受難節前第1主日礼拝
受難節前第1主日礼拝 10:30 司会・説教 陶山 義雄 奏 楽 中村今日子 前 奏 (黙祷) 招 詞 (イザヤ57,15) 讃 美 歌 294「人よ、汝が罪の」 交 読 文 マタイ福音書6章(「交読文」p.46) 旧約聖書 詩編84,2-13(旧p.921) 新約聖書 マルコによる福音書4,26-32(新p.68) 祈 祷 説 教 「高さと深さの生き方」 祈 祷 讃 美 歌 454「愛する神にのみ」 献 金 主 の 祈 93-5 頌 栄 83「聖なるかな」 祝 祷 後 奏
- 教会学校 9:00「五千人の給食」 (ルカ9,17) 南山宏之
- オリーブ会 9:40-10:00、集会室A
本日礼拝後
- 青年会
- ガリラヤ会 「今までの教会・これからの教会」(発題 鈴木伶子さん)、総会準備の話し合い。
- 壮年会 「『きけ わだつみの声』より、長谷川信(明治学院より学徒出陣・沖縄で特攻死)の手紙に見る平和思想 と、代沢小・集団疎開児童との心の交流について」 (陶山義雄牧師)
今週の集会
- 祈り会 2月18日(水) 10:30-11:30
次週(2015年2月22日)予告
- 受難節第1主日礼拝
聖書:マタイによる福音書4,1-11
説教:「悪魔の誘惑」
讃美歌 296、284、24
説教:秋葉正二
- 教会学校 9:00「マルタとマリア」 (ルカ10,42) 秋葉正二牧師
牧師室から
上原教会から持ち運んで、会堂の2階ギャラリー後壁の書棚に積み上げていた荷物をほゞ整理し終える中で、赤岩 榮先生が書斎の引出奥に保管していた個人的文書の中身に目を通すことが許された。名説教者、文筆家、評論家、ジャーナリスト、社会運動家などで知られ、業績を挙げておられた赤岩像に対して、これらの個人的文書は牧師としての働きを跡付ける貴重な文献であることが分かった。教文館から『赤岩栄著作集』全10巻には全く触れられておらず、もっぱら対外的な業績のみが論ぜられ、筆者もその責めを受けなければならない立場にあることを、今回痛感させられている。
まず、赤岩先生は礼拝出席者全員の氏名を一覧表・縦の欄に作成し、横の欄には日付を書いて、当日の礼拝出席者を○印で、欠席者を×印で記録している。聖日礼拝のみならず、水曜日夕刻に毎週開かれた「祈り会」の出欠も銘記し、更に木曜日午後1時から9時まで開かれていた「面会日」の出席も残している。戦時下でも100名近い礼拝出席者と、40名に及ぶ「祈り会」出席者を克明に記録した上に、面会日を利用して信徒の個人的心身のケアーを心砕いて勤めておられる姿には、改めて敬服した次第である。さらに、個人的文書には上原教会出席者の住所録ばかりでなく、最寄りの交通機関から自宅までの略図を大切に保管しておられたのである。B5版の統一した書式であるので、恐らく、来会者各人に記入を求めたあと、保管したばかりでなく、牧師として折に触れ個人を訪ねておられた痕跡が残されている。
更にまた、「回顧録」と表紙に銘打って、説教のあと会衆と交わした批評や感想などを記録に留めて、次回の説教等への参考にしておられた模様である。これら、全ての文書は、現在問題になっている個人的情報秘密厳守をご存知であったと思われるほど、人目に触れないように机の奥に収蔵されていたのである。どの集会も、終了後には会堂出口に立って、参加者一人一人に挨拶と言葉をかけておられたが、赤岩 榮先生は先ずもって牧師であったこと、牧師の手本であられたことを忘れてはなるまい。(陶山義雄)