代々木上原教会のウェブサイトはリニューアルされました

ここは2022年3月までのアーカイブを掲示しています。
最新の情報はリニューアルされたホームページをご覧ください。

代々木上原教会公式サイトへ

受難節前第3主日

受難節前第3主日

受難節前第3主日礼拝    午前10:30
                司会・説教:秋葉正二
                奏楽:森 友紀

前    奏  (黙祷)
招    詞  ダニエル9,18
讃 美 歌  128(悪は罪人の) 
交    読  詩編119,73-80(讃美歌21巻末「交読詩編」p.135)
旧約聖書  創世記15,2-6 (旧p.19)
新約聖書  ローマ4,1-8 (新p.278)
祈    祷
説    教  「アブラハムの信仰」
祈    祷
讃 美 歌  452(神は私を救い出された)
献    金  
主の祈り  93-5A
頌    栄  28(み栄えあれや)
祝    祷
後    奏
			

  • 教会学校 9:00「ノア物語2-約束の虹」(創世記9,13) 秋葉正二
  • オリーブ会 (CS分級時)A会議室

 

本日礼拝後

  • 「教会全体懇談会」 12:00-13:00 会堂

 

今週の集会

  • 祈り会 31日(水)10:30-11:30 A会議室

 

次週礼拝等(2018年2月4日)予告

  • 受難節前第2主日
    聖書:ヨシュア1,1-9ヘブライ4,12-13
    説教:「キリスト者の安息」
    司会・説教:秋葉正二
    奏楽:中村今日子
    讃美歌:206, 464, 29
  • 教会学校 9:00「神様からの贈り物」(ペトロ一 4,10) 中村今日子
  • 「定期役員会」 12:15-14:30 A会議室

 

集会予定等(詳細は掲示でご確認ください)

(教会内)

  • 「聖歌隊練習」 2月11日(日) 11:50〜12:50 会堂
  • 「壮年会」「ガリラヤ会」 2月18日(日) 礼拝後

(教会外)

  • 「“外国人住民基本法”の制定を求める第32回全国キリスト者集会」 2月2日(金)18:30-21:00 会場:日本聖公会札幌キリスト教会
  • 「“自由”な空間のつくりかた〜憲法を〈つかみ〉なおそう」 2月11日(日)15:00-17:00 在日本韓国YMCA

 

お知らせ

  • 牧師面会日火曜10:00-16:00 水曜13:00-16:00
  • 秋葉牧師は2/1-3(木-土)、「外キ協全国協議会・同全国大会」に出席のため札幌出張。2/7-8の「原子力行政を問い直す宗教者の会・世話人会(京都東本願寺)」に出席。2/11,18休暇。2/11と2/18の礼拝はそれぞれ陶山・廣石両先生が担当してくださいます)

 

牧師室から

 生命をめぐる今日の議論にかなりの影響力を及ぼすと思われる新たなニュースが、先週世界中を駆け巡った。中国で体細胞クローンのサル2匹が誕生したというのである。もうだいぶ前にイギリスでやはり同じ遺伝子をもつ羊が誕生しているので、最初はあまり驚かなかったが、今回はヒトに近い霊長類での成功なので問題になっているそうである。つまりヒトに近いサルでの成功は、クローン人間誕生に近づいたということらしい。中国科学院の研究チームは、今回の成功が医療研究に役立つと主張しているそうだが、それだけで済むだろうか。体細胞クローンはヒトでも応用できるそうだから、その研究に手を染める人が出てくるのではないか、と心配になる。

 現時点では日本を含む多くの国で、法令により禁じられているそうだが、ヒトに応用されれば、死亡した子どもの親が復活を願うようになるかもしれない、と生命倫理学者は指摘している。これは私たち信仰者にとってもかなり重大な問いを突きつけている。
創世記の創造神話にはこうある。『主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった』(創世記2,7)。これは神話的説話だが、ここに聖書の生命理解の根本があることは確かだろう。人間は有限な存在であり、いつか死んで土の塵に帰るべきことが明確に示されている。

 「生きる者」と訳されている言葉は、ネフェッシュ・ハーヤーだが、ヴォルフという学者の指摘によれば、ネフェッシュとは生命・肉体・感覚・意思などをすべて含んだ全体としての人間のことだそうだ。つまり、生命のない土の塵(アダマ)から造られた人間(アダム)は、神から息(霊)を吹き込まれて一つの生命体となっている。ネフェッシュは死者の体を表すこともあるそうだから、そこには人間の有限性も含まれているのだろう。

 私たちにとって、与えられた有限の生を充実して生き抜くことはキリスト者としての課題であり、同時に生を付与してくれた神に対する責任でもある。現代科学が行き着いた問題に、私たちはどう答えていったらよいのであろうか。これはもう一生をかけて、聖書をしっかり読みつつ取り組んでいくしかないであろう(私には今のところそうした手立てしか浮かばない)。あらためて私たちは大変な時代に生きていると思わされた。   秋葉正二