前回は山上の説教の「誓ってはならない」について話しました。
- 神様の名前をやたらに出して約束するのは、神様を利用していることになる
- 本当のことを言っているかどうかを証明するために神の名前をだす、ということが、当時、裁判などで頻繁にされていたのではないか。
- 誓うのではなく、ただ行動すればいいのではないか。
等興味深いコメントがたくさん出ました。(どなたか追加お願いします)
ここの関連で、川に落ちた人を助けようとしておぼれた方のニュースに触れ、次回のテーマとして「善きサマリア人(ルカ10章)」を選びました。
善き隣人とは?!について皆様のコメント楽しみです。
(K.T.)