉を継ぎ足して解説を加えているのです。
「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」、と云う言葉に続いて、「そうすれば、あなた方の天の父の子となるであろう。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも、正しくない者にも雨を降らせてくださる。」
ここでは、天の父を介して、味方と敵の区別もなく、善人と悪人、正しい者と正しくない者との区別もありません。誰もが「父の子」であるからです。この箇所は、しばしば、歎異抄(たんにしょう)に記された親鸞の言葉と同じように、「善悪の彼岸」を語った名言として挙げられるのですが、私たちは、善悪彼岸の論拠に注目しなければなりません。歎異抄は親鸞(1173〜1263)の弟子であった唯円が親鸞の言葉を書き残した書物です。この中で最も有名で、良く知られている言葉が、正に「善悪の境」を超え出た教えで、次の一節にあります:
親鸞は仏門の人でしたが、ここでも聖と俗の境を取り除いて自らを、「非僧非俗(ひそう・ひぞく)」、つまり、「僧侶でもなく、俗人でもない」生き方を貫いた人でした。どの人間にも共通して持ち合わせているのが煩悩(ぼんのう)です。つまり、人は欲望の塊であると云うことです。しかも、そのことを認めようとしない煩悩人である。このように、親鸞は煩悩という人間に共通する心の佇(たたず)まいから「善悪の彼岸」を見ています。それに対して、イエスは、そして、マタイ記者も同様に「天の父」、「万物を造られた創造主」を仰ぎながら、「善人にも、悪人にも」「正しい人にも、正しくない人にも」、そして、「敵にも味方にも」等しく、隔ての垣根を取り除いて臨在しておられる、その方を見据えて「善悪の彼岸」を語っているのです。
せっかく、ここまで開かれた心をマタイ記者はイエスから頂きながら、この後に、「徴税人」と「異邦人」を持ち出して、彼らを嘲笑しているかのような偏見を見る時、マタイ記者はまだ、分け隔てや差別の偏見から完全には解放されていないことが分かります。
「徴税人」や「異邦人」を例に挙げるまでもなく、イエスの教えは十分に伝わります。それなのにマタイ記者が付け加えたかった理由は、自分(たち)の彼らに対する優越感に他なりません。そうした偏見は現在の私達にもありますから、マタイ記者を責める資格は私達にはありません。共に主の赦しに与かって、出直すほかはありません。
山上の説教第3部でマタイ福音書記者がこれまでに繰り広げて来た「旧律法の勝るイエスの新律法の教え」について、マタイ記者は最後に、こう結んでいます:「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(5:48)この言葉の裏にも、マタイが以前に所属していたユダヤ教と対抗する福音書記者の姿勢が現れています:
「神が完全であられるように、人間も(律法を守ることによって)完全であれ」と云う申命記18章13節の言葉こそユダヤ教の教師(ラビ)が説いていた所であるからです。
私達はもとより、不完全な人間です。「敵への愛」からほど遠く、憎しみと争いを続けて来た者であることを懺悔しない訳には参りません。しかし、そのような者でも、こうして御前に集められ、完全を目指して歩みだすために、今ここに呼び出されています。
公民権運動の指導者であったマーティン・ルーサー・キング牧師(1929〜1968)が「敵への愛」に触発されて自ら働き、私達を励ましている言葉をご紹介しながら結びに代えたいと思います:
「至高の愛」を歌った讃美歌にアンリー・マラン(1787〜1864)が作詞・作曲した「敵(あだ)を愛せよとの み言葉に従いて」(1954年版『讃美歌』389番)がありました。マランはスイスのどの教派にも所属せず、自由を貫いた宣教者でした。彼は「山上の説教」から数多くの讃美歌を生み出しています。389番は今日のテキストを歌った讃美歌です。この讃美歌の第3節を共に心の中で歌いたく思います:
この礼拝の最後で歌う頌栄29番(天のみ民も)もマランの作品です。54年版『讃美歌』389番が、『讃美歌21』に所収されていないので、288番(恵みにかがやき 愛にかおる)をこの後、歌いましょう。この讃美歌の2節で「非暴力」が、また、3,4節で「至高の愛」が歌われています。
(私事になりますが、この2つの讃美歌は、明治学院中学生の頃、音楽を担当して下さった上田きみ子先生・中村橋教会牧師夫人が授業の始めに良く取り上げて下さり、その都度、クラス全員で歌ったことから、今もなお親しみを持ち続けています。)